**マダム・クィックリ [#i66aeaf5]


>Quick.
I am no thing to thank God on, I would thou shouldst know it; I am an honest man’s wife; and, setting thy knighthood aside, thou art a knave to call me so.

>Fal.
Setting thy womanhood aside, thou art a beast to say otherwise.

>Quick.
Say, what beast, thou knave thou?

>Fal.
What beast! why, an otter.

>Prince.
An otter, Sir John! why, an otter?

>Fal.
Why? she’s neither fish nor flesh; ''a man knows not where to have her.''

>Quick.
Thou art an unjust man in saying so: ''thou or any man knows where to have me,'' thou knave thou!


マダム・クィックリは、人には「どうにもつかまえようのわからない」と言われているが、自分では「誰もでもつかまえどころがわかる」と主張している。


http://oll.libertyfund.org/?option=com_staticxt&staticfile=show.php%3Ftitle=1634&chapter=52325&layout=html&Itemid=27


ehara

*討議メモ [#f020cf3d]
*討議メモ by obata [#f020cf3d]
**第3節「価値形態または交換価値」 [#k09675c4]
***パラグラフ1 [#w4cd3a85]
「使用価値または商品体の形態で」という場合の「形態*」は「商品の二要因」という場合の「要因」であり、これを形態とよぶと混乱を生む。
「自然形態」の「形態」も、使用価値=商品体=自然形態であり、「形態*」である。「自然形態と価値形態という二重の形態」というのも、「価値形態*」である。これに対して、本来の「形態」は、「価値実体」に対する「価値形態」である。この「価値形態」は「価値形態*」とは異なるレベルの概念である。

***パラグラフ2 [#gbbbbd09]
「価値対象性」というのは「価値物」とほぼ同義である。「価値対象性」は商品と商品の関係を通じて現れる
といっているが、それは関係に先行してまず、価値が内在する、実在するということを否定するものではない。実在 X is. が成立し、次に X is A. という関係が成り立つ。

***パラグラフ3 [#c0c62152]
パラグラフ2が、交換価値 ---> 価値実体(=価値対象性) ===>「現象形態」という関係を述べているのに対して、パラグラフ3は貨幣形態 ---> 簡単な価値形態 ===> 「貨幣の謎」という関係を述べている。二つのパラグラフは、連続しているのではない。宇野派は、おおむね、第3パラグラフを認め、「貨幣の謎」を解き明かすだけなら、第2パラグラフの価値実体にまで遡る必要はない、という考え方をとってきた。しかし、これでは不充分である。

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