#author("2022-04-21T08:05:49+09:00","default:obata","obata")
#author("2022-04-28T14:47:21+09:00","default:obata","obata")
CENTER:[[前回 ◁ >2021年度/夏学期/第1講]]&color(#447CFF){第 &size(32){2}; 講}; [[▷ 次回>2021年度/夏学期/第3講]]
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#qanda_setstid(2021-05-06 09:10:00,90)
#qanda_who
#qanda_mathjax
------

//#qanda_points_chart
//#qanda_points_hist

✔  REC ON&br;
✅ 接続チェック

#qanda_set_qst(2,20,0){{
<p>&#x2714; 接続状態をおしえてください。</p>
<p>&#x2714; 前回学生証番号を登録した人で、今回、「氏名不詳」になっていた人は「再登録」と書いてください。</p>
}}
#qanda(2,20)
-----
CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){ モノと商品 };};
----

**全体のテーマ [#ca7c543e]
#divregion(「経済」とは,admin,lec=2,qnum=20)
-モノを合理的に生産し分配すること(定義1)
#enddivregion

#qanda_set_qst(2,1,0){{
<p>経済とは「モノを生産・分配・消費すること」(定義2)と定義されることもある。</p>
<p>(定義1)は(定義2)の欠陥を補うネライがある。</p>
<p>(定義2)にはどのような欠陥があるのか?</p>
}}
#qanda(2,1)
#qanda_solution(2,1){{
<p>【解答】</p>
<ol>
<li>経済には、目的に対して合理的な行動をとる(節約する)という意味がある。
経済的行動は、手段に対して意味をもつ。</li>
<li>生産+分配+消費と同次元にならべるべきものではなく、
消費は目的であり、生産と分配は、目的に対する手段である。</li>
<li>(定義1)は、「経済」を(合理的な+(生産+分配))に限定している。</li>
</ol>
<p>【After】</p>
<p>どう考えたらよいか、とまどっているようです。</p>
<p>分析的に考えよう。いくつかにわけて、それを組み立てるのです。</p>
<ol>
  <li>(定義2)=(定義1)- 消費 + 合理的</li>
  <li>消費 と 合理的 の関係は?</li>
  <li>合理的とは?目的に対して、<span class="tooltip">手段をうまく調整すること<span class="dscp"><span class="text">目的地は合理的に決まるのではない。目的地が決まれば、そこにゆくルートが合理的に決まるのだ。例えば、合理的なルート=最短距離。</span></span></span>。</li>
  <li>「経済」には合理的にやるという意味がる。合理的にできるのは、手段である生産・分配。</li>
  <li>ゆえに、定義1ではなく定義2のほうが better </li>
</ol>
}}
#divregion(基本テーマ:資本主義の経済とは,admin,lec=2,qnum=1)
-「資本主義」とは:
>
+''生産''を
+''市場''で
<
処理する経済
この講義では
>
-前期:市場
-後期:生産
<
の順で考えてゆきます。
#enddivregion
#qanda_scorechart(2,1)

#qanda_set_qst(2,2,0){{
<ol>
<li>(A)と(B)は、経済の必要十分条件である。</li>
<li>(C)は、(B)の一つのやり方である。</li>
<li>「資本主義」では、(C)でもうけるために、合理的な(A)がおこなわれる。</li>
<li>「資本主義」は(A)+(B)ではなく、(B)の原理が主導する((A)+B)という関係になる。</li>
</ol>
<p>A,B,C は?</p>
}}
#qanda(2,2)
#qanda_solution(2,2){{
<p>【解答】</p>
(A)生産(B)分配(C)市場
<p>【解説】</p>
<ul>
  <li>このことは、資本主義が特殊な経済のあり方である、というのと同義。歴史的に見れば、奴隷制とか、荘園制とか、市場によらない生産がなされてきた経済もある。</li>
  <li>これから話すことですが、
    <ul>
      <li>「市場」といってもただの「市場」ではなく、その中心に「資本」が存在する「市場」であり、</li>
      <li>この資本が生産手段だけではなく、労働力も商品として買い、売るための生産をおこなう</li>
    </ul>経済が資本主義経済です。</li>
  <li>ただ、これは未定義語が多すぎるのでボツです。</li>
</ul>
}}
#qanda_scorechart(2,2)

#divregion(注意,admin,lec=2,qnum=2)
-「資本主義とは何か?」という問題の立て方は、わかったような気がするだけでホントは何もわかっていない、問題の本質を隠してしまう危険があるので注意が必要です。
-余裕のある人は、教科書2ページの問題1(「資本主義''とは''何か」 という問いは,本当に成りたつのだろうか.)にチャレンジしてみてください。
-「経済学でカネもうけできる''とは''どういうことか」という問題は、「経済学を勉強したってちっともカネなどもうからない」という事実を隠してしまいます。
-「経済学でカネもうけできる」のはアタリマエだとして、それは「どういうことなのか」考えようとしているわけで、ここが盲点です。
#enddivregion


**「市場」への第一歩 [#j2421418]
#divregion(市場といえば....,admin,lec=2,qnum=2)
-「市場」は未定義だが、少なくともこれがないと「市場」といえないだろうというものはありそう。それは「貨幣」。
-この貨幣、知らない人はいない。これが貨幣だ、それは違う、ということはできるはず。
-でも、その「貨幣」とはなにか?と定義を聞かれるとちょっと困る。
-ということで、今回から、「貨幣について」話をします。
-「...とは何か」は危険だよ、といったあとでいきなり「貨幣とは何か」はないのですが、
-「貨幣」というのは、だれも「知っている」(気がする)ものの代表選手です。用心しましょう。
-こういうものは、チャンと定義するのが実はとてもずかしい。
-そこでいきなり、質問です。
-たとえばいま、「貨幣ってなにか、教えて」って中学生にきかれたらどう答えますか?</p>
-「おカネのことだよ。」って....それは、おカネとはなにか、知っていることを前提に、言い換えているだけ。答えにはなりません。「そのおカネって、なんなの?」ときかれているわけですから。
-だれでも見知っている「貨幣」ですが、あらためて「それがなにか?」ときかれるとわからなくなる。
-お金を使うことはたやすいが、説明するのはむずかしい。
-100円玉をみせて「これだよ」といいたくなる。
-でも「じゃ、千円札は、おカネじゃないの?」といわれると、「いや、百円とか、千円とか、書いてあるじゃん。『円』って書いてあるのがおカネだよ。」
-まだまだ、中学生は食いさがってくる。「じゃ、スイカはどうなの?」「...?」「ビットコインは貨幣?」「リブラは?」「...??」
--[[小判>https://www.imes.boj.or.jp/cm/collection/tenjizuroku/mod/book/html5.html#page=44]]
--[[中国のキャッシュレス化1>https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-61726782-business-cn]]
--[[中国のキャッシュレス化2>https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190411-61726782-business-cn]]
-「貨幣''のようなもの''」がいろいろあって、定義がむずかしいのです。
-わかったようでわからない、何かヘンテコな感じ、この種の「むずしさ」は経済学ではよくあることです。
-お金の姿は時代とともに変わってゆきますから、実例をいくら集めてもキリがありません。
-「変身するお金」の正体を突きとめなくてはなりません。
-100円玉や千円札を、いくらひねくりまわしても、透かしてみても、その正体はわからない。
-考えてみれば当たり前。だって....
-貨幣はそれだけ単独で意味をもつものではないのだから。
-貨幣とは、つまり、相手あっての物種(ものだね)。
その相手とは....?
-相手は「商品」で、貨幣は商品を「買う」ことができるもの。
#enddivregion

#divregion(貨幣といえば....,admin,lec=2,qnum=2)
-ところが、この商品とはなにか、という問題もむずかしい。
-出発点になる基本定義が抱えている、共通の問題です。
#enddivregion

#qanda_set_qst(2,3,0){{
$P$「カラスは黒い」と$Q$「このカラスは黒い」の関係を述べよ?
}}
#qanda(2,3)
#qanda_solution(2,3){{
<p>【解答】</p>
<ul>
  <li>$Q$は特定の一要素に関する規定。$P$は「すべて」(あるいは「任意の」)に対する規定。</li>
  <li>$Q$が真でも$P$が真にはならない。</li>
</ul>
<p>【解説】</p>
<ul>
  <li>$P$のスタイルで「商品とは....である」と定義したいのだが、</li>
  <li>$Q$のように、特定の部分(99.999...%でも)「こういうものが商品である」という定義になってしまう。</li>
  <li>後のような定義だと、次々に例外(商品のようなもの)がでてキリがない。</li>
  <li>境界線がはっきり定義できないのだ。</li>
  <li>このように、そんなとき、どうしたらよいのでしょうか?</li>
  <li>否定形をうまく使うという手がある。</li>
  <li>
  <ol>
  <li>だれでもわかる、疑問が生じないYをつかって、</li>
  <li>XはYではあるが、</li>
  <li>ただのYでは「ない」</li>
  </ol>
  というかたちで定義する手です。
  </li>
  <li>位置だけあって、長さも幅も「ない」ものを「点」という... 感じに?</li>
</ul>
<p>【After】</p>
<p>回答58が満点、よくできています。①逆関係の成否+②抽象化 の2点が明示されているので。</p>
<blockquote>
  P⇒Qは成り立つが、Q⇒Pは成り立たない。
  Pの方が、より抽象的な概念でP⇒Qは演繹的に成立する。
</blockquote>
<ul>
  <li>"PはQを「含む」。なぜなら....Pが「全体」を表すから。"という回答が多かった(ただし「なぜなら」以下は書いてないものがほとんどだったが)。</li>
  <li>しかし「全体」という概念は注意が必要。カラスが無限にいるとかんがえれば、どんなにカラスを集めてみても全体にはならない。</li>
  <li>Pは、個々のカラスの集合とは抽象レベルが違うのです。</li>
  <li>演繹的な推論ができるのは、この抽象化された世界です。</li>
  <li>どんなにたくさん、三角形を書いて、内角の和が180度になることをしらべても、「証明」にはならないわけです。</li>
</ul>
}}
#divregion(まとめ,admin,lec=2,qnum=3)
+広く「モノ」を定義
+ただのモノではない「財」goods を定義
+ただの「財」ではない「商品」を定義
#enddivregion
#qanda_scorechart(2,3)

#qanda_set_qst(2,21,0){{
ここまでで、なにか、わからないこと、ありますか?
}}
#qanda(2,21)

----
&color(red){第2回目のライブ講義はここまで。};&new{2021-04-23};
----

***モノ [#g4a58063]
#divregion(再定義,admin,lec=2,qnum=21)
-教科書には&aname(モノの再定義);
-教科書には
>
「ここでモノというのは,とりあえず「あれ」とか「これ」とか,指し示し特定できる外的対象のことである」 (21ページの第二パラグラフ)
<
と書いてある。
-しかし、この定義は不十分である。モノとは外的対象のうち、はかることにできる量を属性としてもつ対象である。
-「はかれる」というのは、だれがいつはかっても変わらないということ:計測可能性
-世の中には、「はかれるモノ」とそうでないものがある。たとえば、名誉とか、愛情とか、美しさとかは、はかれないからモノではない。
#enddivregion

#qanda_set_qst(2,4,0){{
<p>「学力は入学試験ではかれる。ゆえに一種のモノである。」</p>
<p>真か偽か、理由を述べよ。</p>
}}
#qanda(2,4)
#qanda_solution(2,4){{
<p>【解答】</p>
<ul>
  <li>偽</li>
  <li>第一に、なにをはかっているのか、対象の境界が明確でない。</li>
  <li>第二に、だれが、いつ、はかっても同じになるわけではない。</li>
  <li>ゆえに、客観的な量規定をもつ「モノ」ではない。</li>
</ul>
<p>【解説】</p>
<ul>
  <li>学力は「評価」の対象であり、「計測」「計量」ではない。</li>
  <li>はかれないモノも、よいとか悪いとか、「評価」の対象にはなる。</li>
  <li>他方、身長や体重は、基本的に計量計測可能。</li>
  <li>「計測」は「評価」と違う。言葉は厳密に正しくつかおう!!</li>
  <li>とはいえ、現象のレベルでは両者の境界は微妙。例えば、握力とか、走力とか、は?100メートル、何秒で走れるか?</li>
  <li>身体能力のようなものには、学力ほどではないが、「評価」のモメントが加わる。</li>
  <li>しかし、こうした中間的なものをもちだして、「計量」「計測」と「評価」の概念的区別ができないとすべきではない。</li>
</ul>
<p>【After】</p>
<ul>
<li>回答は①「はかれる(計測計量できる)」けれど正確に「はかれない」派と②そもそも「はかれない」派に分かれたようです。</li>
<li>上の【解答】の「第二に」だけの回答は、正確に書けていて2点まで。</li>
<li>「第一に」→「第二に」のロジックが示されていれば3点。しかし不在。</li>
<li>点数=モノ(性)、but 点数で表された「内容」「評価」はモノに非ず、という回答は、自分なり考えた創意の跡を評価して(評価に評価が重複していますね。そもそも、この点数付けで、採点者の私がなにをしているか、考えるとわからなくなってしまうのですが....)3点。</li>
</ul>
}}
#qanda_scorechart(2,4)

#qanda_set_qst(2,5,0){{
<p>情報の定義を与え、その定義にしたがうと、情報はモノかどうか、述べよ。</p>
}}
#qanda(2,5)
#qanda_solution(2,5){{
<p>【解説】</p>
<p>情報は、意味をもつ「内容」(メッセージ)を伝える「信号」(データ)である。</p>
<p>メッセージはモノではないが、データはモノである。</p>
<p>【解説】</p>
<p>情報通信技術が発達するなかで、市場で取引される対象は、情報の世界に広がってきています。</p>
<p>従来のモノでは、内容と外味が一体となっていました。スーツの生地と着心地は、言葉のうえでは別記できても、着心地だけを対象として切り離せない。</p>
<p>メッセージとデータという二つの顔をしっかり区別しておくことが重要です。</p>
<p>【After】</p>
<ul
<li>情報の定義→推論のかたちになっている回答はともかく1点。</li>
<li>そのうえで回答は①「はかれない」派(多数派)と②「はかれる」派(少数派)に分かれたようです。</li>
<li>少数派をひいきするわけではないですが、データ(ビット、文字数などの単位をもつ)の存在を認識して②なら2点。</li>
<li>①は「はかれない」理由をそれなりに自分の言葉で説明できているかで評価。</li>
<li>このとき、情報の定義に「伝える」という要素が加わってることがポイント。それを自分も含めてだれかに「伝達」するときに、単なる「事実」、「知識」ではなく、「情報」というタームを使う意味がある。</li>
<li>上の解答の「情報=データ+メッセージ」という定義は「伝える」ということから必然的に発生します。</li>
<li>「おはようは」は5文字10バイト。同じデータ量で「こんにちは」や「こんばんは」というメッセージが送られるわけです。
</ul>
}}
#qanda_scorechart(2,5)
#divregion(補足,admin,lec=2,qnum=5)
-教科書の問題5も重要です。考えてみてください。
>
「ここで考えているカタカナ表記の「モノ」 は , 自然科学が扱う客観的存在としての「物」とはちょっと違う。物は主体の関心の対象として,はじめてモノとして現れるのである。このようなモノと主体の関係は,モノの複製について考えてみるとはっきりする。そこで問題。モノは複製によって増えるか。」(22ページ)
<
#enddivregion

***財 [#bb51eea7]

#divregion(定義,lec=2,qnum=5,admin)
-財はモノだが、ただのモノでは&color(red){ない};。
-財とモノの違いは、持ち主を登場させればはっきりします。
-モノは持ち主にとって、役にたったりたたなかったりします。
-この役立ち、有用性、効用を、マルクス経済学では「使用価値」とよんできました。
-財とは、
>
''&color(blue){使用価値をもつモノ};''
<
である。これが財の定義です。
-よく「財・サービス」という表現ができてきます。有体物と無体物でしょう。しかし、ここでは有体物であれ無体物であれ、計測可能な対象を「モノ」と定義し、そのモノに対して財の定義を与えたので、サービスも当然、「モノ」になります。財・サービスという用語はここではボツにします。
#enddivregion


*** 商品 [#ea70545d]
#divregion(定義,lec=2,qnum=5,admin)
-商品は財だが、ただの財では&color(red){ない};。
-財なら何らかの使用価値をもつが、
-その使用価値が持ち主にはゼロである財が商品である。
-つまり商品とは
>
''&color(red){他人のための};&color(blue){使用価値をもつモノ};''
<
である、というのが商品の定義です。
#enddivregion

#qanda_set_qst(2,6,0){{
<p>まったく自分の役に立たないものをもっている人など考えられない。</p>
<p>今とても役に立ったり、もう役に立たなくなったり、と役立ち方は相対的なものである。</p>
<p>持ち主にとってまったく役に立たない財の存在というのは、現実離れした想定である。</p>
<p>この主張について論評せよ。</p>
}}
#qanda(2,6)
#qanda_solution(2,6){{
<p>【解答】</p>
<ul>
   <li>買い手あるいは消費者としての自分の視点からしか見ていない狭い見解である。</li>
 <li>店で売られる大量の商品を考えれば、持ち主にとってまったく役にたたない財、つまり百パーセント他人のための使用価値になりきった財で溢れている。持ち主にとってまったく役にたたない財の存在こそ、市場の現実、リアルである。</li>
</ul>
<p>【解説】</p>
<ul>
  <li>たしかに、買った商品はタダの財となっており、持ち主にとってさまざまな役立ちかたちをしている。非常に役に立ったり、場合によっては無駄だったり、いろいろだろう。</li>
  <li>しかし売った店からみると、それははじめからおわりまで、完全に他人のための使用価値をもつモノである。</li>
  <li>店の商品は、はじめから売る目的で買われたものであり、その店に売った生産者も売るためにつくったのである。自分に役にたつから、買ったのでも、つくったのでもない。</li>
  <li>同じモノが、商品だったりただの財だったりする。</li>
  <li>たとえばスーパーの牛乳と、自宅の冷蔵庫のなかの牛乳の差。</li>
  <li>商品というのは、モノに後から付け加わる属性である。</li>
  <li>重さや色のような、モノの属性とは違う。</li>
</ul>
<p>【After】</p>
<ul>
  <li>予想外にゼロ点が多かった。残念!!</li>
  <li>「持ち主」という言葉で「商店主」「商人」のような存在が、無意識にスッポリ抜けてしまったのかもしれない。</li>
  <li>教科書の問題8とその解答を読んでいればすぐに見当はついたはずです。</li>
  <li>いずれにせよ、ここは理論の大きな分かれ目になる大事なポイントなので、注意しておきます。</li>
  <li>この問題にでている主張は、''財と商品の区別は相対的なもの。完全に他人のための使用価値になりきるなんて「現実離れ」している''という認識となり、けっきょく、''存在するのは相対的にやくにたつ程度、効用の度合いがちがう財・サービスが存在するだけ、市場はこの財・サービスどうしが交換される場だ''という市場像につながってゆきます。財・サービスどうしの交換比率が「交換価値」で、これが「効用」によって説明できるというミクロ理論になります。</li>
  <li>これに対して、財一般と商品の区分線を明確にひき、純粋な商品から論理を構成すると貨幣を中心にした、別の市場像ができてきます。</li>
  <li>この講義では、貨幣が実在する後のほうの理論を組み立ててゆきます。「交換価値」という用語は意識的につかわないようにします。「使用価値」というとつられて「交換価値」といいたくなるかもしれませんが禁句です。</li>
  <li>これまで定義してきた用語は、「使用価値」と「他人のための使用価値」までです。次回に商品の「価値」という用語を定義します。<対>になるのは、「使用価値」と「価値」です。この「価値」を「交換価値」とよんではいけません。混乱のもとです。</li>
</ul>
}}
#qanda_scorechart(2,6)
----
&color(red){第3回目のライブ講義はここまで。};&new{2021-04-30};
----

#qanda_set_qst(3,23,0){{
質問があればどうぞ。
}}
#qanda(3,23)

#qanda_set_qst(2,7,0){{
<blockquote cite="http://">
  「商品は、それを販売することで利益を得ることができる。それゆえ、売り手にとって、自分のための使用価値がある。」
</blockquote>
真か偽か、理由を述べよ。
}}
#qanda(2,7)
#qanda_solution(2,7){{
<p>【解答】</p>
<p>偽。</p>
<p>「販売する」ということは、その商品であるモノを自分で使いようがないこと、つまり「自分のための使用価値がない」ことを意味する。</p>
<p>【解説】</p>
<p></p>
<p>問題3-23 の回答66に「商品の定義は「他人のための使用価値をもつ財」であり、自分にとっての使用価値はゼロであるとあるが、その商品を「販売することで利益を得ることができる」というのは売り手にとっての使用価値であるとは言えないのでしょうか。」とありました。これに対する解答です。</p>
<p>商品であるのモノ自身は、持ち主の役にたたないからで「販売する」のであり、売ったあとで、必要だと思って買った別の商品のほうなら、買ったあとは、自分に役だつモノとなり、商品ではなくなります。</p>
<p>「使用価値」use value の使用 use の意味は、そのモノを使うこと。そのモノAを別のモノBと取り替えて、つまり使わないで、Bのほうを使うことは含まれていません。</p>
<p>貨幣は、第3講で定義するが、やはりそれをモノとして使うのではなく、それで買った商品をモノとして使うのだから、使用価値をもちません。貨幣も、いろいろな商品を「買える」という使用価値をもつというのは誤り。</p>
<p>通俗的なマルクス経済学の教科書には、よく、貨幣の使用価値は「形式的使用価値」であると書いてあります。<a href="http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_099.htm">出典</a>は『資本論』(<a href="https://gken.jp/gken/2013/09/17/%e6%b0%97%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%93%e3%81%a8/">ってナニ?</a>)の <i>der formalen Gebrachswert</i> だが、 この講義の使用価値の定義にしたがえば誤り。この講義では、「....的」という修飾句で、無意識に自然言語を拡大解釈することは、可能なかぎり避ける。</p>
<p>うまく説明ができなくなったときにマルクス経済学者がつかう「社会的」と「平均的」という二語は禁物です。</p>
}}

#qanda_set_qst(2,8,0){{
<blockquote cite="http://">
  「外から眺められるものはすべて部分である。全体を眺めることはできない。」
</blockquote>
真か偽か、理由を述べよ。
}}
#qanda(2,8)
#qanda_solution(2,8){{
<p>【解答】</p>
<p>偽</p>
<p>「ながめられる」対象は「ながめる」主体を含みえないから。</p>
<p>【解説】</p>
<p>いきなりで「こ...こりゃ、なんだ?」と思ったかもしれませんが、2回目のライブの講義で「資本主義の全体像」を捉えることが課題と話しました。「全体」ってどうやって捉えるの?というファンダメンタルな問いです。</p>
<p>資本主義の部分をとらえて「なんとかの資本主義」と次々に新現象を追いかけるのではなく、そうした諸現象を引きおこす資本主義の全体像 the Capitalism を捉えるにはどうしたらよいのか?</p>
<p>こう言うとちょっと大げさになりますが、要するに「全体像には演繹型の理論が必要なんだ」と最小限、了解してもらえればOKです。「何のために、こんな抽象的は話ばかりやるんだ」とウンザリしたときには、大空をながめ宇宙に思いをはせてみてください。</p>
<p><a href="https://gken.jp/gken/wp-content/uploads/2013/09/68cd3c6feff352f3b2d1b741596e30a6.pdf">この文章</a>の第一パラグラフを参照のこと。</p>
<p>【解説】</p>
<blockquote>
  <ul>
    <li>「内部が見えない」という回答が多かった。</li>
    <li>尋ねているのは「部分」と「全体」。</li>
    <li>「外から」とあるので「内部」「外部」の問題だと解釈したのでしょう。</li>
    <li>この質問は、ライブの講義でこの質問に入る直前に読み上げた文章をうけて尋ねたもの。宇宙を外から眺めることはできないという話を念頭に、観察者の視座に踏み込んだ、期待通りの回答もいくつかでてきました。</li>
  </ul>
</blockquote>
}}

** まとめ [#ae042f1b]
#divregion(要するに,lec=2,qnum=8,admin)
+貨幣を直接定義するのはむずかしい。
+相手を商品に、商品を買えるものというかたちで定義する手がある。
+ところが、この商品の定義が一筋縄ではいかない。
+そこで、モノからはじめて、タダのモノで''ない''財、タダの財で''ない''商品と順繰りに否定形で定義した。

#qanda_raw{{
    <div id="monoGoodsCommodity"></div>
    <script src="https://unpkg.com/konva@7.0.7/konva.min.js"></script>
    <script src="./js/konva/coordinate.js"></script>
    <script src="./js/konva/2021/monoGoodsCommodity.js"></script>
}}
#enddivregion

#divregion(最低限の確認,lec=2,qnum=8,admin)
-経済学には、&color(red){二つの市場の捉え方};がある。
+財と財の交換の場 ← ミクロ経済学の市場理論
+商品と貨幣の売買の場 ← &color(blue){マルクス経済学の市場理論};
-二つをごっちゃにしてはいけない。
#enddivregion

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