重商主義段階をどのように捉えるかは、現代のグローバリズムを段階論的な観点から捉え返すときに避けて通れない問題となる。従来の資本主義像が根本的に狭すぎたのではないか。宇野弘蔵のいう意味での重商主義が狭く、これに対応して自由主義段階、帝国主義段階もサブステージのようにみえる。この三段階を被覆するようなもう一つ大枠の資本主義の枠組を考える必要があるのではないかと思う。その意味で、宇野の重商主義段階論に内在低なかたちで疑問を提示した櫻井論文を検討して、私の仮説を固める手がかりにした。
1 課題
Agrarian Capitalism の研究を参照しつつ、商人資本の意味を再考してみる必要があるとあっさり述べられている。
2 宇野の重商主義段階の整理
1『経済学方法論』における重商主義段階論
16,17世紀以降のイギリスの羊毛工業は代表的産業で、それを支配しているのが商人資本が代表的な資本形式だという宇野の主張。これに疑問を提起している。問屋制家内工業は、資本から相対的に独立した存在である。産業資本への萌芽をここに読みとることはできない。30頁。支配的産業という意味では農業の比重が大きいのにこれに論及していない。
2『経済政策論』第1編第1章「発生器の資本主義」
羊毛工業で賃金労働者(の萌芽)が説けるのか、というのがポイント。櫻井説:羊毛工業おと綿工業との切断説をここで示唆。
3『経済政策論』第1編第2章「商人資本としてのイギリス羊毛工業」の検討 (32-33頁)
商人資本の生産過程への関与説(問屋制、マニュファクチュア、機械制大工業という連続的深化説を批判)への依存と、「農業の三分割」の先行性が無視されている点を指摘。
4『経済政策論』第1編第3章「重商主義の経済政策」
初期重商主義の特許制度(東インド会社など)と、航海条例・穀物条例を区別。穀物条例は、農業資本家=産業資本家の利益を守るもので、地主の保護であるとはいえない。農業資本家の保護育成政策は、重商主義的な政策といえるのか、という論点を櫻井氏は暗に示唆してる。
3 封建制の崩壊から資本主義の成立にいたるイギリス経済史の概要
David Mc Nally Political Economy and the Rise of Capitalism -- Reinterpretation, 1988 による概説。
&number(,2) Agrarian Capitalism の紹介 (39-49頁)
エンクロージャーの結果発生したのは農業プロレタリアート。集中効果による生産力上昇がみられた。協業論。
&number(,2) 商人資本と三角貿易 (49-53頁)
4 批判的考察
櫻井論文にはかなり逡巡のあとがうかがわれるが、簡単に割り切ると次のようなことかと思う。
5 「商人資本としてのイギリス羊毛工業」批判 (50-55頁)
「支配的」の意味を考えてみると、(1)羊毛工業は支配的産業化という問題があり、(2)商人資本は産業を支配していたのかという問題がある、ということかと思う。
宇野がここで抱えていた問題は、協業、分業とマニュファクチュア、機械制大工業の連続的発展にこだわったことに由来する(54頁)。
羊毛工業は綿工業に発展したわけではない、両者は別系列。羊毛工業が、小生産者から自生的に発生しようと、商人資本に支配されていようと、綿工業で成立した資本賃労働関係には「関係ない」ことだ。
6 資本家的農業経営の先行性 (55-56頁)
ここでは事実上、農業資本主義の主張を受容しているように読める。「地主、借地農業資本家、農業労働者の新しい社会関係が、産業革命後の綿工業などの大工業の中に移植され」(56頁)というのだが、この「移植」の意味がはっきりしない。ほぼ同じ意味だと思うが、「農村に生まれた資本家的支配の様式が、綿工業に容易に浸透して急速に発展する可能性」(60頁)という説明もある。この「浸透」の意味も不明である。
7 資重商主義段階という段階を設定することに無理 (55-56頁) この箇所は理解しにくい。
(A)「前資本主義段階」、(B)「資本主義の初期の時代」(C)「過渡期」という規定が鋭気されている。おそらく、資本主義とはいえない、といっているのではないか、と思ったのだが、読み違いといわれてしまった。
8 農業資本主義批判 (55-56頁)
基本的には農業資本主義でよいのかと思うと、ここで留保がつく。農業では資本主義的関係が成立しにくい、という。その理由は次のようになる。
9 結語 (63頁) 「商人資本としてのイギリス羊毛工業」という宇野説は否定。 「産業資本主義の初期段階」ではないという、否定形で終わっている。