マダム・クィックリ †
マダム・クィックリは、人には「どうにもつかまえようのわからない」と言われているが、自分では「誰もでもつかまえどころがわかる」と主張している。 ehara 討議メモ by obata †第3節「価値形態または交換価値」 †パラグラフ1 †「使用価値または商品体の形態で」という場合の「形態*」は「商品の二要因」という場合の「要因」であり、これを形態とよぶと混乱を生む。 「自然形態」の「形態」も、使用価値=商品体=自然形態であり、「形態*」である。「自然形態と価値形態という二重の形態」というのも、「価値形態*」である。これに対して、本来の「形態」は、「価値実体」に対する「価値形態」である。この「価値形態」は「価値形態*」とは異なるレベルの概念である。 パラグラフ2 †「価値対象性」というのは「価値物」とほぼ同義である。「価値対象性」は商品と商品の関係を通じて現れる といっているが、それは関係に先行してまず、価値が内在する、実在するということを否定するものではない。実在 X is. が成立し、次に X is A. という関係が成り立つ。 パラグラフ3 †パラグラフ2が、交換価値 ---> 価値実体(=価値対象性) ===>「現象形態」という関係を述べているのに対して、パラグラフ3は貨幣形態 ---> 簡単な価値形態 ===> 「貨幣の謎」という関係を述べている。二つのパラグラフは、連続しているのではない。宇野派は、おおむね、第3パラグラフを認め、「貨幣の謎」を解き明かすだけなら、第2パラグラフの価値実体にまで遡る必要はない、という考え方をとってきた。しかし、これでは不充分である。 |