信用論の諸問題


以下、小幡のコメントです。

obata/青才高志/信用論の諸問題

定期預金と利子つき預金

  1. 預金を通じて遊休資金を集めて、準備金の補充をおこなう、という説。 この場合の準備金は、支払準備金、ないし兌換準備金という意味で、これには流動性のある資産が必要である。 保管費とかの問題はあるが、それを無視すれば、一般には現金を預金するという動機はない。 利子つきとなってはじめて、こうした流動的な貨幣資産の銀行への預金化が進む。
  2. 預金は、当座預金のようにすぐに引きだされる形態では、銀行の準備金の補充にはならないという説。 ここから、期限付きでないとならないという主張が展開されるようだ。 期間つきで預金がなされれば、ともかく、その期間は支払準備金に流用できる、という説。 しかし、なぜ、この種の支払準備金が必要なのかは疑問がある。流動性は、資産の換金でも可能である。 単一銀行を考えると、換金の余地はかぎられるように見えるが、銀行組織に展開は、 この種の短期支払手段としての現金の制約を解消すると考えてよい。
銀行手形銀行券
定期預金当座預金

これは銀行の負債のあり方としてパラレル

商業資本の売掛金と預金の発生原理

商業資本のもとには、信用で原材料を買って、生産物を信用で売る、というかたちで、受信と与信が同じ産業資本の売掛金、買掛金が発生する。産業資本が商業資本のもとに売掛金を預託しておくかたちで、預金が発生するということでしょうか。

「A資本のB商業資本への売掛金は,将来のB商業資本からの信用買いのために,返済を求めることなく,「預託」されることになる。
信用売買と貨幣預託((萌芽的預金)との同時的成立。」

「信用売買と貨幣預託との同時的成立」といわれますが、これは同じ性質の債務を、売掛金というか、商業手形というか、形式的な区別ではないかと思います。これは、利子つき預金ではじめて銀行に預託される、従来論じられてた、固有の意味の「預金」とは、性格上、直接つながらない、と申し上げたかったのですが、同道巡りの議論になってしまったような気がします。

別個説批判

「預金を前提に手形割引,だが,手形割引を前提として預金ではない」というのですが、やはり、ポイントは、どちらが前提か(同じではないのでしょうが、先行するのか)という問題なのでしょうか。

新田説は別個説でも、あるいは統合説でもなくて、「信用売買と貨幣預託」は商業資本のところでいっしょに発生するという、いわば一体説のようなものを考えているのでしょうか。


預金について

青才高志 (2005-12-19 (月) 16:31:15)

小幡さんのコメント「obata/青才高志/信用論の諸問題」についてのコメント


A.「預金」でまず,何を考えるか。

(1)私は,資金仲介説とは切れたレベルで,信用を考えるべきではないか,と思っています。 それ故に,資金仲介説で問題となる「預金」(利子付き預金)の発生ではなく,当座預金,出納預金の発生を問題にしている訳です。小幡さんは,「保管費とかの問題はあるが、それを無視すれば、般には現金を預金するという動機はない。利子つきとなってはじめて、こうした流動的な貨幣資産の銀行への預金化が進む。」とか, 「従来論じられてた、固有の意味の「預金」」とか,等,利子付き預金こそを問題にすべきとされているようですが,その点,発想は大きく異なります。

(2)当座預金が措定されると,その延長として利子付き預金が措定されるということ,従来から,数多くの人が,説いてきたことであります。また,小切手振り出し可能な出納預金でも,一定金額以上の預金がある場合には利子をつける等,出納預金と利子付き預金とは「連続的」に種々の形態をとりえます。それ故に,すなわち,当座預金を説けば,その延長として利子付き預金は説けるので,私の意図は,その端緒としての当座預金の発生を説くことに,また,それを山口氏のように,「別個説」ではなく,説くことにある訳です。


B.売掛金,買掛金と,商業手形

(3)他の人も言われていましたが,「「信用売買と貨幣預託との同時的成立」といわれますが、これは同じ性質の債務を、売掛金というか、商業手形というか、形式的な区別ではないかと思います。」という点について。

1.商業資本の場合には,同じ経済主体に対し,信用売り・信用買い,という関係になる場合が多い,という論点,この点は,一応の賛同を得たと思っています。
2.問題は,売掛金・買掛金等の,問題を入れなくても,商業手形に関する債権・債務関係で同様なことがいえる,という主張にあるようです。
当座預金は,支払期限のない債務,随時返済を求められる可能性のある貨幣債務です。商業資本の買掛金も,そういう性格のものです。ですが,上記1の点を入れたとしても,商業手形化された債務には,期限があり,随時引出し可能な当座預金の萌芽とはなりえない,と思います。
このことは,商業資本における手形債務の存在を,貨幣預託とはいえない,ということから言って,明らかなことなのではないでしょうか。

C.別個説批判 †
「預金を前提に手形割引,だが,手形割引を前提として預金ではない」というのですが、やはり、ポイントは、どちらが前提か(同じではないのでしょうが、先行するのか)という問題なのでしょうか。
◆青才◆説は別個説でも、あるいは統合説でもなくて、「信用売買と貨幣預託」は商業資本のところでいっしょに発生するという、いわば一体説のようなものを考えているのでしょうか。」

(4)後段のパラグラフ,疑問形になっているのですが,私は,小幡さんも引用されているように,商業資本のもとにおける「信用売買と貨幣預託((萌芽的預金)との同時的成立。」説であり,その点に関し,紛れはないと思っていました。

(5)前段のパラグラフ,質問の意味がよくわかりません。これは,大内,日高に対するコメント部分であって,「ポイントは、どちらが前提か(同じではないのでしょうが、先行するのか)という問題」にはなく,少なくとも「預金」は別個に発生するものとされている,という点が「問題」だと批判した部分です。

RE:預金について

obata (2005-12-20 (火) 22:59:46)

青才さん、ご報告ありがとうございました。 obataのコメントは、演習のときにもう少し考えようと思った点を備忘録的にメモしたものです。

「定期預金と利子つき預金」ということでメモしたのは、預金に関して小幡が、日頃、だいたいこう考えている(かな...とその場で感じた)次のような点です。

  • 銀行に対する受信資本が、銀行券をもつか預金をもつかは本質的な問題ではない
  • 銀行にとっての流動性としての現金準備、支払準備というのも本質的な問題ではない
  • 手元に貨幣的余裕があり、商業信用などのかたちで与信活動をおこない、外的な増殖をおこなうことのできる、本来的な与信資本が、銀行資本に与信活動(の一部)を委ねる関係が本質的な問題
  • 従来の預金に対する議論は、預金という形態にこだわることで、問題の本質を掩蔽しているように思える
  • 定期か当座かは、さらに末梢的で、短期の引出準備のようなものを重視するにしても、それにもあまり効果がある処置とは思えない
  • 与信資本がその活動(の一部)を銀行に代行させるとすれば、利子をとることが目的になる

    このあたりは、「当座預金が措定されると,その延長として利子付き預金が措定される」という立場とは、たしかに「発想は大きく異なります」ね。

「商業資本の売掛金と預金の発生原理」

obata (2005-12-20 (火) 23:28:38)

簡単にいうと、産業資本が現金で回収できる売掛金を、またすぐに同じ商業資本から掛けで買うだろうから、回収せずに預託しておこう、と思うということでしょうか。少しでも回収して、自ら運用するということはしないのでしょうか。このあたり、商業資本論が産業資本との慣行的な結びつきをもつとか、スポットではなく恒常的な取引関係を形成するとか、そうした最近の議論によるのでしょうか。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13