#author("2023-06-28T10:31:02+09:00","default:obata","obata") #author("2023-06-28T15:37:17+09:00","default:obata","obata") CENTER:[[前回 ◁ >2023年度/夏学期/第6講]]&color(#447CFF){第 &size(32){7}; 講}; [[▷ 次回>2023年度/夏学期/第8講]] ---- #qanda_setstid(2023-06-22 16:20:00,100) #qanda_who #qanda_mathjax #qanda_points_chart #qanda_points_hist ✔ REC ON&br; ✅ 接続チェック #qanda_set_qst(7,100,0){{ <p>✔ 接続状態をおしえてください。</p> }} #qanda(7,100) CENTER:&size(25){&color(yellow,navy){ 商品貨幣 };}; #contents ------ **概要 [#ce74c646] -貨幣のコアをなす:商品貨幣の定義 -商品貨幣の二つの実現方式 **商品貨幣 [#kd778a24] +商品価値を表現できる貨幣を、商品貨幣とよぶ。 +商品なら価値が''ある''。 +その価値はかならず''表現''される。 +価値を表現する''等価物''には、商品相互の関係から(内的条件)、その統一への力が作用する ::P。 +潜在的だがすべての他の商品と「等しい」という価値の定義から、単一の等価物''一般的等価物'' が求められる::Q。 +Q-P のギャップを埋めるには、外的な追加条件が必要。 +一般的等価物が、さらにある期間を通じて、変わることなく持続するとき、これを貨幣とよぶ。この貨幣は、必然的に、商品価値を表現できる商品貨幣である。 +商品貨幣は、単一化と持続のために、さらに外的条件を必要とする。 +この追加条件によって、商品貨幣は、物品貨幣か、信用貨幣か、いずれかのすがた shape Gestalt をとる。商品貨幣の仕様を充たす二つの実装方式があるといってもよい。 #qanda_set_qst(7,1,0){{ <p>商品貨幣に求められる必須の機能は、商品の交換を媒介する機能である。</p> <p>真か偽か,理由を述べよ。</p> }} RIGHT:1mini #qanda(7,1) #qanda_solution(7,1){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>偽</li> <li>商品貨幣に必須なのは、商品価値を表現する機能である。</li> </ul> <h4>解説</h4> <ul> <li>もちろん、この講義による言葉の使い方の約束によれば、ということです。この確認問題です。</li> <li>これまで、モノ、使用価値、商品,価値、などの用語を定義し、そこから商品価値の表現形態、現象形態の必然性から、それを実現する貨幣:=商品貨幣の定義を与えました。</li> </ul> }} **価格 [#hc4f5af5] -商品種 A の価値 $v$ を表わす、等価物の物量 $p$ を、商品種 A の ''価格''とよぶ。 -小麦商品の価値を、茶から構成した等価物の量で表示すれば、それは「小麦の茶価格」である。 -商品種 X の価値を、貨幣の量で表示した場合には、それは「貨幣価格」となる。 -以下では、断わらないかぎり、貨幣価格の意味で価格という用語は使う。 -すなわち、価格とは商品価値の貨幣による表現である。 -個々の商品所有者は,独自の表現 $p_i = \phi_i(v)$ をとる。 -同種の商品所有者がいれば、同じ商品 X の価値は同じ $v$ であるが、その価格表示 $p_i$ が同じになるとはかぎらない。$\phi_i(v) \ne \phi_j(v)$である可能性。 -貨幣の量には,独自の単位が法律で定められる。例えば、ドルとかユーロとか元とか円とか。 -この量は、「物象の状態の量」ではないので、計量法の対象ではない。日本では[[貨幣法>https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=362AC0000000042_20150801_000000000000000]]によって独自に定められている。 #qanda_set_qst(7,2,0){{ <p>「同種のパック入り180ml の牛乳 X の価格が、ある店では180円、別の店では170円であった。</p> <p>これは170円の牛乳の価値が、180円の牛乳の価値より小さいためである。」</p> <p>この主張は正しいか。理由を述べよ。</p> }} RIGHT:3mini #qanda(7,2) #qanda_solution(7,2){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>偽</li> <li>市場に存在する同種の牛乳Xの価値は同じだが、それに対する<del>評価</del>表現 が店ごとに多少のズレをもつのである。</li> </ul> <h4>After</h4> <ul> <li>「同種商品なら同じ価値をもつ」というだけでは1点。</li> <li>「価格の違い」が売り手の個別的な価値表現で生じることが指摘されていて2点。</li> <li>「価格は商品の需要供給の関係、市場などによって決定される。したがって、各店の状況によって商品の価格が異なることがある。そのため、価格の差が価値の差を意味するわけではない。」がなぜ1点なのか?考えてみてください。</li> </ul> }} #qanda_set_qst(7,3,0){{ <ul> <li>同種商品の価値 $v$ は同じでも、価格は $p_i = \phi_{i}(v)$ によってバラつく。</li> <li>これは、$v_i = \phi_{i}^{-1}(p_i)$ という逆関数が存在しないためである。</li> </ul> <p>この説明には不適切な点がある。もっとも不適切な点を指摘し、理由を述べよ。</p> }} RIGHT:3mini #qanda(7,3) #qanda_solution(7,3){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>逆関数</li> <li>逆関数という連想のは、価格から価値が決定されるという発想によるもの。</li> <li>しかし、価値が個別的にバラバラに表現される$\phi$は数学的な意味での関数ではない。</li> <li>直接計測できない、価値の大きさの,所有者$i$における、貨幣量による「表現」である。$\phi_{i}$が関数ではない以上、逆関数を考えること自体,誤りになる。 </li> </ul> <h4>解説</h4> <ul> <li>これまで使ってきた「$v_a\to v_b$ は写像である」という説明も正確ではない。</li> <li>正確には、商品Aの価値 $v_a$ は、商品Bから構成された等価物$v_b$で表現される」のであり、これを簡略して、$A \sim B$ という「写像」とみなしたに過ぎない。</li> </ul> <h4>After</h4> <ul> <li>上の解答は「関数」という発想自体が誤りである、という方向でかかれています。</li> <li>これに対して、$v_i = \phi_{i}^{-1}(p_i)$の$v_i$に着目して、ここに問題がある、とする回答がいくつかありました。これらにも高い得点を与えておきました。</li> <li>「価格が違えば価値も異なるのだ」という発想の誤りを明確にしてきたので、これがしっかり理解できたいたのだと考えました。</li> <li>$$v_i = \phi_{i}^{-1}(p_i) \to p_i = \phi_{i}(v_i) あるいは p_i = \psi(v_i)$$</li> <li>つまり、価格が$(p_1,p_2,\cdots,p_n)$というようにバラつくのは、同一商品の価値$v$がそもそも同じではなく、$(v_1,v_2,\cdots,v_n)$というようにバラついているからだ、といまだに信じ込んでいるからです。</li> </ul> }} #qanda_set_qst(7,4,0){{ <p>「円」は価値の単位である。</p> <p>真か偽か、理由を述べよ。</p> }} #qanda(7,4) #qanda_solution(7,4){{ <h4>解答</h4> <ul> <li>偽</li> <li>円は、あくまで貨幣の量の単位であり、直接計量できない価値には、そもそも単位というものが存在しない。</li> </ul> <h4>解説</h4> <ul> <li> <価値の「実体」は、抽象的な人間の労働であり、価値の大きさは、生産に要した労働量として、時間という「単位」をもつ>という説明もある(これがマルクス経済学では通説)が、この講義では、商品の間には共通の「実体」が存在するという考え方を批判し棄却した。 <価値の「実体」は、抽象的な人間の労働であり、価値の大きさは、生産に直接間接に要した労働量として、(労働)時間という「単位」をもつ>と説明する教科書も多くある(これがマルクス経済学では通説)が、この講義では、商品の間に共通の「実体」が存在するという考え方を批判し、すでに棄却した。 </li> <li>商品価値は、量的性格をもつが、その量を直接はかることはできず、貨幣の量で「表現される」あるいは「現象する」のである。この表現されたものが「価格」であり、価格には明確な単位が存在する。</li> <li>商品価値は、量的性格をもつが、その量を直接はかることはできず、貨幣の量で「表現される」あるいは「現象する」のである。この表現されたものが「価格」であり、貨幣量で表示される価格には、貨幣量としての明確な単位が存在する。</li> <hr> <li>かなり込み入った convoluted 説明になりましたが、価値と価格の関係がこの水準で理解できれば、この講義の目的はなかば達成できたことになります。</li> <li>価格は価値の「表現」であるとすれば、では価値の大きさは、どのように「はかられる」のか、が、なお問題として残ります。価値の特殊な「はかられ方」については、この後の講義で説明します....</li> <li>価格は価値の「表現」であるとすれば、では価値の大きさは、どのように「はかられる」のか、が、なお問題として残ります。価値の特殊な「はかられ方」については、この後の講義で説明します(価値尺度)</li> </ul> <h4>After</h4> <ul> <li>「円は価値の単位ではなく、貨幣量の単位であるから」という回答が多かったのですが、これは1点としました。</li> <li>商品の価値は、計量法にいう「物象の状態の量」のように、客観的な単位を定めることができないこと、このため、貨幣による「表現」というかたちをとること、そしてこの表現に用いられる貨幣は、客観的な単位をもつこと...とこれまで話してきた内容をふまえて、</li> <li>要するに、「価値の量そのものには単位がない」と述べているものを2点、としました。</li> <li>円、ドル、元の呼称をあげて、これらが貨幣量の単位であり、ユニバーサルな価値の単位などになっていないと指摘したものも、事実上「価値の量そのものには単位がない」と述べているとして2点。</li> </ul> }}