重複する等価物を知るということ

おそらく、知るということは、知るものをつくるという面を含んでいる。泉氏の<幻実性>というのは、余りいいセンスのシャレではないと思うが、内容はこの共通物を探す過程で、リストが組み替えが発生し、結果的に創出されるという性質をいっているように解された。

後の場合は、追加された「貨幣」は追加的な購買力を形成することになるが、前者の場合、もともとの商品量は変わりないのであり、ただ、そのうちの一つの価格表示の単位という特権が付与されただけで量的に購買力が追加されるわけではない。前者は認める論者もいようが、後者はちょっと難しい。

貨幣価値の安定性

青才高志さんがいうように、貨幣商品の絞り込みには価値の安定性という性格が強く作用する。一般に素材的に耐久性があること(沖公祐さんの指摘するようにこの耐久性が蓄蔵の対象となる第一条件だろうが)、その結果、ストックとして市場に滞留する(貴金属のように消耗することがないのだから)。ストックがあつく形成される結果、需要供給というフローの変動から相対的に独立した安定した価値をもつことになる。これがだいたい通説だと思う。

しかし、ひとたび貨幣となると、その商品は即時にどの商品にもかわりうるということになるから、結果的にすべての商品在庫と同じ量のストックという性質が付帯するようになる。すなわち、市場におけるすべての商品在庫が貨幣ストックの量と同じ意味をもつようになる。貨幣価値が安定するのは、それが貨幣としてなんでも返るからだ、という面があるのではないか、とobataは考えている。

この問題は、


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