まとめ:obata 2010-05-14 (金) 17:22:35

 A is B. A is C.....   [1]

という次元は、「表現」「現象」「形態」の世界である。この世界とは異次元の世界が存在する。

 X esit.   [2]

という世界である。

[1] は「交換価値」の領域で、[2] は「第三のもの」「共通物」の領域である。

『資本論』はこの「第三のもの」D を「還元」する。

この還元を通じて、「抽象的人間労働」にいたるのであるが、これは「幻のような対象性」であり、 その大きさが測れて、それで交換比率が決定されるというような性質のものではない。 「労働価値説の論証」とよみ、それができていないというようにいうのは、『資本論』の主旨に反するだろう。

読み取っておきたいのは、

「価値が実存する exist 」ということ:この「実存するもの」を実体とよぶこと:こうした存在の「しかた」があるということ。A is B というような関係的なあり方とは異なる、補語をとらずに実在するものは、 「幻のような対象性」であるが、実存する、内在する、というかたちで、補語関係で存在する商品のあり方から分離されるということ、

このあたりであろう。


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