資本の前貸概念について

資本の誕生と商品経済の発達

K.,I, S.183-84

現象背景
A自由な労働者古い諸構成体の没落の産物des Untergangs einer ganzen Reihe aelterer Formationen der gesellschaftlichen Produktion
B商品流通の発達社会的分業の一定程度の発達
C資本の歴史的な実存諸条件 Seine historischen Existenzbedingungen最初から社会的生産過程の一時代を告知


  1. 三つの現象と三つの背景を、同時進行的なものと読むか(縦の区分)
  2. A,CとBとは、本質的に異なる事態であると読むか(横の区分)

    宇野理論的な読み方は、横の区分を重視する。 しかし、商品流通の発展に商人資本としての資本の発生をも重視する。
    別の見方は、商品の純粋な規定も含めて、全体として資本主義のもとで、本質規定は与えられるという立場をとる。 このとき、Bを物々交換に毛が生えたような、共同体と共同体の間で偶発するような交換は、商品流通の規定には不的確であると読む。 すると、全体として縦の区別を重視することになる。
    このあたりは、このテキストをどう解読するのか、互いに力量が問われるところ。

弾力性問題

elasticity.png
弾力性α
一定の生活物資Bから、どれだけの生きた労働Tを引きだすことができるか、をめぐる弾力性 B -> T,T',....
弾力性β
一定の生きた労働Tを引きだすのに、どれだけの生活物資Bが必要か、をめぐる弾力性 T -> B,B',....

労働力の再生産

なぜ労働力について再生産と用語を多用するのか

労働力については、やはり、「生産」とはいいにくいから「再生産」というのだ、というニュアンスの反応が。 これに原論屋として頑固に反論。曖昧にするために、再生産というのはなんたること? 「生産」でないのに、「再生産」である、というのは矛盾も甚だしい。

(反省)とはいってはみたものの
演習のときには、このことを一面的に強調しすぎたかもしれない。「再生産」という用語を異なる文脈でつかうことは可能だし、その相違さえ明確にすればそれでよいことだと考えている。世代間再生産とか、子どもが親に似るとか、同じような構造が再現するとか、そういう現象を、再生産ということもある。私個人は「再生」でもいいのではないかと思うが、ともかくreproductionを再生産というように訳すわけで、この場合には「生産」の意味はないのだろう。

生産とはなにか、再生産とはなにか、という基本概念

という単純な規定に戻すべきである。投入と産出の関係に、明確な量関係が規定できない労働力に 生産という概念をもちこむのは混乱のもとだ、という異説あり。

労働力の「生産」と一般商品の生産とは、基本的に異なる。 労働力は、Cのみで「生産」されている。生きた労働なき「生産」概念を認めるのか。 綿花が自動的に綿糸になるようなかたちで、労働力の生産が考えられている、のではないか、 と思うのだが、どうしてこんなことになったのか、プルードン批判と結びついているのではないか。

2007-05-25 (金) 19:00:01 obata

前貸概念をめぐって

obata (2007-05-26 (土) 03:26:44)

期間概念と増殖概念

obata (2007-05-27 (日) 12:23:18)

「生産概念は期間概念と独立に与えられるか」という問題をだしてみました。ほぼ全員、期間概念なしには増殖等概念は成りたたない、という結論でした。小幡はあえて、抽象的な概念としては、期間無き増殖は考えられるといいました。期間無き増殖概念がいえても、「だって現実には意味ないでしょう」はなしです。増殖という概念を考えるときには、原理的に期間が不可分だという考え方は、増殖には期間を要する、増殖の少なくとも一つの要因は期間であり、期間に基づく増殖分は利子であるという、増殖=利子論、オーストリア学派的資本観に与することになります。逆に、原理的に期間ゼロの増殖概念が抽出できるかどうかが、マルクス的な剰余価値論の基盤となる、というと、ちょっとオーバーススペックですが、まあ、このあたりに話は展開してゆくことはご了解ください。

さて、能書きはともかく、ほんとうに、期間ゼロの増殖なんてあるのか、一瞬のうちに増殖する、などということが可能なのか。

補論ですが、もちろん、価格の変動、のようなかたちでの評価値の変更による、一瞬の増加は考えられるのですが、これはここのでの増殖の問題ではないので、除外します。実物的な増大です。生産における物量増大に限定します。

さて、手品は成功するか。いま工場に10の原材料を投入した、その瞬間に20の製品が産出された。同時にです。10は20に増殖した。このタネは、工場に完成まぎわの半製品が存在したからです。そしてこの完成品に至るまでのステップを、いま投入した原材料に即して追えば、10日かかる。この10日は、100のストックとしての資本に体現されている(正確には、加工過程で徐々に増えるとすると、その集計は100以上ということになるでしょうが、最後の一瞬に、産出されるときに20にボンと殖えるとしておきます。問題の本質には関係ありません)。もし、100の加工段階のストックがないとすれば、生産には10日という期間がかかる。これが100に資本ストックでゼロになる、というのがここでの話ということになります。

要するに、期間はストックに変換できる、というのが、ここでの命題です。すべての期間がストックに還元できるか、あるいは、逆にすべてのストックが期間に還元できるか、この全称化はできませんが、この関係がある範囲で存在する、ということです。これが、期間抜きの概念技法なのですが、いかがでしょうか。

こういう期間・ストック変換の技法は、すでにリカードが逆の命題として、ストックに還元できない期間がある、というかたちで論じていますし、『資本論』にでてくる同時的労働日も類似した概念技法を用いていると思います。


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