61-63草稿の剰余価値論 †
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概要 †
- 量的区別:これは「同時的労働日」のはなし ... 「結合労働日」
- しかし、質的な差異が生じるとして各論述べて、次の箇所で総括。
「結合労働日は、それと同じ大きさの、個々別々の個別的労働日の総和と比較すると、より大量の使
用価値を生産し、それゆえ一定の有用効果を生産するのに必要な労働時間を減少させる。一定の場合
に、
結合労働日がこの増大した生産力をもつようになるのが、
労働の力学的力能を高めるからであろ
うと、
労働の空間的作用部面を拡大するからであろうと、生産の規模に比べて空間的生産場面をせば
めるからであろうと、決定的瞬間に多くの労働をわずかの時間のあいだに流動させるからであろうと
個々人の競争心を刺激して彼らの生気を張りつめるからであろうと、
1 多くの人々の同種の作業に連続性と多面性との刻印を押すからであろうと、
3 異なる作業を同時に行なうからであろうと、
2 共同使用によって生産諸手段を節約するからであろうと、個別的労働に社会的平均労働の性格を与えられるからであろうと --- いずれの場合にも、結合労働日の独特な生産力は、労働の社会的生産力または社会的労働
の生産力である。
それは、 協業そのものから生じる 。
労働者は、他の労働者たちとの計画的協力のなかで、
彼の個人的諸制限を脱して、彼の類的能力を発展きせる。」S.348-9
- 指揮監督労働の問題
「それゆえ、
資本家の指揮は、内容から見れば二面的である --- それは、指揮される生産過程そのも
他面では資本の価値増殖過程であると
いう二面性をそなえているためである---とすれば、形式から見れば専制的である。協大規模に発展するにつれて、この専制は、それ独自な諸形態を発展させる資本家は、彼の資本が本来の資本主義的生産をはじめて開始するための最小限の大ききに達したときに、さしあたり、手の労働から解放されるのであるが、いまや彼は、個々の労働者および労働者群そのものを直接にかつ間断
なく監督する機能を、ふたたび特殊な種類の賃労働者に譲り渡す。軍隊と同様に、同じ資本の指揮の
もとでともに働く労働者大衆は、労働過程のあいだに資本の名において指揮する産業将校()マネージャー)および産業下士官(職長、監督)を必要とする。監督の労働が、彼らの専有の機能に固定きれる。独立農民または自立的手工業者たちの生産様式を奴隷制にもとづくプランテーション
〔植民地的大農場〕経営と比較するとき、経済学者は、この監督の労働を"生産の空費"に数える。それに反して、資本主義的生産様式を考察するにあたっては、経済学者は、共同の労働生じる限りでの指揮の機能を、この過程の資本主義的な、それゆえ敵対的な性格によってれる限りでの指揮の機能と、同一視する。資本家は、彼が産業上の指。
るのではなく、彼が資本家であるがゆえに産業上の指揮官になるのである
封建時代に戦争および裁
判におけ当司令が土地所有に固有なつきものであったように、産業におけるきものになる。」S.351-2
- 資本家の指揮監督を重視するこの認識は、労働過程論における個体的労働観に起因する欠陥である。