#author("2019-10-24T15:21:54+09:00","default:obata","obata") #author("2019-10-24T16:11:21+09:00","default:obata","obata") CENTER:[[前回>2019年度/冬学期/第5講]]<<冬学期/第6講>>[[次回>2019年度/冬学期/第7講]] -------- #qanda_clearckl #qanda_setstid(2019-10-17 16:00:00, 100) #qanda_setstid(2019-10-24 16:00:00, 100) #qanda_who //RIGHT:[[再登録>2019年度/冬学期/再登録]] #katex ------- CENTER:&size(22){&color(orange,navy){ コ ン ピュ ー タ と 労 働(1)};}; ------- *情報処理技術の二つの顔 [#n58e5904] +文字の操作(文字列の編集) +数値の操作(計算) *計算労働 [#b5cdf292] *「数える」と「はかる」 [#id7a60a4] -コンピュータの本質を考える基礎の基礎として、非常にアタリマエの話から... #qanda_set_qst(5,1,0){{ <p>「数える」ことと「はかる」の違いは?</p> <p>数えられてもはかれないもの、はかれても数えられないものをイメージして考えてみよう。</p> }} #qanda(5,1) #qanda_set_qst(5,2,0){{ 数えるときの「一つ」は「単位」か?「単位」でないとすればなぜか? }} #qanda(5,2) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=1) -「単位」の共通性:自分だけの単位=私的単位ではなくだれでも共通の単位=社会的単位 -「制度」がないとはかれない?度量衡。 #enddivregion #qanda_set_qst(5,3,0){{ <p>歴史をさかのぼっていったとして、ヒトは「数える」ことと「はかる」ことは、どちらが先にできるようになったのか。</p> <p>あるいは、子供の成長をみていて、「数える」のと「はかる」のとは、どちらが先にできるようになるか。</p> }} #qanda(5,3) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=2) -数えること。といいたくなるが、だれもみたものはいない。自然数概念にとらわれている。 -順番、位置としての数のほうが先かも。まえ、あと、という順番。序数。 -子供をみていて、数えるのとはかるのとは、どちらが先にできるようになるか。 -「数える」能力の前提は?リンゴが、一つ二つ...でも、リンゴはみんな違うけど。違うモノが「同じ」だという能力。抽象化。 #enddivregion --復習の意味で、質問を追加してみます。&new{2019-10-24 (木) 10:39:38}; #qanda_set_qst(5,101,0){{ 「デジタル化」という言葉は最近よく耳にする。「はかる」と「数える」の違いを見極めた君なら、この真意がわかるはず、名答を望む。 }} #qanda(5,101) #qanda_set_qst(5,4,0){{ コンピュータはホントに、人が数えるように「数える」ことができるか? }} #qanda(5,4) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=4) -数えた数の計算はできるけれど、「数える」こと自体はむずかしい。 -リンゴという「言葉」なしに、リンゴの数を数えることはできるか? -抽象化の能力が必要。 #enddivregion #qanda_set_qst(5,5,0){{ ヒトは、なぜ数えたり、はかったりしてきたのか? }} #qanda(5,5) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=5) -外界のモノを、管理しコントロールするため。 -管理・コントロールする能力の基礎として、「数える」「はかる」「計算する」能力。 -もし、対象に対して目的意識的にはたらきかける人間の活動をひろく「労働」と定義するなら、 -「数える」「はかる」ということ自体、りっぱな労働。 -「計算する」ということもまた、りっぱな労働。 #enddivregion #divregion(要するに...,admin,lec=5,qnum=5) -「労働」というと、ついつい、畑を耕したり、船をこいだり、といった目に見える身体的な活動をイメージしてしまうが、そうした活動を通じて、外部のモノを操作している点が「労働」の本質です。 -その意味で「数える」「はかる」「計算する」ことは基本中の基本、ある意味で労働の本質です。 -このことを理解することは、情報通信技術が発達するなかで、現代の労働がどのように変わるのかという問題を考える重要なヒントになります。 -「数える」「はかる」「計算する」ことなんて、労働のまえに、あるいは労働のそとでだれかがやること、労働そのものは、汗水垂らして身体を動かすことだ、といった労働観では、コンピュータが労働に及ぼす影響など、考えられません。 #enddivregion **まとめ &new{2019-10-24 (木) 10:39:38}; [#n0e24907] -「数える」ことと「計算する」こととはまた別です。 -「リンゴが一つ、二つ、三つ....、九つ。九つあるネ。」というには、「リンゴ」はどれか、バナナが一本、二本、と区別できないと無理です。 -プログラムのコードに、変数名で $apple=9, banana=2$ と書いても、コンピュータが処理する過程では$apple$でも$pleap$でも$nabana$ でもおなじことです。メモリ上のアドレスを指すだけで、ただ人間のプログラマーが$9$がなにかを「記憶する」のに変数名が$apple$だとリンゴの数だなとわかりやすいというだけの話。 -というわけで、とにかく、コンピュータは「数える」ことができない(絶対にとはいいません。ただむずかしいのはたしかです)。 -だから、今のところ、「数える」という仕事はプログラマが管理しているのです。ただ数えられた数の処理(単位をとってしまった$9$の計算)はめちゃ速いのです。$print(apple+banana)$とやれば、すぐにコンソールに$11$と返してきます。 -....が、この$11$って? -コンピュータ側からみえれば、なにもわかりません。リンゴの数とバナナの数を足しちゃダメ、といっても、プログラムコードを実行する側にはわかりません。この$9$や$2$の「意味」は、プログラマーのみぞ知る。 -プログラムを書くって、要するに、数値から「意味」を取り除くことなのだ..... -といわれて、.....「なるほど、そういうことだったのか」とうなずいちゃった人、ホントにそう? #qanda_set_qst(5,102,0){{ プログラムを書くとき、人間のプログラマは、数値と「意味」を切り離す必要がある。これは真か偽か、理由は? }} #qanda(5,102) *暗算と筆算 [#n37196b9] -「数える」ことと「計算する」ことは別ですが、 -この計算には時間がかかります。そのため、むかしから、いろいろな工夫がなされてきました。 -その発展の歴史をふりかえってみることは、コンピュータとは何かを知るヒントが得られます。 #qanda_set_qst(5,6,0){{ <p>小学校にあがるまえの小さな子供でも、指を使って「2+3は5」と計算できるようになる。</p> <p>「じゃ、7+8は?」ときいてみよう。どうやって計算するか。</p> <p>自分が子供だったとき、どうしたか、思いだしてみよう。</p> }} #qanda(5,6) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=5) -片手の指は5本しかないから.... -計算の[[アルゴリズム>WikiPedia.jp:アルゴリズム]] --計算はアタマでやると思っている人が多いが、実は --道具をつかった計算が基本。 --指もりっぱな計算という労働の手段。 -モノをつかった計算 --リンゴが20個ある、これを3人で分ける... --棒や小石をつかってモデル化.... --モノに計算させることはできるか? -数字の利用 --筆算も道具をつかった計算 --ローマ数字の意味 --数字とは #enddivregion *そろばん [#w946c302] #qanda_set_qst(5,7,0){{ <p>ソロバンを機械だという人はいない。たぶん....</p> <p>ふつうソロバンといったら、道具だという。</p> <p>ソロバンのどこが、機械ではなくて、道具だといわせるのだろうか?</p> }} #qanda(5,7) #divregion(解答,admin,lec=5,qnum=7) -指でソロバン玉を動かしているところ? 人力=道具 にみえるのか? -[[歯車をつかった計算機>WikiPedia.jp:機械式計算機]]もあったが、これは人力でも、やはり計算'''機'''='''機械'''なのか? -コンピュータは道具か、機械か、を考える一つのヒントになる。 #enddivregion #divregion(計算の道具,admin,lec=5,qnum=7) -アタマのなかでおこなう計算の一部をモノにになわせる。 -7,8を読み取る(聴き取る)のは人間、 -ただ、そろばん玉を移動させるのは機械的な動作。 -ここで、アタマに計算させてはいけない。意味を考えない。 -機械的なルールにしたがって、指でそろばん玉を動かす。 -モノとしては、ソロバン玉の位置状態が変わっただけ。 -ソロバン玉は数を示してはいない。 -結果としてのそろばん玉の位置から、再び数を読みとることができるのは人間。 -日本では「読み書き算盤」は江戸時代から寺子屋などで教えられた。 -第二次大戦後になっても、足し算引き算中心の計算ではソロバンのほうが便利で安くはやかった。 -小学校でも教えていたし、商業高校なのでは必須。会社にはってからバリバリつかっていた。 -計算も、ソロバンという道具=労働手段をつかったりっぱな労働である。 -道具をつかわない労働は、なかなか標準化できないが、道具をつかうとようになるとある程度標準化できる。 -一定の計算をするのに必要な時間は、一定のトレーニングできまる。ソロバンの級。 #enddivregion