#author("2022-07-10T09:51:58+09:00","default:obata","obata")
#author("2022-07-18T22:31:30+09:00","default:obata","obata")
CENTER:[[前回 ◁ >2022年度/夏学期/第7講]]&color(#447CFF){第 &size(32){8}; 講}; [[▷ 次回>2022年度/夏学期/第9講]]
#qanda_setstid(2022-06-09 16:10:00,90)
#qanda_who
#qanda_mathjax
------

CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){ 価値尺度 };};
#contents
//#qanda_points_chart
//#qanda_points_hist
#qanda_points_chart
#qanda_points_hist

✔  REC ON&br;
✅ 接続チェック

------

#qanda_set_qst(8,20,0){{
<p>&#x2714; 接続状態をおしえてください。</p>
<p>氏名不詳になってしまった人がいれば教えてください。</p>
<hr>
<p>次の文の(A),(B),(C)、ちゃんと埋められますか?</p>
<hr>
<p>商品は、(A)ことのできるモノだが、ただのモノではない。その使用価値が完全に他人ための使用価値になっている状態のモノである。</p>
<p>その結果、商品はもう一つの要因である(B)をもつ。この(B)とは、他のすべての商品と潜在的に置き換えることができるという属性である。</p>
<p>(B)は、使用価値とともに、商品の二要因をなすが、それは使用価値とは異なり、一定の大きさをもつ。</p>
<p>ただ(B)の大きさは、量として直接(A)ことはできない。それは(C)によって表現される。</p>
<p>この(C)とは、実物の商品そのものではなく、商品の(B)を商品の物量と結びつけてつくられる二次的なの構成体であり、これは(B)とはことなり、量として直接(A)ことができる。</p>
<p>こうして商品の(B)は、まず(C)を構成し、次にこの(C)にその商品の一定量が等しいとすることで、量として表現されるのである。</p>
}}
#qanda(8,20)

**本講のネライ [#r464e27d]
-買うと売るの違い
-価値の大きさを「はかる」とは?
**コア原論のレイアへ [#p50b1ebf]
-第6講と第7講は外的条件を加えた変容、多態化のレベルの話でした。この第8講からは再び、いちばん抽象度の高いレイアに戻って話を進めます。[[概念図>2022年度/夏学期/第6講#basicStructure]]のいちばん下のレイア、コア理論のレイアです。
-したがって以下の議論は、商品貨幣のスペックを充していれば、物品貨幣でも、信用貨幣でも、成りたちます。
**価値表現と価値実現 [#g6507726]
***教科書の説明 [#na3a72d0]
-「価値の価格での''表現''に対して,貨幣による購買はその価格を現実の貨幣に変える。 これを価値の価格への''実現''という。価値の価格への''実現''を短く''価値実現''とよび''価値表現’’とついにして用いる。」教科書51頁
-商品の価値は、価格の実現によって、貨幣量として「はかられる」。
-つまり、貨幣による購買によってはかられる。これを貨幣の価値尺度機能とよぶ。
#qanda_set_qst(8,1,0){{
<p>「商品は貨幣にプロポーズしており,その申し出を受け容れるかどうかの決定権は貨幣サイドにある。商品どうしが互いにプロポーズしあっているのではない。すべての商品が貨幣をプロポーズの相手に選んでいる。 </p>
<p>このような一極集中の関係にあるため、商品の価格は買い手の意向によって決定される。」</p>
<p>この主張は正しいか、理由を述べよ。</p>
}}
#qanda(8,1)
#qanda_solution(8,1){{
<h4>解答</h4>
<p>正しくない。</p>
<ul>
  <li>買い手が決定権をもつのは、売り手が提示した価格をうけいれるかどうかに関してのみ。</li>
  <li>価値表現をするのは売り手であり、買い手の側に、価格を提示する能力まであるわけではない。</li>
</ul>
<h4>解説</h4>
<p>教科書にはこんな説明があります。</p>
<p>「イニシャティブという言葉には注意を要する.言い寄る相手があってこそのイニシヤテイブである. 「いくらで」 という申し入れを「慎ましく」 受諾する権利である. どんなに言い寄られても「イヤッ」 と撥ねつける力である. だが,価値表現自体は,売り手が買い手の下心を読んでおこなうのである. 売り手に言い寄らせてこそ,イニシヤテイブは握れる.この節度を忘れてはならない.」</p>
<p>「100円でお願い」という相手にOKといえる、それがイニシヤテイブつまり決定権。しばしばこれを誤解する人がいる。それは「驕り」というもの。「90円に負けてくれるならいいわ」といえば、イニシャティブは売り手に移ってしまう。むりやり90円に値引きさせる力があるわけではないのだ。値段をつけてならんでいる商品は、たしかに貨幣にプロポーズしているといってよいが、貨幣の強みはそれに対して最終的な yes/no がいえるという点のある。</p>
}}

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