中村宗之 (2005-07-02 12:51:16 (土))
マルクスに道徳的要素をまったく認めないアルチュセールやレーニンについても、準備する時間があれば簡単にふれる予定です。この立場は、ジェラスの論文では省略されていますが、キムリッカやぺファーが扱っています。
obata (2005-07-17 20:26:58 (日))
- 正義というのが複合的な価値の合成概念なのか、
- それとも諸価値の一つなのか、
- あるいは諸価値を超越する価値なのか、
議論してみた。
正義の概念が、たとえば、自由・平等・効率といった、諸価値の合成であるとすると、これらの諸価値をどのような比重で取りそろえるか、さまざまなかたちの正義があることになる。時代によって正義のかたちも変わってくる、ということになるであろう。
あるいは、自由や平等とならぶ位置に、正義という価値もある、という立場も考えらえる。
逆に自由と平等の間に対立を調停するような、超越的な基準が正義である、という立場もあるであろう。このように考えると、正義というのは、それ自身に特定の内容があるのではなく、諸価値の調整原理という意味になり、その意味でニュートラルに時代を超えた調整原理として存在するということになる。正義というのは、調停の手続きの問題で、その結果生まれる特定の状態を意味するというわけではない、ということになる。たとえば、正しい手続きで結ばれた契約なら、その契約の中身にかかわらず、正義は貫かれている、というような考え方になる。
このあたりが明確に詰められないと、既存の(あるいは自分の)「正義」観を前提にして、搾取は正義かどうか、などという主観を言い合うだけで終わるのではないか、と懸念される。