K.,I, S.183-84
現象 | 背景 | |
A | 自由な労働者 | 古い諸構成体の没落の産物 des Untergangs einer ganzen Reihe aelterer Formationen der gesellschaftlichen Produktion |
B | 商品流通の発達 | 社会的分業の一定程度の発達 |
C | 資本の歴史的な実存諸条件 Seine historischen Existenzbedingungen | 最初から社会的生産過程の一時代を告知 |
宇野理論的な読み方は、横の区分を重視する。しかし、商品流通の発展に商人資本としての資本の発生をも重視する。
別の見方は、商品の純粋な規定も含めて、全体として資本主義のもとで、本質規定は与えられるという立場をとる。このとき、Bを物々交換に毛が生えたような、共同体と共同体の間で偶発するような交換は、商品流通の規定には不的確であると読む。すると、全体として縦の区別を重視することになる。
このあたりは、このテキストをどう解読するのか、互いに力量が問われるところ。
単身 | 拡散 |
家族賃金 | 収斂 |
労働力については、やはり、生産とはいいにくいから再生産というのだ、というニュアンス。
これに原論主義者がから反論。曖昧にするために、再生産というのはなんたること?
生産でないのに、再生産である、というの矛盾も甚だしい。
という単純な規定に戻すべきである。投入と産出の関係に、明確な量関係が規定できない労働力に 生産という概念をもちこむのは混乱のもとだ、という異説あり。
労働力の「生産」と一般商品の生産とは、基本的に異なる。 労働力は、Cのみで「生産」されている。生きた労働なき「生産」概念を認めるのか。 綿花が自動的に綿糸になるようなかたちで、労働力の生産が考えられている、のではないか、 と思うのだが、どうしてこんなことになったのか、プルードン批判と結びついているのではないか。