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第2篇 第1章 労働 †
基本問題 †
- 労働に関する単純労働一元論は、貨幣における金(属)貨幣一元論とよく似ている。両者はこれまで経済原論を、純粋資本主義論が課した狭い枠に押し込めてきた。
- 信用論の研究の深化は、金属貨幣一元論を突破するのにおおいに貢献した。その成果を貨幣論に還元するには、方法論の見なおしが方法論の見なおしが必須であった。
- これに比べて労働論は、一元論から脱却するルートが未整備のままである。
- その第一のルートは、価値論における労働価値説を客観価値説の枠組みのなかに正しく位置づけなおすことである。
- 第二のルートは、原論のなかに労働市場論を確立することである。労働市場論は労働過程論と相補的な関係にあるが。
- 労働論を拡張するためにキーになるには、熟練(スキル)の概念である。従来の単純・複雑労働論に対する最低限の批判的検討が前提ないし出発点となる。
- またこの拡張に際しては、情報通信技術の発展を念頭におく必要がある。広い意味でのコンピュータの違いが、『資本論』の「機械」とどう違うのか、分析する必要がある。
- 以上をふまえて『これからの経済原論』第2篇第1章「労働論」について、検討してみたい。
第1節 労働過程 †
「自然過程」と「労働過程」の区別 †
- 図1.2.1 に集約される。これをみると
- 「自然過程」と「労働過程」の二重性はよくわかるが
- 二つの過程を媒介する「身体」の位置が曖昧。
連接の三層構成 †
- 基本は三層構成
自然過程 | モノとモノ | 技術 |
身体 | 意識とモノ | スキル |
意識 | 主体と主体 | コミュニケーション |
- 図1.2.1 のように「意識⇄労働成果」として、←を「[1]の段階」、→を「[2]の段階」として直結してよいか。
労働の基本構造 †
- ( (「意識」⇄「身体」) ⇄ (「労働手段」⇄「労働対象」) )という《構造》がある点を明確にすべき。
- 目的の一つは、「熟練」概念の分析。熟練は宙に浮いているのではない。
- 熟練の第一の契機は(「意識」⇄「身体」)というユニット化。これで「労働力」=「労働能力」となる。
- 第二の契機は「労働能力」⇄「労働手段」の接合。道具を自在に扱えるようになること。
- とくに、意識←労働成果という「[1]の段階」も、基本的に外界への知覚には身体を含むモノの媒介レイアが存在する点は明示すべき。
- 熟練は、このような外界への知覚が、身体・道具を必要とすることにも大きく依存する。
- 全般に、労働論では意識→労働成果という方向に焦点があてられ、熟練も「つくる」過程のほうに力点がおかれている。
- 知覚とその結果の操作から、外界を正確に認識することが、熟練の基底をなす。
- 二つ目の目的は「技術」の原理的規定。
- (「労働手段」⇄「労働対象」))の自立性。
- 主体の意識から独立に、自然科学の法則的世界が存在する。ここで機械の自動性の根本を示しておく。
- さらに三つ目の目的は、「協業」概念の基礎づけ。
- 「意志の連結」はコミュニケーション。ただし英語の communication は「通信」と「対話=コミュニケーション」と両義。
- 「通信」には通信手段が多くの場合介在する。テレパシーは期待できない。発話にも身体操作は必要であり、スキルはここに宿る。
- 「目的の共有」も無手順でできるものではない。さまざまなレベルの「ドキュメント」を作成することが必要。
- 『これからの経済原論』の図2.1.3は、
- 意志Aが他人Bの身体を直接指図できるわけではないこと、
- これを、Aが目的を設定しBが遂行するという素朴な「構想と実行の分離」に結びつけ、その限界を指摘したことはメリットだが、
- 意志と意志の直接結合を一般化したところに限界がある。これについては後述。
- 最後に四つ目の目的は、「分業」概念の基礎づけ。
- これは(「労働手段」⇄「労働対象」) の自立性を明確にすることで可能になる。これも後述。
オブジェクトとしての労働 †
- このような労働の構造論の外延に「欲望の目的化」という労働の契機がある。最近ではこれも含めて「オブジェクトとしての労働」のような拡張を考えている。
- 第3節「資本のもとで労働過程」をみると、資本家の労働からはじまっている(ようにみえるがこれには同意できないけれど、ともかく)。
- こうした展開をとるのであれば、労働の基本概念も、相手の漠然とした欲望をハッキリした目的に定式化する活動(これもコミュニケーション)を取りこんでおくべき。