- 日時:2018年2月21日(水)19時-21時
- 場所:銀座経済学研究所
- テーマ:『資本論』第1巻第19章
人間の労働能力を、商品売買の形式で処理するというのは本当にむずかしいことです。裁量労働制の導入をめぐる議論の根底にもこの困難が潜んでいます。今読んでいる賃金篇もそうですが、さらにこの読書会で議論してきた労働日や労働組織の問題にもさかのぼって考えてみる必要があります。
この章では、賃金形態に関して、一種の物象化論(現象形態論)とともに、制度の実質効果論が論じられています。理論的におもしろいのは後者でしょう。「制度」で搾取はできるのか?
第19章「出来高賃金」
第19章「出来高賃金」
概要
労働力の価値の一「転化形態」としての「出来高賃金」
第1パラグラフは、「労働力の価値」→「時間賃金」→「出来高賃金」と直列式に読めるが、「労働力の価値」→「時間賃金」、「労働力の価値」→「出来高賃金」という並列式ではないか。
「出来高賃金」がもたらす「外観」
この章も「見える」論が基本。
「労働の価格は、時間賃金と同じく、….生産者の作業能力によって規定されるかのように見える。」es sieht … aus, it looks like …
「出来高賃金は、時間賃金の変化された形態に過ぎない。」のであり、「時間賃金の形態と同じく非合理的である。」という結論(註48の直前のパラグラフ)
註45はおもしろいので読んで議論してみます。ジョン・ウォッツはプルードン型社会主義の残響ということでしょうか。自主管理型社会主義論に対する『資本論』の評価に関わります。
出来高賃金の「特徴的な独自性」
- 「労働の質と量」が労賃という形態で規制される。主体性の誘導という問題でしょうか。
- 労働者内部の下請関係。sweating system や職長制。「労働者による労働者の搾取」(註50の直前)の可能性。
出来高賃金による実質的な搾取の強化
「一方では、労働者たちの個性、したがって自由感、自立性、および自制を発展させる傾向があり、他方では、彼ら相互の競争を発展させる。」
「資本主義的生産様式にもっとも適応した労賃形態」
この理由が、
- 歴史的発展過程を通じた出来高賃金制の普及(註56のまえのパラグラフ)
- 「工場法の適用を受けた作業場では、出来高賃金が一般的通則となる。」
で説明されている。
論点
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- 労賃形態一般と時間賃金・出来高賃金の関係。直列式なのか並列的なのか。
- 第1巻の流れのなかで、出来高賃金を高く評価しすぎていないか。
機械制大工業のもとで単純労働か進むという基本的な流れのなかでは、時間賃金が基本となるはず。「資本主義的生産様式にもっとも適応した労賃形態」は出来高賃金ではなく時間賃金と考えるのが順当。
Vgl. 純粋に技術的な、そして技術的に除去しうる障害を別とすれば、労働日の規制は労働者たち自身の不規則な習慣にぶつかる。とくに、出来高賃銀が支配的に行なわれていて、一日または一週間のある部分における時間の空費が、その後の過度労働や夜間労働によって埋め合わされうる場合において、そうである— この方法は、成年労働者を粗暴にし、彼の未成熟な仲間や女性の仲間を破滅させるものである。K.I.,S.301
出来高賃金は、
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- 労働者のスキルに差があり
- 集団力ではなく、個別的な労働力を形式的に包摂している段階で
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有効な形態である、ということにならないか。
- 出来高賃金と労働内容の「評価」「査定」の違い出来高賃金制は個別労働内容が生産量として目に見えるかたちで現れる。「査定」が必要になるのは、個々の労働者の出来高が直接客観化できないことで必要になる。労働の主流が機械制大工業のもとでの単純労働から乖離するなかで、出来高制には戻れないが、集団力を前提とした、そのなかでの個々の労働者の「評価」が避けられなくなる。これは、この章にでてくる「職長」の問題になるのではないか。裁量労働制の導入においても、「見なし労働時間」に対して一定の労働内容が与えられる。この「一定量」の設定は外部から上司が決定する必要があり、ここで労働内容の「評価」が決定的な問題になる。