- 日時:2018年1月
1817日(水)19時-21時 - 場所:銀座経済学研究所
- テーマ:『資本論』第1巻第18章
参加を希望される方は 小幡道昭 宛にご連絡ください。
第18章「時間賃金」
第18章「時間賃金」
概要
賃金論の位置づけ
第1パラグラフに注目。「賃金そのもの」は「本書の範囲外」。『資本論』のこの篇ははじめ存在しなかったのが、現行第1巻にいたる過程で第6篇として「篇」に昇格された経緯がある。
基本的関係
「名目賃金と実質賃金」についてふれた後、「労働の平均的価格は、労働力の平均的日価値を平均的労働日の時間数で除することによって得られる」という基本原理が示される。これを「労働の価格の尺度単位」ともいっている。
w = B/T で 労働力の価値B 労働日T –> w という決定関係。
B が一定で、Tが可変というのが「剰余価値」の理論の基本原理。「賃金」では、この関係が修正されているようにみえるが….
- B を所与としておいて、Tを変化させるバリエーション
- 「過小就業」の可能性:Tが短縮することで 労働力の価値 B 以下になるケース。註34の前のパラグラフ
- 「過度労働」の可能性:wを一定のままにしてTを延長するケース。建築業労働者のケース。この過度労働の意味は、Tを延長すると本来 B も増大する必要があるという含みがあるのか。つまり、きつい労働や長時間労働は B を増大させることでで可能となるという関係。「絶対的剰余価値」の基本原理は、B を一定にして T を極端に言えば24時間まで延長できるという可能性をベースにしているはずだが…
- 「超過労働」(割増給)のケース。超過労働には、割増給が発生するはずなのに、これが支払われない。註35の前のパラグラフ。
- 安売のケース。過度労働による超過分が、資本家間の競争で、値引きにつながるケース。マルクスのコメント:資本家の間では「超過時間」に対する認識(不当競争の考え方)はあるが、利潤全体が剰余労働(一種の超過労働)にあることが、逆に見えなくなっている、というもの。一種の物象化作用か。最後の1パラグラフ。
論点
「資本家の嘆きは、資本家の頭脳のなかではいかに生産諸関係の外観しか反映しないかを示しているゆえにも、興味あるものである。」というかなり突き放したコメントになっている。「労働日」のところもふくめ、『資本論』で労働者の生活水準がひどいものになっていることへの「報告」はなされているが、そのあとの評価、処理の記述のしかたは特徴的である。普通に社会主義的イデオロギーをもつ人なら、資本主義をもっと「糾弾」する論調になりそうなのだが、過度労働になるから資本主義は不正だ、改善せよ、といった方向になっていない。このような読み方が間違っているのかもしれないが、ちょっと議論してみましょう。