マダム・クィックリ

Quick. I am no thing to thank God on, I would thou shouldst know it; I am an honest man’s wife; and, setting thy knighthood aside, thou art a knave to call me so.

Fal. Setting thy womanhood aside, thou art a beast to say otherwise.

Quick. Say, what beast, thou knave thou?

Fal. What beast! why, an otter.

Prince. An otter, Sir John! why, an otter?

Fal. Why? she’s neither fish nor flesh; a man knows not where to have her.

Quick. Thou art an unjust man in saying so: thou or any man knows where to have me, thou knave thou!

マダム・クィックリは、人には「どうにもつかまえようのわからない」と言われているが、自分では「誰もでもつかまえどころがわかる」と主張している。

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ehara

討議メモ by obata

第3節「価値形態または交換価値」

パラグラフ1

「使用価値または商品体の形態で」という場合の「形態*」は「商品の二要因」という場合の「要因」であり、これを形態とよぶと混乱を生む。 「自然形態」の「形態」も、使用価値=商品体=自然形態であり、「形態*」である。「自然形態と価値形態という二重の形態」というのも、「価値形態*」である。これに対して、本来の「形態」は、「価値実体」に対する「価値形態」である。この「価値形態」は「価値形態*」とは異なるレベルの概念である。

パラグラフ2

「価値対象性」というのは「価値物」とほぼ同義である。「価値対象性」は商品と商品の関係を通じて現れる といっているが、それは関係に先行してまず、価値が内在する、実在するということを否定するものではない。実在 X is. が成立し、次に X is A. という関係が成り立つ。

パラグラフ3

パラグラフ2が、交換価値 ---> 価値実体(=価値対象性) ===>「現象形態」という関係を述べているのに対して、パラグラフ3は貨幣形態 ---> 簡単な価値形態 ===> 「貨幣の謎」という関係を述べている。二つのパラグラフは、連続しているのではない。宇野派は、おおむね、第3パラグラフを認め、「貨幣の謎」を解き明かすだけなら、第2パラグラフの価値実体にまで遡る必要はない、という考え方をとってきた。しかし、これでは不充分である。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13