第6章 不変資本と可変資本
この章も、書かれている内容はむずかしくありません。今回も、はじめに概要を述べて、そのあと、ポイントとなる論点について検討します。
不変資本と可変資本は、生産手段と労賃部分に投下された資本だ、と、ただ表面的な区別で理解されてきました。そのかぎりでは、むずかしくないのですが、機械の価値移転のあたりになると、けっこう厄介なことになりそうです。ちょっと、論争的にするために、「労働がなくても価値移転はするんじゃないの?」なんて困ったことをいう人を想定してみます。考えてみたいのは「機械と自然力」の問題です。マルクス経済学で、自然をどう扱うか、人工物である機械は自然と反対にみえながら、実は同じ面をもっています。ある意味で機械は、自然力のいわば結晶であり、人間が操作しなくても「自動的」に動くからこそ機械なのだということになる。だから人間が機械とともに労働し、生きた労働が媒介しなくても、機械の価値は自動で移転するのじゃないの、というかわった人がいたら….
価値の移転 Uebertragen と付加 Zusetzen
その原理[pgph 1-6]
生産手段の価値が生産物に「移転」するのは、労働が「目的に即した形態によって」Durch die zweckbestimmte Form おこなわれることによる。他方、労働の形態を変えても、一定時間の労働は一定の新価値を付け加える zusetzen する。
違いの例解[pgph 7-10]
- 労働生産性が上昇すれば、移転される価値は増大するが、付加される新価値は一定。
- 労働生産性が一定でも、生産手段の価値が変われば、一定の労働時間に移転される価値は変動。
価値移転
機械の価値移転の特殊性[pgph 11-16]
- 機械(「本来の生産手段」とよばれている)は、労働過程には全体が入り込む。
- 価値増殖過程には、部分的に入り込む。
[pgph 11]冒頭の一文は、若干ナゾめいていますが(現場で説明します)、原料や補助材料に関して「使用価値の喪失」Verlust an Gebrauchswert「使用価値の破壊」Vernichtung と価値移転の一致がするが、機械は簡単にこうはいえないわけで、この切り口から機械の特殊性に言及していると私は解釈しています。形式的に議論してもあまり面白くはないのですが、ここで示唆されているのは、機械と自然 の関係でしょう。マルクスの強調点は
1. 機械は、価値を生みだすものではない点
1. 「人間の関与なしに天然に現存する生産手段」[pgph 13]は価値の形成には役立たない点
でしょう。原発の問題など考えると、自然力の利用が資本主義のもとでどのようになされるか、という基本原理につながるのではないかと思います。
生きた労働による価値移転の媒介[pgph 17]
この媒介作用は「生きた労働の天性」eine Naturgabe der sich betätigenden Arbeitskraft, der lebendigen Arbeit だといいます。人間が労働を通じて干渉することで、価値移転も進むのだ、というアイデアですが、私にはちょっとゆきすぎかな、という気がします。
* 小麦1kg —> 小麦2kg
というような「モノとモノとの反応過程」がいちばんの基礎にはあるのではないか、人間はこれを目的意識的にコントロールしているので、充分に反応過程の仕組みがわかれば、労働は不要になり、自動化=機械という方向に進むのではないか、と私は考えています。労働者がたえず働きかけないと動かない機械というのは、機械としては失格で、機械は労働なしに動きつづけるものでしょう。これは、機械が労働生産物であるということとは別の話です。機械は労働の生産物でも、完成した機械はモノとモノとの反応過程であり、労働なしに作動するのです。
新価値 Neuwerk の形成[pgph 18-20]
- 生産手段の価値は「再生産」reproduzieren されるのではなく「再現」erscheinen wieder される。
- これに対して、労働力の価値は、いったんゼロにリセットされ、新価値が「再生産」される。
言われている内容(新価値の創造)は理解できると思いますが、言い方が(説明のしかた)がむずかしい、ところです。
「再生産」という概念は、生産を考えるときにコアになると思います。価値が再生産されるか、再現されるか、という使用法は、厳密にいって、可能なのでしょうか。重要な概念だけに、マルクス経済学では、ぎゃくに濫用されすぎていないかと懸念されます。「労働力の発現により、それ自身の価値が再生産されるだけではなく、ある超過価値が生産される。」 Durch die Betätigung der Arbeitskraft wird also nicht nur ihr eigner Wert reproduziert, sondern ein überschüssiger Wert produziert.
ここでの「再生産」=再現部分と、「生産」=超過分という区別と、新価値全体がつねに「再生産」であるという説明がしっくりこないのです。
不変資本と可変資本
両者の定義[pgph 21-23]
価値革命 Wertrevolution
- 綿花の不作と「投機の法則」で原料についてふれて、値上がりまえの綿花をつかって生産された綿糸の「価値」も、値上がりした綿花をつかって生産された綿糸の「価値」によって決まる(影響される)。
- 機械(「労働手段」)に関して、新たな「発明」の影響が論じられて、旧い機械の「価値減価」が生じるという。
柔軟な考え方だと評価するひとも多いのですが、それは価値に関して、労働時間で決まるといったあとで、しかし、それは、実際には、変更されるのだ、という考え方をする道を許すことになります。マルクスは、けっして、市場の価格変動を通じて、綿花価値が増大したり、機械の価値が減価する、とはいっていませんが、この側面をもっと強調しておかないといけないのではないか、と思います。投機で価格が上昇しても、綿花の価値はちっとも増大しないのだ、と。新しい機械が発明されて旧い機械がすぐに消えてなくなるわけではなく、新旧相並んで操業しているとき、これによって生産される同種の生産物の価値はどうきまるのか、第三巻では「市場価値」の問題として論じられます。ここでは「多かれ少なかれ減価する」というのですが、どのようにして減価するのか、は明確ではありません。