『資本論』第二巻を読む:第10回

  • 日 時:2020年 2月19日(第3水曜日)19時-21時
  • 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
  • テーマ:『資本論』第2巻 第2篇第9章
第9章「前貸資本の総回転。回転循環」
流動資本と固定資本の区別だけでなく、固定資本のなかにもさらに回転期間の長短の区別がある、だから全体を平均した総回転の期間を考える必要がある、というのがこの章の主旨ですが、「『総回転』は算数遊戯にすぎない」(日高普『資本の流通過程』1977年)と一蹴された章です。問題はここで紹介されている総回転期間の長短が利潤率の高低を生むかどうかにあります。因みに剰余価値率は回転期間から独立の値です。総回転の差が利潤率の差につながらないなら、「こんなもの、計算しても意味ない」ということになります。で実際、「意味ない」のです。その理由を考えてみたいと思います。とはいえ「資本の投下と貨幣の支出」「資本と費用」「ストックとフロー」こうした基本的な区別さえきちんとできていれば、理由はおのずと明らかになりますが…

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台湾総統選前夜

S君、その後どうしているだろうか。

木曜日の夕方から台北にきている。台湾の総統と立法院委員の選挙の投票日を11日土曜に控え、そのまえに台湾の状況をこの目でみてみたくてやってきた次第。なぜ台湾なのか、話せば長くなるが、これまでに君に伝えてきたことからだいたいわかるはず、日本のマルクス経済学に対する私なりの反省に根ざすもの。詳しい経緯は、また時間をみておいおい書いてみるが、直接は2000年に前後して、グローバリズムについて、ネオリベラリズムの国際版だ、アメリカナイゼーションだという多数説に抗して、グローバリズムの底流をなすのはNICs, NIEs のような第三世界における新たな資本主義の勃興だ、これが20世紀を支配してきた「帝国主義段階」論ではどうしても捉えられない地殻変動なのだ、とかいてきたことの延長だ。

ということで木曜日の7時ころ、東門でMRTをおりて魯肉飯を食べたあと、ぶらぶらと中山紀念堂の裏に抜けると、すでに観光バスがぐるっと紀念堂のまわりを取り巻いていており、藍と赤のカラーでひと目でわかる「韓粉」(韓国瑜のファン、粉は日本語ではフンですが台湾語ではフェンで、粉すなわち英語のfanです)の一隊が総統府の方向に流れてゆくのでついてゆくと、「自由広場」のという文字が掲げられた門の下で、もう大群衆になっており、なかなか中心会場の凱達格欄大道には入れません。私の年齢にちかい人ばかりが目につきます。小旗を掲げて「韓国瑜!」という演壇からのかけ声に「凍蒜!」と一斉に応じます。「凍蒜」は同じ発音になる「当選」のことだと台湾のニュースをみて知りました。すごい熱気でした。台中市長の盧秀燕が挨拶に立ったあたりで大喚声、「好不好!」といえばすかさず「好!」と答えます。何が「好不好?」なのかは残念ながらわかりませんが。そろそろ帰ろうとするとこんどは新北市長の侯友宜が挨拶にたって、これはちょっと意外でした。新北市長は韓国諭とはソリが合わず積極的な応援を回避してきました。この日も帰ってテレビをみると、韓国瑜に手首を掴まれて、やむなくいっしょに手を上げているようにみえました。…

こういう細かい話はキリがないのでやめ、ここでは私の関心事のみ、述べておきます。それは結束の硬い国民党支持者のコアにあるのが何か、という問題です。この日、会場のまわりを歩きながら、私がこれまで感じてきた思いがますます強まりました。要するに、今日の国民党を支えているのは、農民や商工業者など、要するに自営業者の力ではないか、という思いです。

台湾の戦後史をかじったばかりのころ、蒋介石率いる国民党が1949年に中国共産党に追われ台湾にやってきて、日本の敗戦で解放された台湾の民主主義を圧殺しのだ、と私は思い込んでしまったのです。228事件は前年の1948年の出来事ですが、国民党軍の本隊が入ってくると、反抗分子を軍事的に圧殺し、史上最長といわれる戒厳令を1987年までしき、この間、この事件のことを公にすることもできない圧政が続いた、といとも簡単に思い込んでしまったのです。経済学の世界では、よく「開発独裁」という用語が流布しており、韓国をみても、台湾をみても、すぐこのラベルを貼るのは悪い習慣です。韓国との違いは別の機会に私の考えを書いてみますが、台湾について言うと、要するに1988年に蒋介石の息子の蒋経国が没することで、戦後抑え込まれてきた「民主主義」がやっと息を吹き替えしたのだ、となぜか簡単に思い込んでしまったのです。

ただ台湾をすこしばかり旅行して、どうもヘンだなと感じはじめたのです。試みに、行く先もきめず高雄や台南から、いきあたりばったりで(運賃がめちゃくちゃ安いので)バスで小一時間ばかり、小旅行にでいたとしてみましょう。するとあたりの農家がどれも立派なのです。日本の農村も結構なものですが、それ以上に「豊か」にみえます。「農会」の建物もそうで、いかにも地域の中核をなしているという感じがします。

ぶらぶら歩きながら思ったのですが、これは要するに「農地改革」をかなり徹底的に進めた結果なのではないかと。国民党が大陸から渡ってきた当初、日本の植民地支配を終わらせる解放軍だと歓迎した台湾の民主派を新たなかたちで抑圧した、これが228事件の悲劇だと理解してきたのですが、これは事態の一面でしかなかった、かれらは同時に外来の強権力として、日本で進駐軍が進めたように、戦前からの地主の追放や、財閥解体はわかりませんがあればやったでしょう、この種の民主化を独自に敢行したのです。

所詮「実証」なんか一面しかみていないという、君が忠告してやまぬ例の私の「暴論」で、直感的な結論だけをいえば、国民党の有力な基盤は、なしくづし的だが、しかし持続的な民主化で国民党の強権のもとで形成された強固な自営業者層だ、というものです。おとといは、熱狂的な「韓粉」にまみれなるなかで、この感じがいよいよましてきました。

彼らからみれば、国民党に追われて日本や米国に逃亡した戦前の地主やインテリの唱える「台湾独立」など、かつての自分たちとの立場を取り返そうとするだけにみえてしまうのでしょう。それよりは、いかに抑圧的だといっても自分たちの財産と福利を約束する国民党の支持に回るわけです。失言や暴言を繰り返しても、自分を「野菜売の親爺」だと主張する韓国瑜に声援を送りつづけ、けっして民進党になびこうとしないのは、こうした深い溝によるのではないと思うのです。このあたりはもう少しちゃんと分析してみますが。

国民党の「造勢」(ラリー)の熱気を逃れて、西門町まで歩いてきて地下鉄MRTにのって帰るまで、民進党支持者らしき人々のかげもかたちもなく、例の小旗をもった歐吉桑(オジサン)歐巴桑(オバサン)ばかりが目につく。どうしたことかと思ったら、民進党は台北の隣の宜蘭と基隆で造勢していたのでした。両者が接触したらどうなるのかわかりませんが、なぜか、自然にちゃんと別れてラリーをしているようです。

ということで、昨日金曜日は投票日前日。今度は民進党の本体が台北に戻り、国民党の主流は高雄に南下してゆきました。7時過ぎから、前日国民党が造勢したのと全く同じ場所で、民進党の集会がはじまりました。こちらは9時半すぎにトリで蔡英文が登場して演説をおえるまで、ずっと聞いてきました。立ちっぱなしでけっこう疲れました。

周りを見回すと、昨晩とは大違い、「年軽人」と呼ぶそうですが若い人が圧倒的に目につきます。もちろん年配の人たちもいて(台湾は日本なみの長寿国ですから)、詹雅雯が演壇で歌うと歐巴桑もいっしょに歌っていましたが、そのあと滅火器が登場するのみんなスマホをかざして左右に振り、これをドローンで上から撮影した画面が巨大スクリーニンに映し出されてたいへんな盛り上がりようでした。滅火器といえば2015年の太陽花学連のときを思い出します。この運動が私を台湾へ惹きつけたひとつの契機でした。この学連から時代力量への流れなども、もう少し詳しく話しますが、このときのリーダーの一人だった林飛帆が、いまでは民進党の若手リーダーとして演壇に上がって支持を呼びかけていました。いずれにせよ、2日連続でラリーをみて、以前からの国民党、民進党の印象がそれなりにはっきりしてきました。

ということで、今この文章を台湾大学の学生食堂で書いているのですが、今日2020年1月11日は投票日、4時で〆切、即開票なので、晩飯を食べて帰るころには結果がはっきりするでしょう。「民主主義」については、年来の君の意見もぜひぜひ聞きたく、連絡をまちます。

『資本論』第二巻を読む:第9回

  • 日 時:2020年 1月15日(第3水曜日)19時-21時
  • 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
  • テーマ:『資本論』第2巻 第2篇第8章
第8章「固定資本と流動資本」
一口に費用といっても、頻繁に支出回収される費目もあれば、いったん支出されると回収に時間がかかる費目もあるのはすぐわかること、だから「機械や工場設備は固定資本、原材料は流動資本だ」という区別には自然にみえます。ところが、一歩ふみこんで、そもそも「固定資本」とはなにかを、一般的に定義しようとすると途端にむずかしくなります。何をメルクマールとして固定・流動に二分したらよいのか、両者の間に中間的なものは存在しないのか、この章も批判的に読み込んでみると問題が山積しています。

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『資本論』第二巻を読む:第8回

  • 日 時:2019年 12月18日(第3水曜日)19時-21時
  • 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
  • テーマ:『資本論』第2巻 第2篇第7章
第7章「回転時間と回転数」
第2篇「資本の回転」にはいります。第7章「回転時間と回転数」は短い章ですが、「回転」という概念の基本を捉えかえしてみたいと思います。

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『資本論』第二巻を読む:第7回

  • 日 時:2019年 11月20日(第3水曜日)19時-21時
  • 場 所:駒澤大学 3-802(三号館の奥のエレベータで8階に)
  • テーマ:『資本論』第2巻 第1篇第6章
第6章「通流費」
この章も、現代的な経済原論が形成されるようになってゆく契機になった重要な章です。1960年代以降、一方では信用論研究が、他方では価値形態論の研究が活性化していったのですが、両者の交点として、前章の流通期間や本章の流通費用に関心が集まるようになりました。『資本論』が、ともかく流通期間や流通費用という、古典派経済学では — そしてその後の経済学でも— ほとんど論じられることない、「流通」(本質は「販売」)が理論の表舞台に登場させたことは画期的です。

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