私自身がモヤモヤしているのでまだはっきりしませんが,とりあえず今日の報告のメモ。
- 商品価値の内在・外在にこだわらなくとも,商品価値があるということはいえるのではないか。
- 内在・外在という区切り方と,絶対価値・相対価値という議論とはどのような関係にあるのか。
- 泉は価値が内在するという方向で考えており,その限りではマルクスの考え方を踏襲している。労働価値説とは異なる価値の内在性を提起しようとするのはなぜか? マルクスの労働価値説のどの部分が引っかかるのか?
- 「商品に価値など内在していないが,内在しているように見える」というとき,泉が念頭に置いている具体的な議論は何か?
- 泉が問題にしたいことは,自己の所有商品に「これだけの価値があるだろう」という主観を支える根拠を考察したいということなのか?
- 商品に価値が内在すると考えることによって,泉が論じたい問題は何なのか?
- 泉が主張したいことは,価値の実存性(手で触れる物としての価値)を否定して,価値の観念性を提示するということなのか?
他にも示唆していただいた点もあり,また上記の理解で良いかは微妙ですが,ひとまず今日の報告のメモ。