#author("2021-10-21T15:01:53+09:00","default:obata","obata")
#author("2021-10-28T15:40:05+09:00","default:obata","obata")
CENTER:[[前回◁>2021年度/冬学期/第1講]]&color(#447CFF){第&size(32){2};講};[[▷次回>2021年度/冬学期/第3講]]
#qanda_mathjax
#qanda_setstid(2021-10-14 16:10:00, 90)
#qanda_who
-------
✔RECONチェック&br;
✅接続チェック

#qanda_set_qst(2,20,0){{
<p>&#x2714;接続状態をおしえてください。</p>

<p>&#x2714;なお、前回学生証番号を登録した人で、今回「氏名不詳」になってしまった人は「再登録」と書いてください。</p>
}}
#qanda(2,20)

-----
CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){&nbsp;再生産&nbsp;};};
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**今回のネライ [#da0ef4e1]
+労働と生産の関係を整理する。
+生産とは何か、厳密に定義する。
+再生産という考え方になれる。
+自然環境と人間の経済の関係について考える。

**労働と生産の関係 [#ideb3e03]
#qanda_set_qst(2,1,0){{
<p>A君:「人工知能が発達すればやがて労働はなくなるよ。」</p>
<p>B君:「ということは生産もなくなるということだね。」</p>
<p>A君:「それは違う。だって(...)」</p>
<p>質問:どんな発言が(...)には入るだろうか?</p>
}}
#qanda(2,1)
#qanda_solution(2,1){{
<h4>解答</h4>
<p>「生産と労働は別。労働がなくなっても生産はおこなわれる。つまり、労働のない生産もあるっていうことさ。」</p>
}}

#qanda_set_qst(2,2,0){{
<p>この講義は、おもしろいか、つまらないか、のどちらかでしょう。「おもしろい」と「つまらない」のように、正反対のものを対(つい)といいます。</p>
<p>生産の対をなす用語は消費です。</p>
<p>生産は何かが(A)こと、消費は何かが(B)ことだからです。</p>
<p>(A)と(B)には、おもしろ、つまらない、のような対をなす動詞がはいるはずです。なんでしょうか。</p>
}}
#qanda(2,2)
#qanda_solution(2,2){{
<h4>解答</h4>
(A)ふえる(B)へる
}}

#divregion(シッカリした概念をつくろう,admin,lec=2,qnum=1)
#qanda_raw{{
  <div id="ben-diagram"></div>
  <script src="./js/konva/coordinate.js"></script>
  <script src="https://unpkg.com/konva@8/konva.min.js"></script>
  <script src="./js/konva/2020/ben-diagram.js"></script>
}}
#enddivregion

#divregion(概念を組み立てよう,admin,lec=2,qnum=1)
#qanda_raw{{
  <script src="./js/konva/coordinate.js"></script>
  <script src="https://unpkg.com/konva@8/konva.min.js"></script>
<div id="labourProductionArrow"></div>
<script src="./js/konva/2021/labourProductionArrow.js"></script>
}}
-「生産-消費」と「労働」は直交する。
-つまり相対的に独立した関係。
-多くの場合「労働によってモノの量がふえる」。つまり「労働による生産」が「生産」とみなされてきた。
-しかし消費でも労働はなされる。家事労働などはこれ。医療やケアなども何かを生産しているわけではないが、労働がなされている。
-「労働」の定義はこのあとでおこなうが...
-今回の講義では、先に「生産」、次に「労働」の順で話します。
#enddivregion

**生産の概念 [#m391670d]
-質問2-3から採点にはいります。&new{2021-10-14 (木) 19:05:18};

#qanda_set_qst(2,3,0){{
<p>生産とは「何かがふえる」ことだ。「ふえる」はわかるが、「何かが」という、この「何か」とは何か?「何か」に求められる、最低限必要な要件を<strong>一つ</strong>あげよ。</p>
}}
#qanda(2,3)
#qanda_solution(2,3){{
<h4>解答</h4>
<p>はかれること。客観的な計量可能性。</p>
<h4>解説</h4>
<p>客観的にはかれる対象をこの講義では<a href="https://gken.jp/tus/index_ctl.php?2021%E5%B9%B4%E5%BA%A6/%E5%A4%8F%E5%AD%A6%E6%9C%9F/%E7%AC%AC2%E8%AC%9B#g4a58063">モノ</a>とよぶ。</p>
<p>「モノ」は物質と同じではない。「物」はよく物質の意味で使われるので、あえてカタカナで「モノ」と表記する。</p>
<p>デジタルデータはビットという単位ではかれるモノ。</p>
<p>同種の互換的な労働も労働時間ではかれるモノ。</p>
}}

#qanda_set_qst(2,4,0){{
<p>「質量保存の法則」というのがある。モノがふえるというが、必ずそのときは、別のモノが減っているはず。だから、純粋な生産などありえない。</p>
<p>この主張は正しいか否か。理由を述べよ。」</p>
}}
#qanda(2,4)
#qanda_solution(2,4){{
<h4>解答</h4>
<p>正しくない。「ふえる」というのは、すべての現象を対象としているのではない。限られたモノを取りだして(切り取って)、その関係を述べているのだから。</p>
<h4>解説</h4>
<p>人間は複雑な現象のなかに、原因と結果の関係を見いだす。原因となるモノのセットが結果となるモノのセットに変わることを「自然過程」とよぶ。自然過程は客観的な自然法則が支配する「モノとモノとの反応過程」である。</p>
<p>原因となるモノのセットを「投入」Input、結果として生じるモノのセットを「産出」Output とという。</p>
<p>自然過程は人間が自然現象から切り取った(トリミングした)一部分である。</p>
<p>人間は、自然過程をコントロールできると考えている。しかし、自然過程は閉じた系ではない。外部の自然環境から、何かを取り入れたり排出したりしている。ただ、この「何か」を無視することで、コントロール可能だと思っているだけである。</p>
}}

**自然過程 [#y61ecf43]
#divregion(教科書の解説,admin,lec=1,qnum=4)
教科書 101ページ
>
-もう一度,出発点に戻って,モノと主体の関係についてふり返っておこう.主体を取り囲むモノの層で,いちばん基底を構成していたのは,「自然的属性」であった(図1.1.1). モノは他のモノと自然的属性のレベルで関連をもち,互いに反応し変化する.ここでは自然科学によって解明される自然法則が支配している.主体はこのような法則を認識し,モノどうしの間に一定の因果関係をみいだすのである.主体は,さまざまなモノに囲まれながら,そのなかの何かに関心を抱く.この関心は,「有用性」というモノの第2層に結びついている.そして関心の対象が絞られると,その対象を中心に,モノの世界を秩序だてて認識するようになる.主体はさまざまな外的な世界の複雑な反応を,
>
+特定の出発点とその帰結に分割し(過程の認識),
+原因と結果が対応した繰り返しとして(法則性の認識)
<
理解する.過程というのは,現実には複雑で連続的な変化を,有用性の観点から,始点「●」と終点「〇」とに二分する認識方法である.●一►〇の一►が過程である.法則性というのは,始点から終点が必然的に導きだされるという主体の認識である.このようにして理解された,モノとモノとの反応を自然過程とよぶ.主体の身体や,おそらくある範囲までは,心も自然過程のうちにある.
-例えば,食料として有用な小麦に関心がある主体は,種子として播かれた小麦がやがて多くの実りをもたらすことを認識し,次のように記述するだろう.
 小麦20kg●---►〇小麦30kg
-ただし,これはあくまで,主体の認識レベルにおける記述である.自然過程は,「自然」を主体がトリミングした「過程」である.自然界の複雑な反応そのものではない.
<
#enddivregion

**技術 [#i3a96e5f]
-自然過程は客観的な自然法則によって支配されている。
-モノとモノの関係を正しく認識できれば、投入と産出の間に客観的な関係が再現される。
-この客観的知識を''技術''とよぶ。
-一定の技術に基づき、生産である(ふえること)がわかっている自然過程を''生産過程''とよぶ。
-工学や農学は自然科学をベースに自然過程をコントロールする方法を研究する学問である。

**再生産 [#k4d6178d]
-投入と産出が同じモノ(たとえば小麦)であるケース
$$小麦20kg \longrightarrow 小麦30kg$$
-再生産の定義:産出から投入することにより繰り返される生産を''再生産''とよぶ。

#divregion(教科書の説明,admin,lec=2,qnum=4)
教科書142ページ
>
この場合,出発点となる小麦はどこからでてきたのか.先行する自然過程の産出からであろう. では,その産出のための投入はどこかでてきたのか.それは,さらに先行する過程の産出からであろう. これは,どこまでも遡る. しかし,産出の一部が再び投入されると考えると,帰結から出発点に戻る関係として捉えることができる. 時間の流れのなかで進行する生産を,復帰を伴う循 環として捉えたものが再生産である. 投入と産出が分離可能なのは,その間に期間が介在するからである. 投入から産出までの期間を生産期間とよぶ.
<
#enddivregion

#divregion(再生産:シンプルなケース,admin,lec=2,qnum=1)
#qanda_raw{{
<div id="reproductFrame"></div>
<script src="./js/konva/2021/reproductFrame.js"></script>
}}
#enddivregion

**粗生産物と純生産物 [#uca3a72c]
-産出全体を''粗生産物''とよび
-産出から投入を差し引いた残りを''純生産物''とよぶ。

#qanda_set_qst(2,5,0){{
<p>再生産が可能であるには、純生産物が必要である。</p>
<p>真か偽か、理由を述べよ。</p>
}}
#qanda(2,5)
#qanda_solution(2,5){{
  <h4>解答</h4>
  <p>真。再生産が持続可能な条件は純生産物がマイナスにならないこと。純生産物がゼロの場合も純生産物があるとみなせば、真。</p>
  <h4>別解</h4>
  <p>偽。純生産物がゼロでも持続可能であるから。</p>
  <h4>解説</h4>
  <p>人間が生存するためには、純生産物がプラスでなくてはなりません。この問題は、労働を考察する次の段階で考えてゆきます。</p>
  <p>モノの再生産と人間社会の持続との間には区別があることがわかればきょうはOKです。</p>
  <h4>After</h4>
  <p>採点してみてわかったことですが、上の「解答」はあまりよくありません。</p>
  <p>整理すると</p>
  <ul>
    <li>生産なら「ふえている」つまり純生産物があるはず、という回答がありました。</li>
    <li>再生産も生産であるから、当然、純生産物がなくてはならない、というわけです。</li>
    <li>この回答は一理ありますが、実はここには用語のズレ、混乱があります。</li>
    <li> 「再生産」という言葉は、産出がもう一度投入される(戻される)ことに重点がおかれています。</li>
    <li>その意味では「縮小再生産」という用語もあります。「拡大再生産」が対になります。さらに拡大も縮小もしない、同じ規模で繰り返す場合を「単純再生産」といいます。</li>
    <li>《「ふえる」が生産、「へる」が消費だ》という用語法とは矛盾します。縮小再消費、などという用語は通用しません。</li>
    <li>出題の「再生産」が、拡大、単純、縮小のどれを指しているのかが明示されていないので、正解はいくつかでてくるのです。</li>
    <li>その意味で、よい問題ではありませんでした。</li>
  </ul>
}}

**循環 [#y075426a]
-再生産は産出物がもう一度投入されることで、''循環'' cycle を形成する。

#qanda_set_qst(2,6,0){{
<p>「自然環境の破壊は、再生産のサイクルが損なわれる結果として生じる。」</p>
<p>真か偽か、理由を述べよ。</p>
}}
#qanda(2,6)
#qanda_solution(2,6){{
  <h4>解答</h4>
  <p>偽。再生産は、外部との物質やエネルギーのやりとりを人間がアタマのなかで無視するすること(トリミング)で、そうみえているだけであり、たえず自然環境に影響を与えている。</p>
  <h4>解説</h4>
  <p>生産(再生産)が自然破壊にならないのは、自然環境のなかにほぼ定常的な状態を維持する大きな循環が存在するため。<a href="https://www.google.com/search?client=safari&rls=en&q=%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E5%8F%8E%E6%94%AF%E3%81%AE%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E3%81%AA%E5%9B%B3(EOSPSO%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%82PD+USGov)&ie=UTF-8&oe=UTF-8">太陽光エネルギーのスルーアウト</a>。これは循環ではない。スルーアウトによって地球上の長期短期の大小さまざまな循環が引きおこされる。</p>
  <p>生産(再生産)が自然破壊にならないのは、自然環境のなかにほぼ定常的な状態を維持する大きな循環が存在するため。<a href="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9b/Keihl_and_Trenberth_%281997%29SunClimateSystem.JPG">太陽光エネルギーのスルーアウト</a>。これは循環ではない。スルーアウトによって地球上の長期短期の大小さまざまな循環が引きおこされる。</p>
  <p>人間がおこなう再生産は、この自然の循環に対しては撹乱要因。</p>
  <p>再生産の循環は人間が切り取った自然過程についていえること。この循環には、人間の知的能力では、そのすべてを計り知ることのができない、複雑な物質の形状変化、エネルギーの状態変化に依存している。</p>
  <p>農業は工業に比べ、自然環境を破壊しないといわれるが、論理的にそう言えるか?</p>
  <p>農業の定義はむずかしいが、投入と産出の中心が植物や動物である生産と定義する。</p>
  <p>人間の知的能力の限界は、農業・工業を問わず、当てはまる。</p>
  <h4>After</h4>
  <p>ライブの講義のとき、画面共有ができていませんでした。次回、あらためて...</p>
  <ol>
    <li>回答 37にあるような「完璧に再生産が行われていれば、環境を破壊することはない」は真か、という問題になります。これは「再生産」とか「持続可能な成長」とかが可能か、という問題を考えるとき、落とし穴になります。質問8で尋ねていることです。</li>
    <li>50「再生産のサイクルが損なわれると、それを補うために原材料等が必要となるから、結果的に自然環境を破壊する事になる。」というのもありました。if《自然環境を破壊しない再生産のサイクルがある。》then 《これが損なわれると環境が破壊される。》という推論になっていると理解しました。この前提(if)を否定すると、どういう結論(then)になるか、が問題です。</li>
  </ol>
}}

#qanda_set_qst(2,7,0){{
<p>再生可能エネルギーとは、再生産が可能なエネルギーという意味である。</p>
<p>真か偽か、理由を述べよ。</p>
}}
#qanda(2,7)
#qanda_solution(2,7){{
  <h4>解答</h4>
  <p>偽。
    再生産はモノの循環、エネルギーは循環しない。
  <h4>解説</h4>
  <p>「再生産は循環であるが、エネルギーは循環しない。」って、ちょっと短すぎますが、思い切り短くいえば、循環するかしないかで、ザックリ答えるこんな回答もアリということです。時間があれば、もうちょっと丁寧に書きましょう。</p>
  <p>ということでさて、もし、エネルギーが循環するのであれば、永久機関だってOKのはず。</p>
  <p>再生可能 renewable とは、その系で使っただけのエネルギーがただちに(といってよいくらい短いスパンで)系の外部から「入ってくる」という意味である。</p>
  <p>エネルギー保存の法則からいって、エネルギーの量をふやすことはできない。</p>
  <p>一般にエネルギー生産といっているのは、エネルギーの状態変化のこと。石炭のような化学エネルギーを熱エネルギーや運動エネルギーに変えることである。</p>
  <p>この変換の過程でエントロピーが増大する。この過程は不可逆。一見したところ、循環を通じて安定的な状態が維持されているようにみえるが、それは不拡散的なエネルギーの状態変化の流れのうえではじめて可能。</p>
  <h4>After</h4>
  <p>回答13「再生産ではなく、再利用が可能なエネルギーである」とありますが、エネルギーを再利用することは不可能です。</p>
  <p>回答59「再生可能エネルギーとは枯渇しない、CO2を排出しないなどのエネルギーをさし...」とありますが、木材などを燃料にすれば$CO_2$が排出されますが、それでも再生可能エネルギーなのです。木材と石炭、どこが違うのでしょう?</p>
}}

#qanda_set_qst(2,8,0){{
<p>「人間の経済は、低エントロピーから高エントロピーへのエネルギーの流れのなかで、外部から自立した閉じた物質の循環をつくることができる。これが循環型経済の理想像である。」</p>
<p>この主張を批評せよ。</p>
}}
#qanda(2,8)
#qanda_solution(2,8){{
  <h4>解答</h4>
  <p>人間の経済は、自然環境から自立することはできない。外部からモノを取りこむことも、外部にモノをはきだすこともない、カプセルのなかに人間の活動を封じ込め、その内部を完全にコントロールすることはできない。</p>
  <p>人間の経済は、外部とのモノのやりとりを伴う循環であり、人間には制御できない(しようとすべきではない)大小さまざまで複雑に連鎖した自然環境の循環の一部をなす。</p>
  <p>理想像というのなら、外部の複雑な循環に、(人間がいちおうコントロールできると考えている)人間の経済の再生産の循環を「適応」させることを理想像とすべきある。</p>
  <h4>解説</h4>
  <p>もう一度いいますが、再生産というのは、複雑な自然環境の変化のごくごく一部を、(かってに)その内部で(あたかも投入と産出が循環しているかのように)コントロール可能であるかのように人間がトリミングした小世界です。</p>
  <p>この小世界を周辺に広げてゆけば、恒常的安定的な環境ができるのだ、と考えるのは人間の能力に対する愚かな驕りです。そもそも、人間の経済と自然環境が原理的に区別できないためにこうなるのです。</p>
  <h4>After</h4>
  <ol>
    <li>「不可能」型の回答が多くありました。</li>
    <li>回答4「外部から自立した閉じた物質の循環などありえない」というのですが、ホントに「ありえないか」というとこれは?惑星を考えてみると、物質的には閉じているが、地球だって、金星だって、その内部で循環はある、わけです。</li>
    <li>そこで「不可能ではない」なら「理想像」か?が問題になります。</li>
    <li>こう考えると、回答19「外部から自立した閉じた物質の循環が理想像であるとは言えない。」あたりが順当。そのうえで、もう一歩ふみこんで答えてください。</li>
    <li>つまり、ではどんなかたちが「理想像」か?という問題になります。これに対して、たとえば回答49「人間が閉じた系を完成させられるとは思えないからだ。必ず外の系との交流は存在する。」といいますが....</li>
    <li>では、どんな「交流」が理想的なのか?上の解答の最後に「理想像というのなら、外部の複雑な循環に、(人間がいちおうコントロールできると考えている)人間の経済の再生産の循環を「適応」させることを理想像とすべきある。」とあります。これが理想かどうかは、価値判断の問題です。別の価値観で書いてもらってもOK。ただ、ここまで踏みこんで書けば満点です。</li>
  </ol>
  <h4>After2</h4>
  <p>もちろん「コントロールできないから、放置してよい」というのではありません。「このから」は論理の問題として失格です。</p>
  <p>ただ逆に自然環境がすべて「コントロールできる」のではないので、この範囲ならOKという線引きを安易にするわけにはゆかないことに注意しする必要があります。</p>
  <p>たとえばUKが一昨日公表した <a href="https://www.bbc.com/news/science-environment-58874518">Net Zero</a> の政策について考えてみましょう。</p>
}}

**まとめ [#q7e90344]
+生産・消費は、モノとモノの量関係である。
+再生産が継続できるのは、純生産物が形成されるときである。
+人間の経済の循環は、それを取り囲む自然環境の大循環のなかにある。
+両者は相対的に独立した過程であるが、人間の経済が拡大するなかで、その相互作用が無視できなくなってきている。

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