obata 2013-06-14

61-63草稿の剰余価値論

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概要

量的区別

これは「同時的労働日」のはなし ... 「結合労働日」der kombinierte Arbeitstag S.348-9

質的な差異

集団力
「騎兵一個中隊の攻撃力または歩兵一個連隊の防御力は、各騎兵および各歩兵によって個々別々に展 関される攻撃力および防御力の合計とは本質的に違っているのであるが、それと同じように、個々別別の労働者の力の機械的な合計は、多数の働き手が、分割されていない同じ作業で同時に働く場合---たとえば、荷物を持ち上げたり、クランクを回したり、障害物を取りのぞいたりしなければなら ないような場合---に展開される社会的力能とは、本質的に違っている。 この場合、結合された労働の効果は、個々別々の労働によっ てはまったく生み出されないか、またははるかに長い時間をかけて ようやく生み出されるか、もしくは小規模でしか生み出されないか、であろう。 ここで問題なのは、協業による個別的生産力の増大だけではなくて、それ自体として集団力である べき生産力の創造である。」
競争心
「多くの力が一つの総力に融合することから生じる新しい力能は別としても、たいていの生産的諸労働の場合には、単なる社会的接触によって、生気(。動物精気。)の独自な興奮と競争心とが生み出され、それらが個々人の個別的作業能力を高めるのであって、その結果、一二人が一緒になれば、一四四時間の同時的な〔共同の〕一労働日で提供する総生産物は、一二人の個々別々の労働者が各自一二O 時間ずつ労働するよりも、または一人の労働者が二一日間続けて労働するよりも、はるかに大きい。 このことは、人聞は生まれながらにして、アリストテレスが考えるように政治的動物ではないとして も、とにかく社会的動物であるということに由来している。」
この箇所で総括
「結合労働日は、それと同じ大きさの、個々別々の個別的労働日の総和と比較すると、より大量の使 用価値を生産し、それゆえ一定の有用効果を生産するのに必要な労働時間を減少させる。一定の場合 に、 結合労働日がこの増大した生産力をもつようになるのが、
  1. 労働の力学的力能を高めるからであろうと、
  2. 労働の空間的作用部面を拡大するからであろうと、
  3. 生産の規模に比べて空間的生産場面をせばめるからであろうと、
  4. 決定的瞬間に多くの労働をわずかの時間のあいだに流動させるからであろうと、
  5. 個々人の競争心を刺激して彼らの生気を張りつめるからであろうと、
  6. 多くの人々の同種の作業に連続性と多面性との刻印を押すからであろうと、
  7. 異なる作業を同時に行なうからであろうと、
  8. 共同使用によって生産諸手段を節約するからであろうと、
  9. 個別的労働に社会的平均労働の性格を与えられるからであろうと
いずれの場合にも、結合労働日の独特な生産力は、労働の社会的生産力または社会的労働 の生産力である。 それは、 協業そのものから生じる 。 労働者は、他の労働者たちとの計画的協力のなかで、 彼の個人的諸制限を脱して、彼の類的能力を発展きせる。」S.348-9

指揮監督労働の問題

「それゆえ、 資本家の指揮は、内容から見れば二面的である --- それは、指揮される生産過程そのものが、一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり、 他面では資本の価値増殖過程であると いう二面性をそなえているためである---とすれば、形式から見れば専制的である。協大規模に発展するにつれて、この専制は、それ独自な諸形態を発展させる資本家は、彼の資本が本来の資本主義的生産をはじめて開始するための最小限の大ききに達したときに、さしあたり、手の労働から解放されるのであるが、いまや彼は、個々の労働者および労働者群そのものを直接にかつ間断 なく監督する機能を、ふたたび特殊な種類の賃労働者に譲り渡す。軍隊と同様に、同じ資本の指揮の もとでともに働く労働者大衆は、労働過程のあいだに資本の名において指揮する産業将校(支配人、マネージャー)および産業下士官(職長、"監督")を必要とする。監督の労働が、彼らの専有の機能に固定きれる。独立農民または自立的手工業者たちの生産様式を奴隷制にもとづくプランテーション 〔植民地的大農場〕経営と比較するとき、経済学者は、この監督の労働を"生産の空費"に数える。それに反して、資本主義的生産様式を考察するにあたっては、経済学者は、共同の労働過程の本性から生じる限りでの指揮の機能を、この過程の資本主義的な、それゆえ敵対的な性格によっている限りでの指揮の機能と、同一視する。資本家は、彼が産業上の指揮者であるから資本家である のではなく、彼が資本家であるがゆえに産業上の指揮官になるのである。 封建時代に戦争および裁 判におけ当司令が土地所有に固有なつきものであったように、産業における指令は、資本に固有なつきものになる。」S.351-2

obataの評価資本家の指揮監督を重視するこの認識は、労働過程論における個体的労働観に起因する欠陥である。

基本形態としての協業

「協業によって展開される労働の社会的生産力が、資本の生産力として現われるのと同じように、協業そのものも、個別的な独立労働者たち、あるいはまた小親方たちの生産過程に対立する、資本主義的生産過程の独特な形態として現われる。それは、現実的労働過程が資本に包摂されることによって こうむる最初の変化である。この変化は、自然発生的に生じる。この変化の前提、すなわち同じ労働過程において比較的多数の賃労働者が同時に就業することは、資本主義的生産の出発点をなす。この 出発点は、資本そのものの定在と一致する。それゆえ、一方では、資本主義的生産様式が、労働過程を社会的過程へと転化きせる歴史的必然性として現われるとすれば、他方では、労働過程のこの社会的形態は、資本が労働過程の生産力を増大きせ、それによってこの過程をより有利に利用するために 使う一方法として現われる。」 「協業は --- その単純な姿態そのものが、いっそう発展した諸形態とならよ特殊な形態として現われ はするが --- 資本主義的生産様式の基本形態である。」


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13