小幡先生、青才先生、またほかの皆様、拙い報告をお聞きいただきありがとうございました。皆様からのご指摘が大変刺激になりましたので、またよろしくお願い致します。

 プチブルに関して小幡先生ご指摘の箇所をパラパラとみましたが、このタームはやはり見当たりませんでした。大月書店の辞書でpetit bourgeois あるいはpetite bourgeoisieをひきましたら、英語ではmiddle class となっていましたが、プチブルとミドルクラスではだいぶイメージが違う気がしました。

 ご質問のありました公的金融機関ですが、代表的なのは『預金供託金庫』および『貯蓄金庫』でした。業務実態については手元の資料でははっきりしません。

 これも小幡先生のご質問で、植民地銀行はインドスエズのみならず『フランス植民地帝国において多数の発券銀行が存在した』という記述があります。アルジェリア銀行、モロッコ国立銀行、シリア=レバノン銀行等々10行を超えます。(ベルトラン/グリセ 原輝史監訳『フランス戦間期経済史』) インドシナ銀行については権上康男氏が『フランス帝国主義とアジア』東大出版会1985年で取り上げておられます。

 青才先生からクレディ・フォンシェはその後どうなったのか、というお尋ねがございましたが、これは戦間期に植民地の土地所有者の短期および長期信用需要に答えた、という記載がやはり『フランス戦間期経済史』にありました。19世紀のクレディ・フォンシェと同じ機関なのか疑問ですので、もう少し調べてみます。

                              以上


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13