#author("2020-06-07T09:39:41+09:00","default:obata","obata") #author("2020-06-07T09:40:29+09:00","default:obata","obata") CENTER:[[前回 ◁ >2020年度/夏学期/第3講]]&color(#447CFF){第 &size(32){4}; 講}; [[▷ 次回>2020年度/夏学期/第5講]] ---- #qanda_setstid(2020-05-28 16:10:00,90) #qanda_who ----- CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){商品貨幣};}; ---- //✔ REC &color(red){ON}; ? //✅ 接続チェック //#qanda_set_qst(4,20,0){{ //<p>✔ 接続状態をおしえてください。</p> //<p>✔ 前回学生証番号を登録した人で、今回、「氏名不詳」になっていた人は「再登録」と書い//てください。</p> //}} //#qanda(4,20) **等価物による表現 [#va92f223] #divregion(価値は''表現''される,h1,lec=4,qnum=20,admin) -ここまでで証明された命題:商品が存在すれば、&br; < ①かならず価値が''ある''&br; ②その価値はかならず''表現''される。 < -表現というのは、見えないなにか something を見えるモノ the thing で示すことです。 -前回話した、見えないレイアから見えるレイアへ、というあの''レイア越え''です。 #enddivregion #qanda_set_qst(4,1,0){{ <p>表現(あらわす)と計量(はかる)はどう違うのか。</p> }} #qanda(4,1) #qanda_scorechart(4,1) #divregion(解答,lec=4,qnum=1,admin) -計量はだれがはかっても同じ結果になる。 -表現は人によって異なる結果になることがある。 #enddivregion #divregion(解説,lec=4,qnum=1,admin) -リンゴ1個ををみたって、だれもそこに重さそのものはみえません。 -リンゴの重さという性質を、100グラムの鉄の重りではかっているのです。 -重さという性質が、何キロという重量で計測させるわけですから、計量もそのかぎりではレイア越えをしています。 -でも、計量はだれがはかろうと、客観的にきまります。 -リンゴ1個の価値は、状況に応じてミカン3個だったり2個だったり変わってきます。 -解答は「人によって」となっていますが、ちょっと問題あり。 -人によって主観的に変わると昔の教科書(このテキストの教科書もちょっと古くなってきました)には書いてあったのですが、 -多種多様な大量の商品で構成される''環境''の状態を、人が判断することによって変わるのです。 -芸術作品などなら、作者の個性で表現が変わる、といってもよいのですが、価値の表現はちょっと違って、商品の持ち主は、できるだけ客観的に''状況''を判断しようとするのですが、この''判断''に人によってズレが生じるのです。 -リンゴの重さを量るときにはこんな''判断''の余地はないでしょう。 #enddivregion #divregion(''等価物''で表現される,h1,lec=4,qnum=1,admin) -商品の価値は、他のさまざまな商品の物量で表現される。 -表現に使われる商品(の物量)を''等価物''という。「等しいもの」equivalent という意味です。 --「リンゴ1個がミカン3個に等しい(値する)」というとき、ミカン(文脈に応じてミカン3個)がリンゴ(1個)の等価物である。 -定理:''商品の価値は等価物によって表現される''。 #enddivregion **貨幣 [#wccb8380] #divregion(貨幣の定義,h1,lec=4,qnum=1,admin) -すべての商品が、共通の商品でその価値を表現するようになったとき、この共通の商品を''一般的等価物''とよぶ。 -一般的等価物によって、すべての商品がもつ価値は、共通の統一された表現を与えられる。 -さらに一般的等価物が、持続性(今日も明日も....)をもったとき、これを''貨幣''とよぶ。 -この発展した究極の価値形態が、貨幣による表現である。 -「発展した究極の」の意味は > +単一性(共通の等価物に統一) +持続性(日々一般的等価物が替わることはない) < である。 #enddivregion #divregion(貨幣の必然性,h1,lec=4,qnum=1,admin) -「商品だけが存在し,貨幣は存在しない」ということは論理的にありえない。 -貨幣の存在は論理必然的 if (exist(商品)== TRUE) : then exist(貨幣) == TRUE > +価値はかならず価値形態をもつ。 +価値形態はかならず持続的な一般的等価物を生みだす。 < #enddivregion #qanda_set_qst(4,2,0){{ <p>風は見えないが、揺れる木の葉に現れる。しかし、風の現れ方はさまざまだ。だから、見える現象を切り捨てることではじめて、見えない本質は捉えられるのだ。</p> <p>この主張は正しいか誤りか、理由を述べよ。 }} #qanda(4,2) #qanda_scorechart(4,2) #divregion(解答,lec=4,qnum=2,admin) -誤り。 -なぜなら、「見えない風がまず存在する」という大前提が証明されていないから。 #enddivregion #divregion(解説,lec=4,qnum=2,admin) -難問です。 -「見えない風が存在する」というのは、アタリマエのようですが、でもアタリマエは当たり前じゃない。 -多くの場合は、アタリマエは当たり前だという常識の世界に安住していて問題はないあのですが、 -「貨幣とはなにか」という問題は、アタリマエの世界では、堂々巡りにおちいってしまいます。 -ここを突き抜けるには、「価値の現象形態とは別に、価値が存在する」という大前提を捨てなくてはダメ。 -「揺れる木の葉(現象)を切り捨てると、風の本質がわかる。」という科学観を卒業しよう。 -直接みえない自分の身体の様子は、身体の影から切り離して分析できません。 -商品の価値も、その価値形態から分離して捉えることはできません。 -だから、価値の「形態」に対して、価値の「実体」というタームをもちいる経済学の常識は棄却します。 -教科書の問題11「「商品の使用価値に対する価値の規定は, さらに価値の形態と実体とに二重化される. 商品の価値は,価格比として価値形態と,そ れを規定する労働の量関係としての価値実体からなる」 という人がいる. このような価値の形態と実体という対概念は必要か.」にチャレンジしてください。 -「価値には「実体」と「形態」がある」といった、''わかりやすい''だけの二分法に''だまされ''ない体力が多少はついただでしょうか。 #enddivregion #divregion(after &new{2020-05-30 (土) 13:38:12};, lec=4,qnum=5,admin) -見える現象から見えない本質がわかる、という帰納論的な回答が多くありました。 -厳密に採点すると0点ですが1点にしてあります。誤答ですので、これでよいとは思わないでください。 -まず目に見えない本質(実体というひともいますが)があって、それがさまざまな現象になって現れる、という見方そのものの誤りを指摘したものが正解です。 -なお「目に見えていることだけが全てでは無いので見える現象を切り捨てることで、見えない本質が明らかになる」から「正しい」というような回答がありました。 -「正しい」として、素直にこう回答した人は2点だしました。自然科学をやっている人の多くはこう考えているわけで、一つの立場として一貫します。 -私の話に引きずられて「誤りだ」としがら、理由として、現象と独立になお風という本質が存在すると想定して答案をつくった人は、ホントは不正解、0点です。 ------- -ここで少し難しい言葉の使い方を紹介しておきます。 --「目に見えない」というのは「超越的な」といいます。transcendent です。こういう言葉はwebで検索するとわんさかワケのわからない説明がでてきます。この講義ではできるだけこうした迷宮にはふみこまずに、大事なことが語れるように道案内します。 --「目に見える」というのは、五感でわかるということの代表で目に見えなくても「聞こえる」「さわれる」などでもOKです。こうした五感でわかることを「知覚」 perception といいます。 --「本質」というのも難しいことがですが、これを「実体」という人もいます。同義ではないでしょうが、要するに、知覚できない、超越的な(←この講義ではNG用語) something がまず存在し、これが見える現象を支配しているという常識(←これもNG用語)です。 --「実体」といった場合は、「形態」という用語を対(ペア)にするのがふつうで、こうすると《''風の「実体」''がさまざまな''風の「形態」''で現象する》などという、人をわかったような気にさせる(わからないとなんだか自分がまだ勉強不足なんじゃないかと不安になる)ムズかしい文を簡単につくることができるわけです。 --なお、現象を「切り捨てる」の「切り捨てる」は、捨象といいます。文字通り、現象を捨てるの意味で、abstract です。現象を捨象すると、本質が引きされるわけで、これを「抽象」といいます。「抽」は引っぱるの意味で「捨」の反対です。英語ではこっちも abstract です。 --抽象化すれば、基本的な要因で理論モデルがつくれる。ここでは演繹的な推論が自由にできる。強力な推論装置である数学だってここなら使える。そこで得られた結論は、現実のさまざまな現象とはズレが生じるが、それはノイズのせいで、基本は理論モデルでわかるのだ..... --「現象を捨象することで、本質が抽象できる。」これをナルホドなんて思わないように、論理力を鍛えようというのがこの問題の目的です。 --「現象を捨象することで、本質が抽象できる」というアプローチが誤りだというのではありません。ただこれはあくまで一つのアプローチ、このアプローチがすべてだ、科学的なアプローチはこれしかない、という思う心の浅はかさ。これがすべてではないこと、これがすべてだと思うと、見えなくなる something else があること、その代表選手が貨幣なんだ(←最後の「...なんだ」はまだ説明してませんが、あの講師はこういうことがいいたいんだろうな、くらいの直感ははたらくでしょう)、ということに気づけばOK。 --ついでいうとこういう思い込みを「イデオロギー」といいます。「近代科学は、超越的な世界を仮想したイデオロギーのうえに立っている。」...なんてアレコレ引き回れてムズかしい決め言葉をいわれると、「そうなのか」と早とちりする人がでてきまう。しかし、この「そうなのか」も一つのイデオロギー。イデオロギーのなかで最強なイデオロギーは、自分だけはイデオロギーから自由だというイデオロギーです。こういう再帰的な問題に深入りすると、タマネギの皮むき、自虐の極にむかうことになるわけで、やめましょう。 //「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」 「イデオロギーなしには生きて行けない。そのイデオロギーを疑えなれなければ生きている資格がない。」[[どこかできいたセリフ>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%A6]]ですが、このあたりが正着でしょう。 -難しいことを書きましたが、こうした論理的思考は単一の点数(スカラー値)などでは評価できません(じゃ、ベクトルならその大きさはどう評価できるのか? この問題はこの講義のもうちょっと先で考えます)。結果の点数なんかにとらわれず、自分でチャンと考えることがいちばんたいせつです。 ------ -はじめに記したように、見えない風の存在を前提に、現象からそれがわかるから、現象を切り捨てるのはダメ、と答えた人は、「1点もらったからマーいいや」じゃなくて、「いい加減な採点だなー」とわかれば3点です。 -採点は「大学で講義をして単位をだす」という、論理的に考えれば不可能な要請に、プラクティカルに順応しているものです。出席してちゃんと話の流れに沿って考えてみました、という努力賞のような「教育的効果?」も多少考慮に入れています。 -ただプラクティカルということと、いい加減に、ということとはまったく別です。プラクティカルに可能な範囲で厳密に採点してゆきます。 -ただそのうえで、採点ポイントは「木の葉の揺れ」です。「木の葉の揺れ」と独立に「風なるもの」が存在するように(←この「断定」が誤りなんです)、ここでの採点ポイント(現象)とは独立に、評価されるべき採点対象(本質)が存在するというイデオロギーにいつまでもとらわれていると、肝心な論理力はちっとも身につきません。 #enddivregion ***✔ ホントにわかったか [#ufa6dd87] #qanda_set_qst(4,3,0){{ <p>直接目に見えないリンゴの価値を、「リンゴ1個はミカン3個に等しい」というかたちで、目に見えるようにするのに必要なのはミカンの物量だ。つまりミカン何個というように数えられればよいのだから、等価物であるための必要にして十分な条件はモノであることである。</p> <p>この主張は真か偽か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(4,3) #divregion(解答,lec=4,qnum=3,admin) -偽 -価値表現に必要な等価物は、それ自身、価値をもつ''商品''であることが必須。 -ミカンの価値は、直接測ることはできないが、 -①ミカン1個は一定の価値をもっているとすることで(つまりミカンを等価物にすることで) -②リンゴ1個の価値は、ミカン3個に等しいと表現できる。 -モノであることは必要条件、必要十分条件は商品であること。 #enddivregion #qanda_scorechart(4,3) #qanda_set_qst(4,4,0){{ <p>「印刷すれば貨幣はいくらでもふやすことができる」というのが誤りなのは、印刷された紙片はそもそも( )ではないので( )をもたず、等価物になりえないからである。</p> <p>( )にはいる各単語を、半角の空白で区切って1行で答えよ。</p> }} #qanda(4,4) #qanda_scorechart(4,4) #divregion(解答,lec=4,qnum=4,admin) -商品 価値 #enddivregion #divregion(解説,lec=4,qnum=4,admin) -①貨幣は等価物の発達したすがたであり、②印刷されたものは等価物になりえない、という論理。 -①はここでは当然のこととして前提したが、この前提の妥当性は先週1時間半かけて検討しました。 -等価物とは何かを厳密に定義しておくことが、貨幣はタダの紙きれでよい、記号にすぎない、という主張に対する根本的に批判する基礎となります。 -「貨幣は無価値な紙きれでよい」という主張に対して、「貨幣は、商品の価値の大きさを表すもの、だから、価値のないモノでは価値を表示できない」と答えたことになります。 -「貨幣はリンゴをミカンに交換するための手段。交換の結果、消えてなくなるの、だから紙でもよい。いや、よく考えてみれば、紙に書かれた数値なんだから、もともとそれ自身に価値などないのだ。」という人を納得させるのはたいへんですが、これでどうで納得できたでしょうか。 -交換(正確には販売)のまえに、商品ならその価値を表示する必要があり、タダの紙きれやタダの記号では、それを使って値段のつけようとしてもつけようがないでしょう。 -「値段をつける」というのは、つまり「価値を表現する」ということなのです。 -このように、商品の価値表現を貨幣の第一規定と考え、商品価値から貨幣を説明する立場(考え方)を''商品貨幣説''とよびます。 #enddivregion #qanda_set_qst(4,5,0){{ <p>等価物になりうるのは、商品の実物以外にはない。</p> <p>真か偽か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(4,5) #divregion(解答,lec=4,qnum=5,admin) -偽 -商品を引き渡すという「債権」も、商品の実物とは異なるかたちでだが、商品価値を代表している(商品価値と結びついている)ので等価物になりうる。 #enddivregion #divregion(解説,lec=4,qnum=5,admin) -等価物は「価値をもつ」商品でなくてはならないが、「価値をもつ」というのは「モノをもつ」ことではない。 -ミカンが商品になれば、モノとしてのミカンの物量1個 P と、商品としてのミカンがもつ価値 X が結びつく。 -ミカン1個を受けとる権利 Q でも、商品としてのミカンの価値 X に結びつく。 -Q は証書のかたちをとる。さしあたり倉荷証券とか、船荷証券といった有価証券(譲渡可能な証券)をイメージすればよい。 -等価物には > +モノそのものを用いた物品型 +モノに対する請求権を用いた債権型 < がある。 -1.の発達したすがたが、金貨幣を代表とする「物品貨幣」 -2.の発達したすがたが、銀行券を代表とする「信用貨幣」 #enddivregion #divregion(after &new{2020-05-30 (土) 15:21:12};,lec=4,qnum=5,admin) -この問題は、私のミスタイプで、回答を送信するまえに、▶「解答」 がひらける状態になっていたので''採点の対象外'' とします。 -「債権」なんて、簡単にはでてこないはずの回答が続出、アレッ、と思ったら、そういうことでしたか。 -答案以外のことを回答欄に書いたらマイナス点にします、と伝えてありますが、こういうときは例外。 -「解答をみて書きました」と正直に書いてあれば、その正直さに胸打たれ、思わず加点してしまったかも.... -ということで、もう一問、あらたに問題4-6,4-7 を追加してみました。&new{2020-05-30 (土) 15:21:12}; #enddivregion #divregion(要するに,h1,lec=4,qnum=5,admin) -貨幣とは何か? 持続的な一般的等価物 -これじゃ、子供に説明できないというなら... すべての商品の価値を、ある期間を通じて表現できるもの --「すべての」→「一般的」(自分をのぞく「すべての」なのですが) --「ある期間を通じて」→「継続的な」 --「価値を表現できるもの」→「等価物」 < -等価物の資格には > +モノそのもの +商品を引き渡すという債権 < の2タイプがある。&br; したがって、商品価値説によって説明できる貨幣にも、 > +物品貨幣 +信用貨幣 < という二つのタイプがある。 -日本銀行券を基本とする今日の貨幣制度は、信用貨幣によるもの。 -日本銀行券の正体については、次回以降、詳しく説明するが、 -ここまでで、 > 日本銀行券が商品貨幣説で説明できる信用貨幣である < ことをひとまず確認しました。 #enddivregion #qanda_set_qst(4,6,0){{ <p>等価物になりうるのは、商品の実物以外にはない。</p> <p>この命題は偽である。なぜなら</p> <p>近年普及している仮想通貨などが反例となる</p> <p>から。</p> <p>さて、この推論は正しいか否か、その理由を述べよ。</p> }} #qanda(4,6) #qanda_scorechart(4,6) #divregion(解答,lec=4,qnum=6,admin) -「仮想通貨」なるものがあって、それが「貨幣」であることを先取りした(前提した)論理。 -反例にもなんになっていません、最悪。 #enddivregion #divregion(after,lec=4,qnum=6,admin) -「仮想通貨」は貨幣でないから偽、という回答もけっこうあったのですが、 -「仮想通貨」は貨幣なら真、とはならないのと同様、 -実は、不正解です。 -「仮想通貨」が貨幣かどうか、その判断の基準となる貨幣の基本的定義を考えているときに、 -ナマの実物を突きつけて、反例がある、というか、反例にならないか、というか、の違いに過ぎません。 -いまは実物による反例主義が通用しない原論の世界をさまよっていることを自覚しましょう。 --反例あるなし論は、 --黒板にチョークで点を書いて、 --二点間を結ぶ直線は一つしかない、といったとき、 --虫眼鏡で拡大して、二点間を結ぶもう一つの直線もあるじゃん、 --といっているようなものです。 -ただし、《「仮想通貨」は貨幣でないから偽》という種類の回答も、正解に近づく、微かな兆候に期待しつつ、偽としたそれなりの理由に応じて、ゼロ点にはしませんでした。 -なお、この問題は答え方の適否をきいているのであり、命題の真偽を尋ねているのではありません、真とか偽とか答えた人は注意しよう。 #enddivregion #qanda_set_qst(4,7,0){{ <p>等価物になりうるのは、商品の実物以外にはない。</p> <p>この命題は偽である。なぜなら</p> <p>債権などもなり得る</p> <p>から。</p> <p>さて、この推論は正しいか否か、その理由を述べよ。</p> }} #qanda(4,7) #qanda_scorechart(4,6) #qanda_scorechart(4,7) #divregion(解答,lec=4,qnum=7,admin) -なんで「など」なの?これまでの苦労も水の泡。 -「物品」(商品の実物)でなければ「債権」というように漏れなくいえるように、「債権」にキッチリした定義を与えよう。慚愧。 #enddivregion #divregion(after,lec=4,qnum=7,admin) -①債権とはなにか、の説明: --たとえば、《商品を引き渡すという「債権」》のように -②なぜそれも等価物になれるのかの説明: --たとえば《商品価値を代表している》とか、《商品価値と結びついている》とか.... -この二つも必要なのですが(①②各1点としましょうか) -「など」の処理が最大の問題です。これが指摘できていたら①②に触れずとも3点、みたいな感じですが、そういう回答はありませんでした。 -「債権」をキッチリ定義して「債権」というのと -「債権など」というのとは大違いです。 -なぜ大違いなのか、というと「債権など」というのは、実は(A)だからです。 #region -A:反例主義 -A':「仮想通貨」もあるからというのと同じ #endregion #enddivregion