7.15ゼミ報告について

中村宗之 (2005-07-02 12:51:16 (土))

 マルクスに道徳的要素をまったく認めないアルチュセールやレーニンについても、準備する時間があれば簡単にふれる予定です。この立場は、ジェラスの論文では省略されていますが、キムリッカやぺファーが扱っています。

正義の概念構造

obata (2005-07-17 20:26:58 (日))

正義というのが

(1) 複合的な諸価値の合成概念なのか、
(2) 諸価値のうちの一つなのか、
(3) 諸価値を超越する価値なのか、

議論してみた。

(1)正義の概念が、たとえば、自由・平等・効率などといった、諸価値の合成であるとすると、これらの諸価値をどのような比重で取りそろえるか、さまざまなかたちの正義があることになる。時代によって正義のかたちも変わってくる、ということになるであろう。

(2)あるいは、自由や平等とならぶ位置に、正義という価値もある、という立場も考えらえる。

(3)逆に自由と平等などの間の対立を調停するような、超越的な基準が正義である、という立場もあるであろう。このように考えると、正義というのは、それ自身に特定の内容をもつのではなく、諸価値の調整原理という意味になり、そのかぎりでニュートラルに時代を超えた調整原理として存在するということになる。正義というのは、調停の手続きの問題で、その結果生まれる特定の状態を意味するというわけではない、というわけである。たとえば、正しい手続きで結ばれた契約なら、その契約の中身にかかわらず、正義は貫かれている、というような考え方になる。

このあたりが明確に詰められないと、既存の(あるいは自分の)「正義」観を前提にして、搾取は不正かどうか、などという主観を言い合うだけで終わるのではないか、と懸念される。

  • 報告者としては、たとえばそのようにいくつか考えられる正義の概念のうち、マルクスはどれに依拠しているのか、あるいはどれにも依拠していないのかといったことを、マルクスの文章に即して考えてみたいと思っていました。 -- 中村宗之 2005-07-18 23:58:46 (月)

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13