**信用貨幣と労働貨幣・地域通貨 [#nbdb2251]
>[[obata]] (2006-09-21 (木) 21:44:02)~
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マルクスのプルードンたちの労働貨幣・地域通貨に対する批判は、価値実現論を基礎としている。このことは最近、かなり明確になったと思う。命がけの飛躍・市場の胃の腑に代表される実現問題、その背後に一連の価値形態に関する抽象的な理論展開のねらいもある。プルードンは、この実現問題を看過して、つくったものは売れると信じて、商品を一箇所に集めてそれに対して労働証書を引き渡せば基本的に持ち手交換が達成されると考えている、とマルクスは批判したのではないか。いうまでもなく、作り過ぎとか不足という問題がそれぞれの少品種ごとにあり、使用価値の制約から価値があっても売れないという問題に逢着する。価格が価値から一時的に乖離し、そのことを通じて、需給調整がおこなわれることで、はじめて事後的に商品経済的な調整は進む。この基本原理を、労働省緒論者は看過している、という批判である。~
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市場にこのような実現の困難がつきまとうという自体は重要だ。しかし、それは信用に通じて、解決される面をもつ。資本主義のもとでは、信用機構の発達がこの問題を一面で解除し、信用貨幣を生みだす。この展開は、『資本論』だと第3巻で説明される。資本家の間の限られた範囲で、信用貨幣は流通するというのが、マルクスの考えであろう。~
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しかし、信用関係が資本主義のしかも資本家間の関係に限定されるというのは、どこまで必然性があるのか、この点は定かではない。プルードンたちは、この種の信用貨幣の形成の可能性を広く認め、事実上、労働貨幣・地域通貨を信用貨幣として、構想したのではないか。つまり、マルクスが実現問題にこだわったのは、貨幣がなによりもまず、金属貨幣である、という考えたためではなかったか。もし、金属貨幣と同時に信用貨幣が並立する一にあるとすれば、実現問題に基礎をマルクスの労働貨幣論批判の論理構成は見なおさなくてはならないのではない、と思う。~
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これは、最近、「貨幣の価値継承性と多態性」で、商品貨幣から金属貨幣と信用貨幣とは並行的に派生するのだ、と書いたとき以来、気になっている問題である。~

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