*小商品生産者をめぐって [#e38b1bca]
||| ''労働力商品'' | ''自己労働'' |
| ''生産'' || 産業資本 | 小商品生産者 |
| ''流通'' || 商業資本 | 商人資本 |

-小商品生産者も見方によっては = 商人資本?!
-「小商品生産者も見方によっては = 商人資本」って...?!
,G,-,W,,C+V ,-->, C+V+M,,W',-,G',....労働力商品による
,G,-,W,,C,-->,C+V+M,,W',-,G',....自己労働による

-買って売ることでコスト概念が適用される。自己増殖には、コスト概念が前提となる。
-このかぎりでは、小商品生産者も含まれる。
-自己労働が価値を形成することを明示すると、商人資本 -> 小商品生産者になる。
-自己労働を捨象すれば、小商品生産者 -> 外枠のG-W-G'になる。
--買って売ることでコスト概念が適用される。自己増殖には、コスト概念が前提となる。
--このかぎりでは、小商品生産者も含まれる。
--自己労働が価値を形成することを明示すると、商人資本 -> 小商品生産者になる。
--自己労働を捨象すれば、小商品生産者 -> 外枠のG-W-G'になる。

*小商品生産者と産業資本 [#bae418b0]
-『資本論』では、この両者の対比が死角に落ちるような論理展開になっている。そのわけは?
-逆に、商人資本と産業資本の対比に焦点があてられる。
-これは資本主義の生成に関して、後者の展開を重視するかたちになる。
--原始的蓄積を重視した断絶説になるか、
--あるいは、商人資本の生産過程への滲透説になる。
-しかし、小商品生産者から産業資本へという転化を否定しても
-資本主義のもとでも、産業資本と小商品生産者の対立が残ると考えることは可能である。
-中心部と周辺の二重構造論…って例の世界資本主義論 じゃないの?
-小商品生産者としての労働者家庭 

*資本の原始的蓄積と貨幣の資本への転化 [#p1708213]

-原始的蓄積は、労働力の全面的商品化=純粋資本主義というラインに結びつく。
-原始的蓄積は、資本による包摂論のような、流通浸透視角と基本的には排他関係にある。
-流通浸透視角=世界資本主義
-商人資本が原始的蓄積をおこなう....なんていうことは論理的あり得ない。
-資本が存在しないところから、資本が誕生するから、原始的蓄積。
-原始的蓄積の対をなすのは、資本主義的蓄積。両者は基本的に重なる部分がない。
-しかし、ときどき、重商主義段階において、商人資本によって原始的蓄積が進められた、といった誤った説明をみる。
-原始的蓄積(資本家でない主体が資本をはじめて「蓄積」するのであって、資本の運動を通じて形成された剰余価値が蓄積されるのではない。)、資本家的蓄積(これは産業資本による剰余価値が、資本家的に消費されるのではなく蓄積される。これは拡大再生産になる。)のほかに、商人資本的蓄積という範疇を考えれば別。

以上、obata &new;
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