#author("2022-05-14T06:44:06+09:00","default:obata","obata") #author("2022-05-14T19:43:40+09:00","default:obata","obata") CENTER:[[前回 ◁ >2021年度/夏学期/第2講]]&color(#447CFF){第 &size(32){3}; 講}; [[▷ 次回>2021年度/夏学期/第4講]] ----- #qanda_setstid(2021-05-20 16:10:00,90) #qanda_who #qanda_mathjax ------ ✔ REC ON&br; ✅ 接続チェック #qanda_set_qst(3,20,0){{ <p>✔ 接続状態をおしえてください。</p> <p>✔ 前回学生証番号を登録した人で、今回、「氏名不詳」になっていた人は「再登録」と書いてください。</p> }} #qanda(3,20) #qanda_set_qst(3,21,0){{ <p>「わかる」とはどういうことですか?</p> }} #qanda(3,21) #qanda_solution(3,21){{ <p>【解答】</p> <p>ボヤッとしていたことがハッキリしたことに「変わる」こと。</p> $$????? \to ! $$ <p>【解説】</p> <ul> <li>ともかく自分のアタマが「変わる」ことがポイント。「変わる」気がなくて、わかろうとしてもそれは無理。</li> <li>すでに知っている(と思い込んでいる)ことと同じだと感じたとき、「わかった」という人がいます。ただこれは、感じが「似てる」というだけ。でも「同じ」と「似てる」はぜんぜん違うのです!</li> <li>「なぜ?」って問われると答えにこまる、根拠のアヤフヤな「常識」から一歩もでられません。$$「「「似てる」に似てる」に似てる」\cdots $$ 友達の友達は友達だ、の論法で、ボヤッとした「知識」が増えるばかりです。</li> <li>「原論」的に「わかる」第一歩は、このボヤッとした知識をふやせばよいというアタマの使い方を「変える」こと。</li> <li>どう変えるのか?分析し判断するアタマに切り替える。</li> <li>「分けて」「決める」</li> <ol> <li>ボヤッ $\cdots ????? \cdots$としているとは?</li> <ol> <li>X の輪郭[ ]がハッキリしない。例えば、今の問題では、「わかる」という「言葉」の意味が対象なのだから、「わかる」を「知っている」とか「使える」とか.... あれこれ類語に拡大しないこと。</li> $$...???\,X [????] \,??? ...\to X [????] $$ <li>Xのなかみ???? がハッキリしない。ボヤッとしているということは、いくつにも見えている、ということ。一つに絞らなくちゃ....</li> $$X[?????]→ ?$$ <li>それには、その「いつくか」を、ちゃんと書いてみること。Xは、Aか、Bか、Cか.......</li> <li>$A\cap B$とか、$A\cap C$ とか、が空集合になるところまで、「抽象化」すること。 $$ a_0,a_1,a_2,\cdots \to A$$ </li> </ol> <li>ハッキリ ! するとは?</li> <ol> <li>「X はこれこれだ、''なぜなら''こうこうだからだ」という原因、根拠を仮想(イメージの力)してみる。</li> <li>「こうこうだから、これこれだ」が''真か偽か''、推論し判断する。</li> <li>隠れている確かな前提 $P$ を明示することがだいじ。 <p>Q (X is A ) is true(or false) if P. </p> すなわち $$P → Q$$ </li> </ol> </ol> <li>上記の2テップ$$\cdots\,???????\,\cdots\to ? \to !$$で命題とたてて、真偽を問う。</li> <li>でも出題された「質問」では2テップのうちの半分以上がすでに終わっている。</li> <li>「回答」はyes/no because の後半部分になりがち。</li> <li>でも本当に重要なのは質問をつくる力。みなさんも、ぜひ、質のよい質問を考えてみてください。</li> </ul> }} ----- CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){ 商品とは... };}; ---- **物々交換 [#kb937a2c] #qanda_set_qst(3,1,0){{ <p>本題にはいるまえのウォーミングアップ。</p> <p>次のように主張する人がいるとする。</p> <p>「財と財の交換を物々交換とよぶ。むかしはひろく物々交換がおこなわれていた。だが直接的な物々交換ははなはだ不便である。それゆえ、だれでも受けとる便利な貨幣が使われるようになったのである。」</p> <p>この人はどんな事態を考えて「直接的な物々交換は不便なので」といっていると推察されるか。物々交換の「不便」とはどういうことか。</p> }} #qanda(3,1) #qanda_solution(3,1){{ <p>【解答】</p> <p>欲しいアイテムが互いに一致しないと交換できないということ。</p> <p>アイテムが一致しても、満足のゆく交換比率をきめることができない。あまりがでてしまう。</p> <p>【解説】</p> <p>AがBの財をほしいと思い、BもAの財がほしいと思うこと。</p> <p>「片思い」ではなく「両思い」でないとカップルはできない。これは、そうしょっちゅう成立することじゃない、というわけです。</p> <p>仮に「両思い」であったとしても、Aがリンゴ5個、Bがミカン10個をもっているとき、5個と10個がお互い納得のゆく交換比率であるとはかぎらない。一対一では需要量と供給量がなかなか一致しない。</p> }} #qanda_set_qst(3,2,0){{ <p>「財と財の交換を物々交換とよぶ。むかしはひろく物々交換がおこなわれていた。だが直接的な物々交換ははなはだ不便である。それゆえ、だれでも受けとる便利な貨幣が使われるようになったのである。」</p> <p>この主張の論理は正しいか。適否の理由を述べよ。</p> }} #qanda(3,2) #qanda_solution(3,2){{ <p>【解答】</p> <ul> <p>不適切</p> <p>不便だと、必ず、それを解決する手段がでてくるという前提にたっているから。</p> </ul> <p>【解説】</p> <ul> <p>要請論の一種。人間はその本性において他の人間に対してオオカミである。自由な人間はほっておけば「<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E9%97%98%E4%BA%89#:~:text=%E3%80%8C%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%87%E4%BA%BA,%E3%80%8F%EF%BC%88Leviathan%EF%BC%89%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%80%9D%E8%80%83">万人の万人に対する戦い</a>」に至る。それ故、全員が契約により自由を制約する国家をつくった、という論法と同系。</p> <p>「むかしはひろく物々交換がおこなわれていた」というのは、いま貨幣が使われている、という事実から、逆に導きだされたヴァーチャルな状態。だれも、物々交換がおこなわれていた社会などじかに見たことはない。「もしあれば物々交換があれば不便」→「今みたいに貨幣があればそんな不便はないのに...」→「ゆえに貨幣はうまれたのだ」という論法になっている。</p> <p>目的論の一種。「あれば便利だ、だからあるのだ。」という...。しかし、貨幣は人工的に、あるいは意図的に、だれか(たち)によってつくりだされたものではない。</p> <p>目的論に対して「意図せざる結果」論は有力な批判。「だれも、貨幣を使おうなどと思わなかったのに、いつのまにか、使うようになっていた。」と、特定の人(たち)の意図を消す説明方法です。</p> <p>しかし、あとのほうの説明も、「意図」と「結果」の屈折した結びつきを明らかにしなければ、実質無意味。「意図せざる結果」論は注意しないと、安直な現実肯定論になる。</p> </ul> <p>【After】</p> <ul> <p>「あると便利だ、ないと困る」だから「あるのだ」という論理をアタリマエのこととして、便利さ、困難を説明した回答が大多数でしたが、これは0点。</p> <p>「あったらいいな!」といってみても、残念ながら、経済原論に''ドラえもん''はでてこないんだ!</p> <p>この問題で尋ねているのは、「この主張の論理」は適否です。</p> <p>また、便利さを説明するなかで、「価値」という未定義語に依存している回答が多かった。「使用価値」は定義したが、「価値」はまだ。「使用価値」と「価値」をダブルミーニングに使ってはいけません。二つの概念枠が重なることがないようにしっかり抽象化しましょう。商品「価値」の定義をこのあと与えます。モノや財に「価値」があるという用語法がなぜダメなのか、わかるまで考えてみてください。</p> </ul> }} ---- &color(red){第4回目のライブ講義はここまで。};&new{2021-05-06}; ---- #qanda_set_qst(3,24,0){{ 第3回目のライブの講義内容について、質問があればどうぞ。 }} #qanda(3,24) #qanda_solution(3,24){{ <p>Q: 商品と貨幣が同時に存在したという話ですが、その場合貨幣の価値はどのように決定されたのでしょうか</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: これから話します。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 持ち主の主観的な判断で財でなくなっても、他者に利用価値があればそれは商品になるが、他者にも利用価値がなくなった時、それは何になるのですか?</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: あえていえば「ゴミ」garbage</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 商品が存在すれば貨幣が存在するというのは、物々交換というものは存在しなかったということですか?</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 「物々交換が広く存在した」が偽、という意味では「物々交換というものは存在しなかった」は真、です。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: モノとモノの交換の不便さに価値が定まらず生活の計画だ立てずらいということはないんですか</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: その「価値」とはなにか?これから話します。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 貨幣そのものに価値がないということには同意しますが、では貨幣は信用に裏付けられていると考えて(自分がそう思ったため)良いのでしょうか。もしくは他に何か裏付けと考えられるものがあれば知りたいです。</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 「貨幣」にないのは「使用価値」。「貨幣」の話はこのあと話します。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 物々交換が不便な理由は、持ち運びや保存が難しいというのは含まれないのでしょうか?</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 貨幣を使った売買でも、商品の「持ち運びや保存」は同じように必要です。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 貨幣はモノなのでしょうか?</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 「貨幣」はこれから話します。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 理系の視点から見て、大勢での物々交換と同時に貨幣は存在していたと感じる。貨幣があったから交換する習慣も増えたと思う。</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: うまく議論しないと、チキンエッグ problem になりそう。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 使用価値がないのものに対して、なんで捨てるという行動をしないか。ゴミでも自分に対して使用価値がない。商品とゴミの違いは他人に対して使用価値があるかどうかの認識は正しいですか。</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 自分にも他人にも使用価値がなければ、タダのゴミ。捨てるか、ちゃんと廃棄処分するか、でしょう。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 3-2が答えられなかっので自分なりの答えを書こうと思います。</p> <p> 物々交換が不便だからと言って適用されなくなるわけではなく、交換の時に必ず付いてくる比率を厳密化したものが貨幣であるので、文は不適である。</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: ①交換相手がまずみつかってはじめて②「比率を厳密化」する必要はでてきます。「貨幣があったら...できる」型の「理由」づけになっています。素直に①で</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 部分と全体の話がよくわかりませんでした。</p> <p>A: この話を理解するヒントは「無限」です。一般論がわからなくても、実用性は「ここの事例をどんなに集めても、抽象化された経済原論の命題の真偽は判断できない!」。こっちがわかればヨシとしましょう。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 自分に使用価値があるけれどなにかしらの理由により交換せざるを得ない場合においてもそれは財ではなく商品になりますか?</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 半ば「財」半ば「商品」というものは、現象としは存在します。... が両者が重ならないよう抽象化して、ちゃんと推論ができるように定義しました。白黒はっきりした世界で推論し、グレーの世界を<span class="tooltip">洞察<span class="dscp"><span class="text">insight ただし「洞察する」なんていう一言で丸め込まれないようになろう。抽象的な理論を知覚可能な諸現象に適用する方法を工夫する必要があります。</span></span></span>洞察するのです。</p> <hr width="95%" color="#aaa"> <p>Q: 目的論も意図せざる結果論(も)進化論に近いなとおもいました。</p> <p>も(しこの)論理がなりたっていないとするのなら、「貨幣がどうしてうまれたか」という問いにはどうしたら答えられるのでしょうか?答えられないのでしょうか。</p> <p style="color:hsla(10,80%,50%,1)">A: 「進化論に近いな」というのはなかなかいいセンスです。連想、類推はダメなものも多いのですが、これはGoodです。一言でいえば「ラマルク型ではなくダーウィン型で説明しなくてはダメ、といっている」と思ったのですね。</p> }} #qanda_set_qst(3,3,0){{ <p>物々交換は原則不可能だというが、インターネットの普及した今日では「物々交換サイト」というのもでてきいる。</p> <p>古い時代に物々交換が広くおこなわれていたというのはお伽噺かもしれないが、これから情報通信技術が発達してゆけば、物々交換が広く普及する可能性がある。</p> <p>この主張は適切か否か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(3,3) #qanda_solution(3,3){{ <p>【解答】</p> <p>不適切</p> <p>物々交換サイトでは値段をつけて出品。あるいは買取価格を出品先がつける形。つまり、貨幣の存在が前提になっている。したがって、ここで定義した「物々交換」とは異なるものだから。</p> <p>【解説】</p> <p>はじめに注意しておきます。「物々交換サイト」でweb検索した人に。このレベルの検索結果は、100メートルくらい離れて読もう。</p> <p>物々交換サイトでは、あるアイテムに対して、<span class="tooltip">欲しいアイテムが特定されているわけではない<span class="dscp"><span class="text">とはいえ色々あるから、なかには相思相愛型もあるだろう。ただ、そうした実例を反例だとして、原理を否定すべきではない。個々の現象と原理は、抽象のレベルが違う。実験室での実験結果なら「反例」になるが、日常現象を原理に対する反例とすることはできない。</span></span></span>。</p> <p>いまのところ、セコハンが中心で、売ったあと、現金を引き出さずにサイトに債権として売り上げを留保。欲しいモノが出てきたら、<span class="tooltip">その債権をつかって代金を支払う<span class="dscp"><span class="text">法学だとこれは0点でしょう。債務を債権で決済できる条件が問題になります。... がここでは100メートル離れてかんがることにします。ちなみに「電子記録債権法」というのが2000年施行されたようです。しかし、「電子記録」というのは理工系の人に違和感ありませんか。後期の授業で、情報通信技術にスポットを当てる予定、そこで詰めてみましょう。</span></span></span>ようです。これだとネットオークションになるのかもしれないが、財と財との直接交換という意味での物々交換がおこなわれているわけではない。</p> <p>物々交換サイトの話は、物々交換の現実性にはつながらないが、経済理論のなかには物々交換を想定しているものもある。ミクロ経済学の一般均衡論は基本的にこれ。完全情報を想定するしていることについて、現実性なし、と批判されることも多いのだが、ぎゃくに、この立場を支持する人なら、情報通信技術の発達で、一般均衡論にリアリティがでてくると考えるかもしれない。マルクス経済学の市場像は、このミクロ経済学の市場像と、正確に真反対になります。ならなければ、なるようにつくりかえます。この鏡像性を解き明かすことが、夏学期の講義の核心。この点については、マルクス経済学市場像を図解するときに、もう少し詳しく話します。</p> <p>【解答】</p> <ul> <li>135をほぼ正解としたました。</li> <li>「物々交換サイト」は純粋な物々交換ではない、という認識。</li> <li>適不適は、理由に応じて評価。</li> </ul> }} #divregion(物々交換の偶然性,admin,lec=3,qnum=5) -乱数をつかって配列をつくってみる。 -0,1,2 .... 番目の品目が、順に下の配列 to の品目と交換を求めているとみなす。 -- eg. i -->to[i] という交換を求める #qanda_raw{{ <div> <form id="form1" action="#"> <label for="item_number">品目数:</label> <input type="text" id="item_number" maxlength="2" size="2"> <input type="button" onclick="getItemNumber()" value="click"> </form> </div> <link rel="stylesheet" href="./css/konva/2021/barter-circle.css"> <div id="barter-circle-ransu"></div> <div id="barter-circle"></div> <script src="https://unpkg.com/konva@7.0.7/konva.min.js"></script> <script src="./js/konva/coordinate.js"></script> <script src="./js/konva/2021/barter-circle.js"></script> }} &new{2021-05-15 (土) 11:41:53}; -色のついた円をドラッグして、直接、間接に物々交換ができる関係を探してみよう。 -中心あたりをクリックすると新しい乱数の配列がつくられます。 -品目数をかえて考えてみよう。 --複雑な関係を見た後で、品目数を絞ってゆくと、基本原理がわかる。抽象化の直観がつく。 ---------- -「交換できる関係がひと組もないということはありえない。」真か偽か? -配列から、交換可能な関係を拾いだすアルゴリズムを考えてみよう。 -でも、ちょっとした数学をつかえば、もう少しスマートに処理できる。 #enddivregion #divregion(小括,admin,lec=3,qnum=2) -ポイントは物々交換なんて&color(red){ありえない}; という点です。 -不便だったけどむかしは物々交換があったという話ではありません。この点、くれぐれも、誤解なきように!! -「物々交換がなされていたが、その不便を解消するために貨幣がうまれたのだ」というは経済学のお伽噺。 -財と財との直接交換など、はじめから非現実的。ありえない世界。 -はじめから、財(の交換)ではなく、商品(の売買)が存在。 -そして、商品が存在するば、''同時に''貨幣も存在する(←これから話します)。 #enddivregion ------------- **商品の二要因 [#kd9ca991] -商品=使用価値+価値 -教科書26ページ ***使用価値 [#e9de0a60] -有用性:モノとして使うことで発揮される役に立つ性質 -そのモノとして使わず、かわりに > --なにかと交換できるとか、 --交換して得たモノが役に立つとか、 < という意味に拡張解釈していけない。 ***他人のための使用価値 [#d25174f5] -商品の定義:他人のための使用価値しかもたないモノ(前回) -商品の使用価値は「他人のための使用価値」 ***物量 [#w9a2abf0] -計測計量できるモノの量 -有用性は物量と結びつている -ただ、有用性は''はかれない''が、物量は''はかれる'' #qanda_set_qst(3,4,0){{ <p>「物々交換」がお伽話なら、「他人のための使用価値しかもたないモノ」も理論上の仮想であり、やはり一種のお伽話である。</p> <p>この主張は適切か否か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(3,4) #qanda_solution(3,4){{ <p>【解答】</p> <p>不適切</p> <p>「他人のための使用価値しかもたないモノ」は広く実在するので、その実在が疑わしい物々交換と同列に「お伽話」ということはできないから。</p> <p>【解説】</p> <p>教科書28ページ中段をみてみよう。</p> <p>自分が買って身近にもってるものだけをイメージすると、知らず知らずに視野を狭めてしまう危険がある。100メートル離れて考えよう。</p> <p>たとえば<a href="https://core.ac.uk/download/pdf/268145838.pdf">コンビニの棚に並んでいるモノ</a>はぜんぶ「他人のための使用価値しかもたないモノ」、つまり純粋な商品。商品は実際に広く実在する。物々交換がお伽話であるように、お伽話であるわけではない。</p> <p>ただ、何でそんなものを''もっている''のか、といえば、それは、はじめから売るために買ったから。では何でそんことをするのかといえば、それはもうけを得るため。このようなもうけを追求する活動がでてくるわけは、このあと「資本」という概念で説明します。</p> <p>【After】</p> <p> 物々交換がひろくおこなわれていた、というのは現実に存在しないという意味で仮想の「お伽噺」。「お伽噺」といった意味が、伝わっていない回答がけっこうありました。これに対「商品売買」は毎日目にしている出来事。不便な物々交換から便利な商品売買に発達した、という考え方はきっぱり捨てましょう。</p> }} ***価値 [#x1bd09f7] -「他人のための使用価値」というのは、自分にとっては使用価値が''ない''モノというかたちで、商品を''否定形''で定義していることになる。 -自分のためには? ... 他人の&qanda_tooltip(商品){商品の定義に商品がでてくるのでちょっとNGじゃないかと思うかもしれませんが、これは $a_k = a_{k-1}+1$ みたいな再帰的言及なのでOKです。};と交換できるという性質をもつ。この性質を「価値」とよぶ。 #qanda_set_qst(3,5,0){{ 商品の価値は「交換できる」性質といっても、 <ol> <li>すべての商品と</li> <li>潜在的に</li> </ol> 「交換できる」という意味である。 <p>この「すべて」と「潜在的」の関係を述べよ。</p> }} #qanda(3,5) #qanda_solution(3,5){{ <p>【解答】</p> <p>「すべて」と「潜在的」は同じ意味。「すべてと交換する」ことができないから「潜在的」なのである。</p> <p>【解説】</p> <p>もしすべての任意の商品との交換に拘らなければ、実際に直接交換できるケースもでてくる。</p> <p>どの商品をもってきても、直接交換できるかというと、それは実際にはできない(使用価値の制約がある)が、潜在的にはできる、ということになる。</p> <p>「潜在的に」というのは「間接的に」にという意味です。</p> <p>貨幣の存在を先取りすれば、100円と価格がついた商品は同じ価値をもっているが、では直接100円の缶ジュースで100円のパンと交換できるか、というとそうはいかない。一度100円で売れれば、パンに限らず、どんな100円の商品でも買える、という意味で、潜在的には、どの任意の商品とでも交換できるわけです。</p> <p>教科書の問題10と同じ内容です。</p> <p>【After】</p> 回答22 : 商品は、「すべて」の商品と&color(red){直接};交換できるとは限らない。それぞれ商品は使用価値に制約されており使用価値を感じない人とは%%商品の%%交換をすることはできない。それゆえ商品の&color(red){他のすべての商品と};交換&color(red){できるという性質};は「潜在的」な可能性にとどまる。 }} **まとめ [#q4af354b] #divregion(ポイント,admin,lec=3,qnum=5) -商品の定義:使用価値が完全に「他人のための使用価値」になりきっている財 -価値の定義:他の''すべて''の商品と''潜在的に''交換できるという性質 -商品の二要因:使用価値と価値 -- 使用価値と「交換価値」という用語法はボツにします。これは「約束事」です。 --理由は、財と財の交換を考えるミクロ経済学との混乱をうむからです。 #enddivregion #divregion(つぎの質問に答えられるか、チェック,admin,lec=3,qnum=5) --物々交換と市場は別物だ、という理由? --「他人のための使用価値」の「他人」の定義? --商品「価値」の定義? #enddivregion