参加予定

obata (2006-05-18 (木) 17:54:19)

勝村氏が参加予定とのこと

ニュートン的世界観と介入問題

obata (2006-06-10 (土) 04:45:14)

マルサスの『人口論』は、例の幾何級数・算術級数という人口変動の説明モデルに本質があるのではなく、当時、多くの論者にある程度共有されていたこの問題をネタにして、人間社会の発展・進化について、独自の思想的立場を提示することにあった、ということをあらためて認識しました。ウインチが知性史という観点からマルサスを取りあげたというのも肯けます。

昨日の議論で、小幡がおもしろかったのは、次の点でした。

均質的な世界不均質な世界
介入マルサス『人口論』マルクス
放任スミスダーウィン


あくまで一次的接近としてのラフな区分けですが、対抗線を示すとこんな感じかと思います。

均質的な世界というのは、服部さんが「ニュートン的世界観」というのを小幡が多少誤解した ところです。これに対して、不均質な世界というのは、「ダーウィン的世界観」ということに なるのかもしれません。

「変異」を引きおこすのには、goad of neccessity が必要だというのは、私には なんらかの人為的な介入が必要だという意味にとれました。 マルサスの人口論では、対象世界を構成する諸主体の間に、個体差が内成するわけではない、 人口が増大して、その結果、自然の大饗宴から溢れ出して死滅する主体も偶然運が悪いものに すぎない、したがって、かりにそこに競争があったとしても、優等なものが生き残る、という 淘汰圧が作用するわけではない、ということになるのではないかと思います。

これは、次の世紀に台頭する進化論とはかなり違う構造になっている。進化論は、 なんらかのかたちで、対象世界の内部に(1)不均質な主体が発生すること、(2)これが淘汰なり、 適応なりで、(3)状態遷移を引きおこす、という論理の枠組みになるのではないか、これが やはり18世紀と19世紀を切りわける縦の線になっているのではないか、というのが 演習の報告をおききしてわかったところでした。


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