- 日時:2016年3月19日(土)14:30 より
- 場所:東京大学経済学研究科棟(地階第1教室)
- プログラム
- 14:30〜 基調報告 小幡道昭「マルクス経済学を組み立てる」
- 16:00〜 シンポジウム
- パネリスト:
- 大黒弘慈(京都大学)
- 吉村信之(信州大学)
- 佐藤 隆(大分大学)
- 沖 公祐(香川大学)
ご自由にご参加ください。
大学院の卒業生がセットしてくれた退職記念のイベントです。
学部の講義ではないので、本来の意味での最終「講義」ではありませんが、この大学での「最終」にはなりそうです。
ただ私としては、あくまで「中間決算」のつもりで、マルクス経済学の原理論を分解し組み立てなおす新たな旅立ちにしたいと思っています。多数の批判をいただき、「最終決算」に役立てていきたいと願っております。
報告内容はうえの論文タイトルをクリックしてご覧ください。
こんにちは、青山@ちきゅう座/世界資本主義フォーラムです。先般の最終講義での私からの感想をもう少し敷衍してみました。ちきゅう座に「ブルマン!だよね」のペンネームで投稿してありますので、よろしければご笑読ください。
ちきゅう座URL http://chikyuza.net/archives/61289
コメントありがとうございます。
いろいろ勉強なされているようですが、失礼ながら、あまりしすぎるとかえってわからなくなることもあるのかと思いました。さまざまな派生的な問題が解決できないからといって、基本的なアプローチから脚を洗う必要はないと私は考えています。
一読したところ、私が「《公理》というより《約束事》といったほうがよい、経済理論は、その程度のことを基礎にしている点をもっと自覚すべきだ」といった意味がうまく伝わっていないのではないか、と思いました。
投入産出型の生産概念に対して、外部環境の問題を指摘されていますが、以前『経済原論 — 基礎と演習』2009年という教科書を読んでいたら、同じ問題が提出されていました。148頁あたりで、再生産という概念は特殊な「トリミング」によっているのだ、と書いてありました。ちょっと優等生的な開きなおりじゃないか、と私は思いましたが、《約束事》というのも、考えようによっては、同じことをもっと一般的にいっていることになるのかもしれません。
それから、コメントくださる方は、できるだけ氏名を明らかにしてください。匿名での議論というのは学問に馴染まないと思います。
…以前『経済原論 — 基礎と演習』2009年という教科書を読んでいたら、同じ問題が提出されていました。148頁あたりで、再生産という概念は特殊な「トリミング」によっているのだ、と書いてありました。ちょっと優等生的な開きなおりじゃないか、と私は思いましたが、…
?? この本は小幡道昭著ですよね。ここの文章は、他の人が書いてものの引用ですか?