マルクス主義フェミニズムの一元論と二元論の論争から得られるマルクス経済学の課題

寸評

obata (2005-05-06 12:30:22 (金))

「非資本主義的要素である『家父長制』」(7頁)というような場合は、<非市場的な要素>というようにいうべきところでしょう。「「純粋な資本主義」がいかに家父長制と接合して「現実の資本主義」を構成しているか」という場合も、「<市場>がいかにして<家父長制>と接合して<現実の資本主義>を構成しているか」というようになるのではないかと思います。

従来の宇野理論のなかでは、 市場と非市場という枠組みができていて、 この非市場のなかに、いろいろな要因をくくり込んできました。 このなかにone of them として、家父長制を位置づける、というのが一般でしょう。 しかし、これではまずいのでしょうね。なぜ、どこがまずいのか、説明してみてください。

本稿を読んでいて、<非市場>という概念はちょっとく注意したほうがいいのかもしれないと思いました。 ここには<原理>と<領域>とが重なっているように思えてきました。

交換(市場)生産組織国家家族...
競争
家父長制
共同
規制
博愛
...

ジェンダーが強く作用する領域、場とそうでない場というのがあるのではないか、と思うのです。たとえば、市場の売買でジェンダーが問題になるのかどうか。生産とか、生活の場では資本主義でもジェンダー問題が無視できないでしょう。このあたりの区別が一つ。もう一つは、家父長制の内容を分析し再構成することで、生産組織なり、労働力の維持機構なりのどのような要素として、いかなる側面に強く作用するのかを、分析してゆくことでしょう。

グローバリズムを考えるとき、いわゆる<競争国家>のような要因が不可欠なようにも思えるのです。形式的包摂ー実質的包摂論などは、逆に資本自身に純化の力を認める議論のようにも思えるのです。市場の分解作用をどう評価するのか、この問題です。

レジュメ

obata (2005-05-04 06:52:54 (水))

この報告のレジュメはメーリングリストで配布されてますが、念のため、ここからもダウンロードできるようにしておきます。
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