2012年度/冬学期

「余剰が形成されるならば,資本の運動が発生する」という命題には,以下の2点で疑問がある.

  1. 余剰が形成されたからといって,それが市場に持っていかれることにはならない.貯蔵されたり廃棄されたりする途もあり,余剰の存在自体が市場の生成を保証するわけではない.
  2. よしんば市場に出されたとしても,余剰の交換が1回きりにならず,継続的な資本の運動になるとは限らない.必要物の交換はW-G-W'の1回きりで終了するからといって,余剰の交換ならそうならないとは限らないからである.

沖の論考では,「市場像」の対立は主としてそこでの商品が必要物か余剰か,あるいは単純流通か資本流通かという点を巡って描かれており,市場が「交換の場」であるというところには必ずしも疑義が呈されているわけではない. そこでは,市場に内在した形での資本の運動の導出のためには「交換の場」としての市場という理解から見直す必要性が逆説的に露呈されている.


file小幡のコメント

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