第2節「一般的定式の諸矛盾」
「資本の一般的定式」について、前回議論してみました。資本とは何か、一般的な概念を提示するべき箇所です。『資本論』Das Kapital という書名で刊行した以上、まさに中心中の中心の概念であるはずです。商品からはじめて、貨幣を導出してきたのも、資本の概念を明確にする下準備だったといってよいでしょう。生産ではなく、市場の観点から、まず資本を規定した点は重要なポイントです。しかし、そのうえで、資本の概念をしっかり打ちたてるには、ただ「資本とは自己増殖する価値の運動体なのだ」と、お経のように繰り返してすますべきではありません。考察は、この規定で終わるのではなく、ここからはじまるのです。「自己」とは何か、「価値増殖」とは何か、「価値の運動体」とは何か、貨幣が資本に「転化」するとはどういうことか、全部平明に答えてゆかなくてはなりません。
…ということで、前回は 転化すなわち変身 Verwandlung, transformation をめぐる、むずかしい話になりました。今回のところは、ある意味では簡単なので、前回の議論に結びつけ、資本の概念を深めてゆきたいと思います。
売買で価値は変わらない
- 最初のパラグラフは、この節の結論。
- 2-4 パラグラフで W —G — W をふりかえり、
- 使用価値では得をする
- 生産力上昇、物量でも得をする(スミス、リカード型の分業論・比較優位説がみられる)
- しかし、「形態変換は価値の大きさの変化を少しも含まない。」
- 商品流通が剰余価値を生むというのは、使用価値と交換価値の quid pro quo のせいである。コンディヤック
非等価物どうしの交換を想定しても無駄
- 6-12パラグラフ
- だれもが価値以上に売れるとしても、名目的な価格上昇になるだけだし、
- 逆に価値以下で買えるとしても名目的な価格の下落になるだけで
- 剰余価値は形成されない。
人より安く買え、高く売れるとしてもダメ
- 13-15 パラグラフ
- 一人が得をすれば、だれかが損をかぶるだけ
- 全体としては、価値は増殖しない
- 14パラグラフは「商品を資本に転化させた」とあり、ちょっとおもしろい…
商業資本でも高利資本でもダメ
- 16-19パラグラフ
- 商業資本は「詐術」
- 高利資本は「より多くの貨幣と交換される貨幣 G — G’は貨幣の本性に矛盾する。
- このあたり、少し突っ込んで考えてみましょう。利子とは…
労働は価値を形成するが、増殖させはしない
- 20パラグラフ
- 「商品所有者は自己の労働によって価値を形成することはできるが、しかし、自己を増殖する価値を形成することはできない。」= 剰余価値を形成することはできない。
-
この箇所に関して、読書会のメンバーから疑問がだされた。
>「どうして、革を長靴にすることで、価値が増殖したといえないのだろう?」
>「革の価値は、長靴になっても、そのままである。長靴にするためには、労働をするひつようがあり、その労働は価値を形成するだけ … だから…」
>「長靴は革より、高く売れるだろう、この分は増殖しているのはないか?」
>「靴を生産するのに8時間かかれば、その分、価値が追加されるが、それには8時間が支出されている。だから、増えていない。」
>「でも、8時間、価値が形成されたのだから、その分、増えているのではないか。」
>「….」
* どんなに労働で価値を形成しても、価値が増殖したことにはならない。価値の形成と価値の増殖は違う、というこの論理、難しいですね。増殖という概念が難しいのです。なにか支出していれば、増殖したことにならない、ということです。一つの帰結は、小生産者は価値は形成するが、価値を増殖することはない、という命題になります。資本と小生産者との区別、これもけっこう難しい。もう少し、考えてみます。
矛盾
- 資本は流通から発生しなければならないし、流通のなかで発生してはならない。“ここがロドスだ、ここで跳べ”