古谷氏の本日のご報告中に登場しましたアムステルダム銀行についての記述を田尻嗣夫著『世界の中央銀行』日本経済新聞社、1991年、p.306の中に見つけましたので、ご参考までに下記しておきます。  『・・・アムステルダム金融市場は・・・略・・・貿易金融やロンドン、パリなどとの為替取引の国際的ネットワークを持ったアムステルダム銀行を1609年に設立したことで国際金融センターとしての飛躍に成功したのである。同銀行は【銀行グルテン】という抽象化された貨幣を創出し、国際センターとして受け入れなければならない多様な通貨を適切な換算率で受け入れ、事実上、預金通貨という国際通貨に転換したというから、当時のように中央銀行のない経済社会においては事実上、中央銀行の機能の一部を代行していたともいえよう。』 ということで、発券機能に注目して中央銀行のさきがけ、という評価をしているようです。上記に引用した記述の元の和書は高橋琢磨氏の『マネーセンターの興亡』という文献のようです。

不換銀行券の先駆か

obata (2006-04-15 (土) 09:09:36)

商業手形の割引を(少なくとも中心業務と)していなかった、といっていいのでしょう。古谷氏が説明していたように、さまざまな鋳貨が流入するなかで、それらをミックスした資産をベースに、それに対応する「銀行グルテン」を発行した、ということでしょう。この場合ポイントとなるのは、「銀行グルテン」に対して、アムステルダム銀行は金兌換、あるいは特定の鋳貨による支払いはしない、ということでしょう。預金通貨といっても、支払いをしないという点で、預金ともいえないものでしょう。不換銀行券でも、資産の裏付けが明確であれば、貨幣として充分機能する、という命題が成りたつかどうか、いかがでしょうか?

スウェーデン国立銀行

obata (2006-04-15 (土) 09:47:51)

http://www.waseda.jp/w-com/w-comm/syo_cont/no403/wcom403_02.pdf

雑学としてちょっと眺めてみました。ちょっとだけ、アムステルダム銀行に触れています。承認の間では、支払いというのはけっこうな負担で、このあたりから紙券化の動きは発生するようです。日本の江戸時代など、比べるとどうなのでしょうかね。


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