#author("2022-09-29T16:34:14+09:00","default:obata","obata") #author("2022-09-29T16:34:34+09:00","default:obata","obata") CENTER:[[前回◁>2022年度/冬学期/第1講]]&color(#447CFF){第&size(32){2};講};[[▷次回>2022年度/冬学期/第3講]] ----- -最初に学生証番号を登録してください。以下の質問に、回答できるようになります。 #qanda_setstid(2022-09-22 16:10:00,90) #qanda_who #qanda_mathjax ------ ✔ REC ON&br; ✅ 接続チェック #qanda_set_qst(2,20,0){{ <p>✔ 接続状態をおしえてください。</p> }} #qanda(2,20) CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){ 再生産 };}; //#qanda_points_chart //#qanda_points_hist ------ #contents **ネライ [#l5d9d18e] -「生産」という用語を紛れなく厳密に使えるようにする。そのため、 --①「なに」を生産するのか、対象となるものをはっきりさせる。 --②「どのように」捉えるのか、「過程」という概念をはっきりさせる。 **「生産」の対象 [#x31d988a] #qanda_set_qst(2,1,0){{ 「消費」と対をなすように「生産」という用語を定義せよ。アレコレ余計なものは全部は取り除いて、必要にして充分なものに絞ること。(対というのはAでなければB、BでなけらばAという関係) }} #qanda(2,1) #qanda_solution(2,1){{ <h4>解答</h4> <p>物量の増加</p> <h4>解説</h4> <p>これはややフライング気味の質問、軽めに採点するつもりです。</p> <p>はじめに、ともかく自分で「たぶんこうじゃなか?」と見当をつけてみることは大事です。</p> <p>...ということで、さしあたりひと言でいえば、「なにかが増える」ということでしょう。</p> <p>反対にへれば 「消費」でしょう。増えも減りもしなければ?どっちに入れてもよいのですが、代数学ではゼロは自然数に含めないのと反対になりますが、この講義は、増えも減りもしないときは、生産に含めます。これは、あとで「再生産」という概念を定義するのに都合がよいからです。</p> <p>とはいえ、物量とは何か、どうやって比べるか、など、厳密に考えなくてはなりません。</p> <p>ということで、「物量の増加」という定義をより正確なものにするには、さらにもう一段、抽象度をあげてゆかなくてはなりません。</p> <p>前期に「商品」の定義を与えたときと同じです。今回の講義をきけば、「生産」という用語をどう使っていったら、紛れのない、一貫した理論が構成できるか、わかるはずです。</p> }} ***カタカナの「モノ」 [#r4cf9574] -モノ := 量という属性をもち、互いに重複なく区別される対象 -モノの量を物量とよぶ。 -物量は加算性をもつ。 #qanda_set_qst(2,2,0){{ <p>(A)(B)(C)は、それぞれモノか否か、モノならその量はどのようにしてはかれるか、モノでないなら、その理由を述べよ。</p> <ul> <li>(A) この講義の教科書</li> <li>(B) 電力エネルギー</li> <li>(C) 気温</li> </ul> }} #qanda(2,2) #qanda_solution(2,2){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>(A) モノ:1冊2冊と離散的に数えることができる。</li> <li>(B) モノ:電力量はジュール単位ではかれ、足すこともできる。</li> <li>(C) モノではない:加算性をもたないから。</li> </ul> <h4>解説</h4> <ul> <li>離散的な対象でもモノになる。物量というと重さとか長さとか、連続的な量だけと思うかもしれないが、ここでは区別しない。数量というほうがベターかもしれないが、モノの数 or 量 を物量とよぶことにします。</li> <li>教科書が物量なのは、あくまで紙製の本としてです。本に書いてある内容は物量ではありません。数えられるのは、メディアとしての本で、コンテンツはモノではありません。この区別は、情報と生産の関連で、時間があれば、もっと突っ込んで考えることにしましょう。</li> <li>電力エネルギーは、電力として形態のエネルギーとしてモノです。足せるのは、同じ形態どうしです。電力量100ジュールと熱エネルギー200ジュールは、モノとしては別ですから、足して300ジュールとしてはいけません。リンゴ1個とバナナ2本で3本にならないのと同じです。</li> <li>気温は、ある量の大気の属性です。だから、気温を直接足すのはナンセンス。気温について $10^\circ C + 30^\circ C = 40^\circ C$ は成りたちません。大気の量をかけて $10^\circ C \times a + 30^\circ C \times b$ は異なる大気を混ぜたときの熱量の指標として意味をもちます。$(10^\circ C \times a + 30^\circ C \times b) \div (a+b)$ で混ぜた大気の平均温度も求まるでしょう。</li> </ul> }} #qanda_set_qst(2,3,0){{ <p>「この講義の教科書はモノだが、このライブの講義はモノではない。」</p> <p>真か偽か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(2,3) #qanda_solution(2,3){{ <h4>解答</h4> <p>真。教科書は本として1冊2冊と数えられるが、このライブの講義は1回かぎり、唯一無二なので、2つ、3つと数えられる対象ではないから。</p> <h4>別解</h4> <p>偽。教科書は本として1冊2冊と数えられるし、ライブの講義も一コマ、二コマと数えることができるから。</p> <h4>解説</h4> <ul> <li>コマ数という外形だけではかれるモノだといわれると、講義をする身としてはちょっと切ないものがありますが。でも、一コマいくらで雇われている非常勤講師であることは事実。唯一無二といったて、雇うほうはたぶんどうでもよいことでしょう。</li> <li>時間ではかれるモノだとすると、できるだけ効率的に一コマの講義をこなすのが合理的、ということになります。講義も所詮生産物ですから。憚り乍ら私も学者の端くれ、講義を生産しているなど考えたことはありません。</li> <li>しかし、この講義は「この」講義で、他のどの講義とも同じではありません。メディアとコンテンツの話になりますが、外形的な一コマという外形は同じですが、内容はみな違います。</li> <li>ここが教科書と違うところ。教科書は、どの教科書もコンテンツは同じですから、一冊二冊とメディアの物量を数えることができるのです。別解は所詮別解、「この講義」の「この」が理由なく無視されているので、ちょっと減点しておきます。</li> </ul> }} #qanda_set_qst(2,4,0){{ <p>問題2-2で尋ねたかったのは、もう少し本質的な問題です。この講義のオリジナリティはたいしたことはないので、唯一無二といってもたかがしれています。</p> <p>では、ルーブル博物館に飾られている「モナリザ」はモノか?</p> }} #qanda(2,4) #qanda_solution(2,4){{ <h4>解答</h4> <p>モノではない。数えられないから。</p> <h4>解説</h4> <ul> <li>同じモノが複数あるから、数える意味があるのです。オリジナルな一点ものはその意味で数えられません。</li> <li>「モナリザ」は物理的な「物」かもしれませんが「モノ」ではありません、悪しからず。</li> <li>このような一点ものを non-fungible というようです。いつまで話題性をもつかしれませんが、<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E6%80%A7%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%B3">NFT</a> は最近あちこちで目にします。</li> <li>一点ものはモノではありません。だから、生産という概念の適用対象ではありません。それは生産されるのではなく、想像されるのです。生産されるのではなく、創造されるのです。</li> </ul> }} #qanda_set_qst(2,5,0){{ <p>三角形の内角の和は180度であるとか、振り子の周期は一定であるとか、水の沸点は1気圧で100度であるとか、等々の「知識」はモノか。理由を述べよ。</p> }} #qanda(2,5) #qanda_solution(2,5){{ <h4>解答</h4> <p>モノではない。なぜなら、唯一無二、量的規定性をもたないから。</p> <h4>解説</h4> <p>「知識を生産する」などと、生産という用語を濫用してはならない。ある知識は一度だけ「発見」されるのだ。有体物でなくても生産という概念は妥当するが、かといって、「情報を生産する」とか、「新技術を生産する」とか、モノでない対象に無節操に生産という用語を使うと、丸い三角形のような撞着があちこちに生じ、論理整合的な「理論」にならなくなるから、重々注意のほど。</p> <hr> <p>以上はほんのわずかの例示です。モノを正確に厳密に定義するには、もっといろいろ考えなくてはいけないことがあります。具体的な事象一つひとつが厳密にモノか否か、紛れなく区別できるように定義するのはたいへんです。しかし、個々の現象に当てはめるのがここでの理論の目的ではありません。</p> <p>モノとして明確に区別できる対象が無数に存在することが抽象的に示せれば、生産の一般理論を構成することはできます。現実にはいろいろなかたちがあるでしょうが、そのなかに多角形なるものの部分集合が抽象的に定義できれば、多角形の一般理論がひとまず展開できるのと同じです。</p> <p>この後、労働はモノか、という重要な問題も考えますが、これは労働の定義を与えるなかで明らかにします。</p> <p>ただここまでの段階で、よく目にする「財とサービス」といった、理論的に無意味な区別からは足を洗っておきましょう。</p> }} ***同種大量性 [#a6802e79] -モノは、生産という概念のベースになる基本要素です。生産の定義が物量の増減を含む以上、当然、モノの量が厳密に規定できることが必須です。 -このモノは、空間的な広がりをもつ有体物よりずっと広い概念ですが、何もかもが含まれるわけではありません。モノの集合は、同種の対象が数かぎりなくあるという [[fungibility>https://www.investopedia.com/terms/f/fungibility.asp]] によって制限をうけます。 **自然過程 [#h841f4c4] -増減という概念は、ある状態が別の状態に変化する「過程」という認識が前提となる。 -「主体は,さまざまなモノに囲まれながら,そのなかの何かに関心を抱く.この関心は,「有用性」というモノの属性に結びついている.そして関心の対象が絞られると,その対象を中心に,''モノの世界を秩序だてて認識するようになる''.主体はさまざまな外的な世界の複雑な反応を,(1)特定の出発点とその帰結に分割し(過程の認識),(2)原因と結果が対応した繰り返しとして(法則性の認識)理解する.過程というのは,現実には複雑で連続的な変化を,有用性の観点から,始点「●」と終点「〇」とに二分する認識方法である.●→〇の→が過程である.法則性というのは,''始点から終点が必然的に導きだされる''という主体の認識である.このようにして理解された,モノとモノとの反応を''自然過程''とよぶ.」(教科書101頁) RIGHT:1分 #qanda_set_qst(2,6,0){{ <p>「モノの世界を秩序だてて認識するようになる」と生じるものを、この講義はなんとよんできたか?</p> <p>だれがやっても「始点から終点が必然的に導きだされる」とき、これを何とよぶか?</p> }} #qanda(2,6) #qanda_solution(2,6){{ <h4>解答</h4> <p>知識</p> <p>技術</p> <h4>解説</h4> <p>だれがやっても同じ結果をもたらすものが「技術」です。ひとによって結果に差が生じれば、そこには「技能」があるといいます。$技能\sim スキル\sim 熟練$ともいいます。</p> <p>「知識」「情報」「技術」など、基礎的な用語は明確な定義なしに氾濫しています。紛れのない言葉で語れるように、整合的な定義をあたえてほしいですか?講義1回分くらいかかりますが...</p> }} ***トリミング [#gf07a289] -「ただし,自然過程はあくまで,主体の認識レベルにおける記述である.自然過程は,「自然」を主体が''トリミンク''した「過程」である.自然界の複雑な反応そのものではない.」 -環境について考えるうえで重要。次の講義で生産と自然環境の関連を理論的に考える枠組みを示す予定。 ***投入と産出 [#a595f544] -自然過程の始点に現われるモノを産出物 アウトプット、始点から終点までの間に過程に入るモノを投入物 インプットという。 -一般に産出物は単一で投入物は複数である場合を考えるが、産出物も複数である場合もある。産出物、投入物は、複数の物量を一定の順序で並べて表示する。 ***線形性 [#ga991233] -投入物と産出物の間に、投入量をk倍にすれば産出量もk倍になるという比例関係を想定します。これは想定、仮定です。 -自然過程が、客観的な知識に基礎をおく以上、同じ操作がくり返し可能であり、そこに再現性がみられるわけですから、この仮定は根拠がないわけではありません。たとえば純粋な化学反応のようなものをかんがえればそうなります。 -もちろん、実験設備を一定にして量を増やせば反応結果が変化するといったことはあるでしょう。しかし、同じ設備をもう一つつくれば、同じ反応結果が観察されるはずです。 -現実には、投入量$A$と産出量$B$の間に、$Ak =Bk$という厳密な比例性はないのですが、ここでは厳密な比例性を理論的な前提とします。 -投入物も産出物もモノを要素としていますから、加算性は前提されています。 -さらに乗法性も仮定したので、これにより、投入物や産出物が複数あるとき、それらをベクトルとして扱うということを意味します。 -ただ文脈上明らかなときは、産出物ベクトル、投入物ベクトルは、「ベクトル」を省き、また「物」も省き、単に産出、投入と表記します。 **生産過程 [#w6f78ebc] ***単純な生産過程 [#j2caf90f] -減少を伴う自然過程を消費過程とよび、それ以外の自然過程を''生産過程’’とよぶ。減少も増加もしなければ当然...となります。 -投入と産出が単一で同種のモノの場合、増減は簡単にわかる。 $$小麦20kg \longrightarrow 小麦30kg$$ -この自然過程は生産過程である。 -この数値例は、あまりに現実からかけ離れているようにみえが 小麦の[[「収穫率」>https://www.jstage.jst.go.jp/article/keizaishikenkyu/3/0/3_KJ00000532554/_pdf/-char/en]]は、古い時代では2〜3倍だといわれている。ただし、真空の空間で小麦が成長するかのような仮想状態になっており、このまま現実との対応を考えると誤りになる。ここにはトリミングの問題であり、次回の講義で詰めてゆきます。 ***二種類の投入を伴う生産過程 [#z8fe4191] -一般の自然過程は、単一の産出物に対して、投入物が複数の要素をからなるベクトルとなるケース。 RIGHT:1分 #qanda_set_qst(2,7,0){{ <p>ふつう産出物が一つになるのはなぜか?</p> }} #qanda(2,7) #qanda_solution(2,7){{ <h4>解答</h4> <p>結果から原因を探すから</p> <h4>解説</h4> <p>はじめに、関心があるモノに注目し、次に、どのようなモノのセットをそろえたらよいか、考えるのが、人の思考法です。</p> <p>なぜ、どうして、どうやったら、という疑問は、だいたい関心のなる一つの結果をみて、浮かぶものです。</p> }} ---- -&color(red){2022年9月29日の講義はここ &size(28){☟}; から}; ---- -小麦の生産に、種子として小麦だけではなく、鍬だとか鎌だとか、牛馬とか肥料とかが使われる。投入物は複数あるのだ。これらを鉄で代表させることにする。たとえば $$小麦10kg + 鉄3kg \longrightarrow 小麦25kg$$ -これだけでは、増減は判別できない。小麦は $25-6=19kg$ 増えているが、鉄は$0-4kg$ つまり $4kg$ 減っているから。どうしたらよいか? -たとえば、つぎのような自然過程が存在すれば、増減を考えることができる。 $$小麦6kg + 鉄5kg \longrightarrow 鉄15kg$$ #qanda_set_qst(2,8,1){{ #qanda_set_qst(2,8,0){{ $$ \begin{align} 小麦10kg + 鉄3kg & \longrightarrow 小麦25kg \\ 小麦6kg + 鉄5kg & \longrightarrow 鉄15kg \end{align} $$ <p>小麦、鉄の物量の増減量を示せ。計算式も書くこと。</p> }} #qanda(2,8) #qanda_solution(2,8){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>小麦:$25-(10+6) = 9kg$</li> <li>鉄:$15-(3+5) = 7kg$</li> </ul> <h4>解説</h4> <ul> <li>投入をマイナス、産出をプラスとしてベクトルで表わすと $$ \begin{align} (-10,-3) & \longrightarrow (25,0)\\ (-6,-5) & \longrightarrow (0,15) \end{align} $$ となる。合成すると $$ (-16,-8) \longrightarrow (25,15) $$ </li> </ul> }} -生産か消費かは個々の自然過程を切り離してみたのでは判別できない。複数の閉じた自然過程の系を考えることで、はじめて判別できるのである。 #qanda_set_qst(2,9,0){{ 「閉じた自然過程の系」の「閉じた」の意味を簡潔に説明せよ。 }} #qanda(2,9) #qanda_solution(2,9){{ <h4>解答</h4> <p>投入に現われる<strong>すべて</strong>の要素を産出する自然過程があること。</p> }} ***複数投入の一般的ケース [#d470984e] -一般の自然過程 $$(a_{i,1},a_{i,2},\cdots, a_{i,n}) \longrightarrow (0,0,\cdots,b_i,\cdots 0) $$ で、$a_{i,1}/b_i$ をあらためて$a_{i,1}$と書きなおすと、i番目の要素1単位を産出する自然過程は次のように表記される。 $$(a_{i,1},a_{i,2},\cdots, a_{i,n}) \longrightarrow (0,0,\cdots,1,\cdots 0) $$ -これは、自然過程が線形であることを前提としている。つまり、投入と産出の間は客観的な法則が支配しており、投入を増減させればそれに比例して産出が増減すると仮定している。この根拠についてはすでに述べたが、もう一度よく考えておく必要がある。 -自然過程の系は、各自然過程を行とする非負行列 $$ A = \begin{pmatrix} a_{1,1} & a_{1,2} & \cdots & a_{1,n} \\ a_{2,1} & a_{2,2} & \cdots & a_{2,n} \\ \cdots & \cdots & \cdots & \cdots \\ a_{n,1} & a_{n,2} & \cdots & a_{n,n} \\ \end{pmatrix} $$ と単位行列 $E$を使って $$ A \longrightarrow E $$ と表わせる。 -自然過程の系$ A \longrightarrow E $が生産であるための必要十分条件は、任意の非負ベクトル$\boldsymbol{x}$ に対して、$\boldsymbol{x}A<\boldsymbol{x}$ となることである。 #qanda_set_qst(2,10,0){{ <p>自然過程の系$ A \longrightarrow E $ において、産出物ベクトル$x$が生産されるとき、増加分を表わすベクトルを求めよ。</p> }} #qanda(2,10) #qanda_solution(2,10){{ <h4>解答</h4> <p>$\boldsymbol{x}-\boldsymbol{x}A$</p> <p>$\boldsymbol{x}(E-A)$</p> <h4>解説</h4> $ \boldsymbol{x}A \longrightarrow \boldsymbol{x} $ は $\boldsymbol{x}A \longrightarrow \boldsymbol{x}E $ <p>増加分は $\boldsymbol{x}E - \boldsymbol{x}A$</p> <p>この増加分を<strong>純生産物</strong> net prodcut とよび、これに対して、産出を<strong>粗生産物</strong> gross product とよぶ。</p> }} **まとめ [#pc60e664] #divregion(,admin,lec=2,qnum=9) -モノ:増減が判定できる対象 -過程:ある期間のモノの出入り -過程は、複雑な現象のなかに、人間が見つけだした、再現可能な客観的なモノの関連 -過程の結果として産出物と、それに結びつく諸要素としての投入物 -複数の過程が閉じた系をなし、全体として、産出物が投入物よりおおいとき、この系を「生産」とよぶ。 #enddivregion