- 日 時:2018年11月 22日(第4木曜日)19時-21時
- 場 所:文京区民センター 2階 E会議室
- テーマ:『資本論』第1巻 第24章第1-3節
会場費200円です。ご自由にご参加ください。
第24章「いわゆる本源的蓄積」その1
今回から3回ほどでこの章を読む予定です。書かれている事例は14,5世紀から、と古く、対象もイングランドが中心で、現代とはかけ離れた昔の話と考えがちですが、問題にされているのは「資本主義はどのように発生したのか」という重要なテーマです。あるいはもっと一般的な言い方をすれば、「資本主義はどのように発生するのか」という問題です。こう考えればストレートに現代と結びつくはずです。20世紀末にグローバリズムというバズワードでスポットが当てられた新興資本主義の台頭という現象は、見方を変えれば、資本主義の発生問題を再考するよう迫っているのです。
この章は、従来、”「原理論」の本体ではない”という読み方がなされてきたのですが、背後にはかなり理論的に構成された内容が含まれています。いま『資本論』を読むとすれば — 歴史は歴史としておもしろいのですが — 思いきって理論面を抽出して読んでみるのがよいと思います。
第24章「いわゆる本源的蓄積」
第1節「本源的蓄積の秘密」
貨幣の資本への転化と資本の蓄積
(pg.1-3)
- 第1パラグラフは、ある意味で『資本論』第1部全体の骨子を要約した内容になっています。すなわち、労働力商品の存在を前提に、資本が価値法則にしたがって剰余価値を形成し、剰余価値の一部をたえず蓄積することで自立的に発展できる、これが第1部の本体です。この自立的運動は資本が剰余価値を「生み」剰余価値が資本を「生む」という「循環論方式」になっている。この堂々巡りからぬけだして、この運動を外から説明しようというのです。
- ただ、この第1パラグラフには深刻な問題があります。ポイントは、「貨幣の資本への転化」と「蓄積」にあります。
- 貨幣の資本への転化:前提とされていたのは? 労働力商品の所与性のみ
- 本源的蓄積:「比較的大量」というファクタの追加(「比較的大量の資本と労働力」の「労働力」はフランス語版で追加されたもの)
第4章では、資本家はそれを市場で見つけることができるとされていた労働力商品の形成をここで説明している、という読み方もあるのですが、それでは「蓄積」の話にはなりません。蓄積につながるのは2.の規模のほうなのですが、これは第7編で論じられてきた、「剰余価値の資本への転化」が「蓄積」であるという基本定義と齟齬します。表題で「いわゆる」とつけざるをえなかったわけです。「資本の蓄積」という用語を厳密に使うのは、けっこうむずかしいところがあります。これを緩めてしまうと、「はじめにまずおカネを貯めるのが資本の蓄積だ」といった通俗的な資本概念になってしまいます。資本とは自己増殖する価値の運動体であるといった、— これもキチンと理解するのはたいへんですが— 理論的考察に欠かせない厳密な定義は、こうした緩い現象的な記述でフワッとくるまれているので注意する必要があります。
- 第2パラグラフは、1.の労働力商品化が牧歌的 なモノではなかったという、資本主義誕生における暴力 Gewalt の話です。 idyllisch という用語はときどきでてくるのですが、日本語ではカバーできない何かがあるのでしょう。
- 第3パラグラフは、「二重の意味で自由な労働者」論の再説です。ここだけ読むと、「貨幣の資本への転化」で所与とした労働力商品を「生産者と生産手段との歴史的分離」がこの章の課題である、ということになります。が、では「蓄積」の話はどうつながるのでしょうか。
資本主義の起源は封建社会の解体
(pg.4-7)
- 封建社会の経済構造の解体が、資本主義社会の経済構造の諸要素を遊離させた、と第4パラグラフで宣言しています。
- 資本が労働力商品を生みだすのではない、農奴的隷属と同職組合的強制が解体するなかで「鳥のように自由なプロレタリアート」vogelfreie Proletarier がまず形成されたのだ、というのです。
- 第7パラグラフでは「資本主義的生産の発端は、すでに一四世紀お よび一五世紀に地中海沿岸のいくつかの都市で散在的に見られるとはいえ、資本主義時代が始まるのは、ようやく一六世紀からである」と述べられています。資本主義は市民革命と産業革命ではじまったといった説と比べると、これはかなり早いと思います。これは農奴制や同職組合の中世都市の解体を指標としたためです。
秘密
- この節はふりかえってみると、「秘密」が焦点で「本源的蓄積」の「蓄積」の話になっていないことに気づくと思います。
- 「資本の蓄積」というのは、資本が剰余価値を蓄積することです。蓄積された資本のもちろん資本ですが、出発点となる資本も「蓄積」されたのか、というとどうでしょうか?やはり、本源的に「蓄積」されたのだ、ということでよいのでしょうか。これは違います。出発点は「収奪」です。この点を、資本主義の発生におけるゲバルトとして強調しながら、「本源的蓄積」といってしまうことに問題があると思いますが、通説は「蓄積」をダブルミーニングに使うことを許しているようです。
第2節「農村民からの土地の収奪」
基本内容
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- プロレタリアートの形成が本源的蓄積の秘密だという前節の内容を、歴史過程に即して述べた説です。
- 要約は最後の第18パラグラフにあります。
教会領の略奪、国有地の詐欺的譲渡、共同地の盗奪、横奪による、そして容赦のない暴行によって行なわれた封建的所有および氏族的所有の近代的な私的所有への転化、これらはみないずれも本源的蓄積の牧歌的方法であった。これらは、資本主義的農業のための場面を征服し、土地を資本に合体させ、都市工業のためにそれが必要とする鳥のように自由なプロレタリアートの供給をつくり出した。S.760-1
農奴制の消滅
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- 第一パラグラフで14世紀終わりには農奴制は消滅したといわれています。早いですね。
- 注192に日本のことがでてきます。
日本は、その土地所有の純封建的組織とその発達した小農民経営とによって、たいていはブルジョア的先入見にとらわれているわれわれのすべての歴史家よりもはるかに忠実なヨーロッパの中世像を示してくれる。中世を犠牲にして「自由主義的」であるということは、あまりに手前勝手すぎる。
- 第1部で日本は2,3箇所でてきます。『資本論』が刊行されたころ、すでにフランスなどではかなり日本に対する関心が高まっていたようですが、マルクスがどの程度、日本について理解していたか、これは疑問です。ロシアに関してはかなり詳しく調べていたようですが、東アジアに対する興味はなかったと思います。これが資本主義の歴史に影響を及ぼすようになることは予想していなかったでしょう。第1部が刊行されて半世紀がたち、やがて日本でも『資本論』が翻訳され、急速にアカデミズムのなかにも浸透したのですが、とにかく日本が正面から論じられていない書物ですから、これを読んで日本の現実に立ち向かうのはたいへんだったはずです。いまから100年ほどまえ、『資本論』の邦訳がではじめたころ、この注がどう読よまれたのか、ちょっと興味があります。調べればいろいろでてきそうですが、今ではこんなとに興味をもつ人も少ないでしょう。
- ただ私の使っている訳本の「中世を犠牲にして「自由主義的」であるということは、あまりに手前勝手すぎる。」はちょっといただけません。「中世を蔑ろにして(無視して)、「リベラル」について語るわけにはゆかない」程度でしょうか。本文を見ればわかるように、要するに農奴制の解体後、自営の小農経営が広く存在した状況を指して、リベラルといっているわけです。
- 日本の”小屋”というのもshabbyな感じで、どうもしっくりしません。現在でもイングランドでcottageといったら立派な家屋です。しかも4エーカー(約16000平米)も庭がついているというのですから、基本的に農産物は自給できます。
「封建家臣団」の解体
- 15末から16世紀初頭の話です。
- 封建家臣団 der feudalen Gefolgschaftenというと武力集団を連想してしまいますが、これは日本における武士のようなものではなく、主人に隷属したい支配地域のいわゆる「領民」のことでしょう。
- 家臣団の解体に「直接の刺激を与えたのは、イギリスではとくにフランドルの羊毛マニュファクチュアの繁栄とそれに照応した羊毛価格の騰立であった」と指摘されています。要するに、もう「フランドルの羊毛マニュファクチュア」が繁栄しているなら、これが資本主義の起源なのではないかと考えたくなります。省いていうと、しかしこれは、フランドルのほうはまだ資本主義ではない、この影響でイングランドでプロレタリアートが誕生して、イングランドで資本主義ははじめて発生した、という結論になっていると思います。勘ぐりすぎかもしれませんが…
- 15世紀がリベラルであったとすると、16世紀には「イギリスの労働者階級は、いっさいの過渡段階をも経ることなく、その黄金の時代から鉄の時代に転落した」というのが結論です。このあたりは経済史の問題でいろいろな見解がありそうです。
- 第3パラグラフはこのエンクロージャを止めようとする立法がなされたが効果がなかったという話です。注193に「「羊が人間を食いつくす」ができてきます。
教会領と国有地の私有化
- 第4-7パラグラフは17世紀の話。
- 第4パラグラフは教会領の話です。宗教改革(といってもイングランドですので国教会が大きな力をもつのでしょうが)で「捨て値で投機的な借地農場経営者や都市ブルジョアに売り飛ばされた」とされています。
- このあと、ピューリタン革命、クロムウェルの独裁の時代ですが、「一七五〇年ごろにはヨーマンリーは消滅してしまい、また一八世紀の最後の数十年間には農耕民の共同地の最後の痕跡も消滅してしまた」と述べられています。
- 第7パラグラフは名誉革命の時代。「オレンジ家のウィリアム三世とともに地主的および資本家的貨殖家たちをも支配者の地位につけた。彼らは、それまでは控え目にしか行なわれなかった国有地の盗奪を巨大な規模で行なうことによって、新しい時代を開始した」といわれています。オランダ型の資本主義が導入されたようにも思えますが、このあたりは今日の歴史家がいろいろ議論しているところです。
- 「農業大経営 agrikolen Großbetrieb の領域が拡大した」という記述がありますが、この「農業大経営」こそ、資本主義の起源だという考え方も成り立ちそうです。しかし、『資本論』の基本は、あくまでこれは「プロレタリアートの供給」を促すだけで、このプロレタリアートを基礎にした大工業こそが資本主義の起源だということになっています。この工業化=資本主義化のイメージでいいかどうか、このあたりが今日の資本主義の拡大を考えるときに一つの問題になります。
共同地の囲い込み
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- 第8-13パラグラフです。
- ポイントは次のあたりです。
組織的に行なわれた共同地の盗奪が一八世紀に資本借地農場または商人借地農場と呼ばれた大借地農場の膨脹を助けさせ、また農村民を工業のためのプロレタリアートとして「遊離させる」ことを助けた。
- ここでもこの「資本借地農場または商人借地農場」は資本主義的経営ではないのか、「大経営」である以上、当然家族系なのではなく、多くの賃金労働者を雇っているはずなのです。ここが『資本論』の本源的蓄積論を読んでいてまえから疑問に思うところです。
- イーデン『貧民の状態』など、当時の論争が立ちいって紹介されています。囲い込みをめぐる論争が当時活発であったととがわかります。グローバリズムのもとで、ネオリベラリズムの民営化論が隆盛を極めたとき、この種の問題はつねにイデオロギー論争に馴染みやすいことを気づきました。
「地所の清掃」
- 14-17パラグラフは、スコットランドを中心に「地所の清掃」Clearing of Estates の話です。
- 「大借地農場」とは違い、ここは「牧草地」や「狩猟場」にするわけですから、本当に農民ゼロの世界、羊や鹿しかいなくなるわけです。
- しかし、スコットランドのハイランドでこうしたことがおこなわれても、大量のプロレタリアートの形成とは関係がないと思うのですが、どうでしょうか。
全体としてみると
- 小農経営の世界が存在し、これが4世紀くらいかけて解体されたと読めます。資本主義はどの時点で発生したのか、極端に言えばこの過程のはじめでななのか、最後でなのか、「資本主義時代が始まるのは、ようやく一六世紀からである」というのと、「イギリスの労働者階級は、いっさいの過渡段階をも経ることなく、その黄金の時代から鉄の時代に転落した」というのと、整合するのでしょうか。
- あらためて考えると、宇野弘蔵の資本主義の段階論で「重商主義段階」といわれた一段階、けっこう長い時代があるのですが、これも同じようにどこからはじまり、どこで終わるのかがよくわからりません。
- 資本主義の発生に「過渡段階」があるのかないのか、考えるのか考えなのか、このあたりは現代のグローリズムの問題でも問われます。
第3節「一五世紀末以来の被収奪者にたいする流血の立法。労賃引き下げのための諸法律」
基本内容
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- 今度は冒頭で結論が述べられています。
鳥のように自由なこのプロレタリアートは、それが生み出されたのと同じ速さでは、新たに起こりつつあるマニュファクチュアに吸収されることはできなかった。
- 要するに、プロレタリアートの滞留現象、資本主義的蓄積のもとでの「産業予備軍」とは違うかたちでの失業者の群れ、「過剰人口」 —この言葉はできません — が、しかも数世紀にわたって存在したという話になります。
- 浮浪者化した人々を労働者階級に仕立てるのに、血の立法が必要だったことが、歴史過程として述べられゆきます。
ヴァガボンド問題
- 資本主義の成立に先行する大量の浮浪者の生成が論じられています。政治的な難民とは異なるタイプの、地域社会の解体とともに発生する難民の問題です。
- 日本でも、飢饉と難民というかたちで、江戸時代に末期になると広くみられた現象に通じます。人足寄場とか、人返し令とか、あったと思います。
- イギリスの歴史
- ヘンリー八世治下 1530
- エドワード六世治下 1547
- エリザベス一世治下 1572
- ジェイムズ一斉治下
- 第8パラグラフは小活です。
- 暴力の問題ですが、ここでは土地と労働者の分離においてではなく、分離した後の浮浪者を労働者化するところで、暴力が強調されています。 > 資本主義的生産が進むにつれ、教育、伝統、慣習によって、この生産様式の諸要求を自明の自然法則として承認するような、労働者階級が発展する。…て労働者自身を標準的な従属度に維持するために、国家権力を必要とし、利用する。これこそは、いわゆる本源的蓄積の本質的な一契機である。
労働者規制法
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- 第9-12パラグラフは、ヴァガボンド対策とは異なる、労働者に対する補的規制の問題です。こちらは失業者ではありません。すでに雇用されている賃労働者が対象です。
- 法廷賃金率ですが、これは上限のほうを規制するものです。節のタイトルになっている「労賃引き下げのための諸法律」です。
- 第9パラグラフで、なぜ、上限規制が必要になったか、説明されています。
資本の可変的要素は不変的要素よりもずっと重きをなしていた。それゆえ、賃労働にたいする需要は、資本が蓄積されるにつれて急速に増大したが、他面、賃労働の供給は、緩慢にしか需要についていかなかった。
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- この需給論で全過程が説明できているかは疑問ですが、ほかに理由は説明されていません。さらに注目すべきは、この規制が不必要になってもなお持続したという説明です。
本来的マニュファクチュア時代には、資本主義的生産様式は、労貨の法律的規制を実行不可能で不要なものにするに十分な強きに達していたが、それでも、人々は非常事態にそなえて、古い兵器庫の武器なしですませようとは望まなかった。
- ここではマニュファクチュアを資本主義的生産様式と認められています。宇野弘蔵はこれに対して、マニュファクチュアでは部分的表面的であり、資本主義的生産様式としては、商人資本による問屋制家内工業が基本だったと批判しました。この宇野の主張は、資本主義=機械制大工業というテーゼから逆算したもののように私にはみえます。これはさらに、19世紀の資本主義が純粋資本主義にもっとも近かったという純粋資本主義の純化論アプローチに対応しています。
- これに対して私は、現代のグローバリズムの純粋資本主義論を見なおすなかで、マルクスとは違うのですが、「マニュファクチュア型」の労働組織も立派な資本主義的「経営様式」だ、という原理論を考えるようになりました。話せば長くなりますが、長くなりますが….
団結禁止法
- 第13-14パラグラフは、労働組合法の話です。「1871年6月29日の法律」ができてきます。『資本論』第1部が出版されたのは1867年ですから、これは初版にはない部分です。これはもう、資本の本源的蓄積、資本主義の「前史」の話ではなく、マルクスが第一インターナショナルで関わってきた事象が、なぜかここにでてきています。
全体としてみると
- ポイントは「鳥のように自由なプロレタリアート」とは何かという問題です。ここで論じられているは、プロレタリアートの滞留現象です。雇用されている賃金労働者が、ここでのプロレタリアートではありません。私には、どうも正体がはっきりしないのです。
- 第2節では、土地から追い出された人々がでてきます、では賃金労働者としてなったのか、というと、第3節ではずっと資本に吸収されない話が続きます。何世紀にもわたってです。徐々に吸収されていったというならそれでよいのですが、どこにどう吸収されたのか、明示されていないのです。機械制大工業の産業資本には一言もふれられていません。マニュファクチュアでは吸収できなかった、という否定形です。肯定的にいえばどうなったのか、何世紀もヴァガボンドだったわけではないでしょう。本源的蓄積論は私にとって大きな「謎」です。