obata 2013-06-14
61-63草稿の剰余価値論 †概要 †量的区別 †これは「同時的労働日」のはなし ... 「結合労働日」der kombinierte Arbeitstag S.348-9 質的な差異 †
指揮監督労働の問題 †「それゆえ、 資本家の指揮は、内容から見れば二面的である --- それは、指揮される生産過程そのものが、一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり、 他面では資本の価値増殖過程であると いう二面性をそなえているためである---とすれば、形式から見れば専制的である。協大規模に発展するにつれて、この専制は、それ独自な諸形態を発展させる資本家は、彼の資本が本来の資本主義的生産をはじめて開始するための最小限の大ききに達したときに、さしあたり、手の労働から解放されるのであるが、いまや彼は、個々の労働者および労働者群そのものを直接にかつ間断 なく監督する機能を、ふたたび特殊な種類の賃労働者に譲り渡す。軍隊と同様に、同じ資本の指揮の もとでともに働く労働者大衆は、労働過程のあいだに資本の名において指揮する産業将校(支配人、マネージャー)および産業下士官(職長、"監督")を必要とする。監督の労働が、彼らの専有の機能に固定きれる。独立農民または自立的手工業者たちの生産様式を奴隷制にもとづくプランテーション 〔植民地的大農場〕経営と比較するとき、経済学者は、この監督の労働を"生産の空費"に数える。それに反して、資本主義的生産様式を考察するにあたっては、経済学者は、共同の労働過程の本性から生じる限りでの指揮の機能を、この過程の資本主義的な、それゆえ敵対的な性格によっている限りでの指揮の機能と、同一視する。資本家は、彼が産業上の指揮者であるから資本家である のではなく、彼が資本家であるがゆえに産業上の指揮官になるのである。 封建時代に戦争および裁 判におけ当司令が土地所有に固有なつきものであったように、産業における指令は、資本に固有なつきものになる。」S.351-2
基本形態としての協業 †「協業によって展開される労働の社会的生産力が、資本の生産力として現われるのと同じように、協業そのものも、個別的な独立労働者たち、あるいはまた小親方たちの生産過程に対立する、資本主義的生産過程の独特な形態として現われる。それは、現実的労働過程が資本に包摂されることによって こうむる最初の変化である。この変化は、自然発生的に生じる。この変化の前提、すなわち同じ労働過程において比較的多数の賃労働者が同時に就業することは、資本主義的生産の出発点をなす。この 出発点は、資本そのものの定在と一致する。それゆえ、一方では、資本主義的生産様式が、労働過程を社会的過程へと転化きせる歴史的必然性として現われるとすれば、他方では、労働過程のこの社会的形態は、資本が労働過程の生産力を増大きせ、それによってこの過程をより有利に利用するために 使う一方法として現われる。」 「協業は --- その単純な姿態そのものが、いっそう発展した諸形態とならよ特殊な形態として現われ はするが --- 資本主義的生産様式の基本形態である。」 |