東大大学院報告(2005.4.22.←2000.7.7.)

以下。 資料?……青才「利潤論の諸問題(2)」(『信州大学経済学論集』,第15号,19

80),第二節「再生産 表式と転形問題」。[青才高志『利潤論の展開』(時潮社,1990),未収録部分) [◆参照・準備の必要はない。] 資料?……信州大学原論講義,教材,[◆以下の,報告[再生産表式の諸問題」 の後に盛る。] 資料・……信州大学原論講義,教材。今回(2005.4.2.)に配付。

             [◆以下の,報告[再生産表式の諸問題」の後に盛る。]

◆以下は,2000.7.7.東大院小幡ゼミ報告

 [◆その際,口頭で述べたことを,[★★……]で挿入。但し,誤植訂正等はその限りでは

ない。]

東大大学院ゼミ 2000.7.7. 青才高志

   再生産表式の諸問題(『資本論』,第2部,第3篇)

[一] 検討点 A.報告課題の限定 1. 資本の社会的再生産論全体ではなく,再生産表式論のみを問題とする。

  故に,「価値法則の絶対的基礎」論等はやらない。

2.形成史はやらない。 3.第2部全体の編別構成(第18章,S.352-4)についてはやらない。 4.資本循環論(商品資本循環)と資本の社会的再生産論との関連は,やらない。

B.検討点

 (1)蓄積論と資本の社会的再生産論との前後関係    参照,[二](日高への返)の(2)
 (2)2部門分割の理由,or,第?部門をどう呼ぶか
   参照,[二]の(b)(e),資料?「利潤論の諸問題(2)」

・第?部門の呼び方

 マルクス……消費手段。  宇野……消費資料。  日高……生活資料。
 富塚……消費資料。  青才……消費手段 

・消費手段のなかには,収入(mk,v,mv)で買われるものの全てが入る。

 ことさらに[★★亜部門等を作って]問題にする必要があるとは思われないが,労働

者用生活手段,資本家用奢侈品,国家が購入する軍需品等, 流通用諸資材,流通用労働者の生活手段,貨幣材料,[★★資本家が個人用に雇用した本来のサービス労働者の生活手段,国家が雇用した本来のサービス労働者の生活手段,]等が入る。 (3)生産部門と産業部門,亜部門の問題等

 参照,[二]?,資料?

(4)回転の問題

 参照,[二]?
   [★★本当は,mc,mvは,当該年度に機能するのか,という難しい問題がある。都 
留重人等参照]

(5)単純再生産の均衡式 ?v+?m=?c,は「交換」か

  1.生産価格が問題になると異なる。
   「生産論」では,価値どおりの交換(等労働量交換)の下で特殊に成立する事態を問

題 にしている訳ではない。再生産表式論においても,課題がそこには無いが故に,第?部門と第?部門との生産費用内部の構成の相違等を問題にする必要はないが,そこで,説かれることは,両部門の構成が同じである場合に特殊に成立する事態が問題にされている訳では決してない。とすると,?v+?m,と同じ価値額の生産手段が,?に売られることになるとしても,反対に,?cと同じ価値額の消費手段を,?が取得する必然性はない(参照,伊藤誠,小林弥六,青才『利潤論の展開』99頁)。とすると,?v+?m=?c,は成立するとしても,それを,「交換」とは言えないことになる。

 2. 生産部門の商品の構成比と,産業部門または資本の生産物の構成比とは異なる。

例えば,第?部門内部にも,その全てが,生産手段生産用生産手段となる商品を生産している資本がありえ,その場合には,そのvの価値再生産部分,mの剰余価値部分 も,?内部の資本に販売される。とすると,「?v+?m,と同じ価値額の生産手段が,?に売られる」という規定は正しいとしても,「?vと?mは,?に売られる」とは言えないことになる。 (6)拡大再生産表式の「例解」について 参照,[三](数式的解明],[四]((マルクス),[五](富塚),資料?(教材)

[二]  日高普『再生産表式論』への返(1981.5.5.)

                     (日高普『再生産表式論』,有斐閣,1981.4.)

●●2000.6.30.ワープロ化

・以下,[……]内は,今回の追記

前略。 貴重な御著作を御送り頂きましてありがとうございました。早速読ませて頂きました。 まとめて全体を読み直し,これまで多くの人が論じてきた表式論にまだこんなに問題が残っていたのか,と驚いている次第です。自分の頭で考える大切さを改めて教えられた気が致します。以下,背伸びをしてでも先学に「タテツク」のが我々後進の徒の責務と存じますので,気付いた点を述べ年来の疑問を先生にぶつけてみたいと思います。

 (a)表式論と蓄積論との前後関係について。私も,以前にはそうだと思っていた時期もあるので,先生の御説の意味も魅力もわかっているつもりですが,現在は,表式論の前提となる労働力商品の確保機構を説いた後で表式論を説くべきではないか,と思っております。[水掛け論は避け,先生の叙述に即して述べます。]先生は,いたるところで,表式論においては「労働者用生活資料と人間の能力としての労働力そのものが等値されているのだ」(71頁)と言われています。それはそのとおりだと思います。だが,その等値が可能な根拠を与えるものこそ蓄積論なのではないでしょうか。少なくとも,表式論が先でなければ蓄積論は説けない,ということはないと思えるのに対し,表式(論)において,労働者用生活資料の生産または供給を労働力商品の生産または供給とみなすためには,表式論の前に蓄積論――生活資料の購入による人間生活の再生産を労働力商品の再生産たらしめる強制機構を説くものとしてのそれ――がなければならないのではないでしょうか。
 (b)2部門分割の理由について。(1)「できるだけ単純化して再生産構造を表式化しようとするとき,その単純化の極点がこの二部門分割なのであ」る(40頁)といわれていますが,それだけでは,未だ2部門分割の必然性とは言えないのではないでしょうか。(2)先生は,c+v+m,との関連から,さらには,資本の再生産条件としての生産手段と労働力との区別から,生産手段生産部門と生活手段[正確には,日高は,生活資料]生産部門との区分を導かれています。単に使用価値の機能上・用途上の差に根拠を求めるのではなく,資本の再生産という点に即して区分を与えておられる点には賛成致しますが,先生の御説では,――この点は,私も以前悩んだ点なのですが――,まだ,vとmとが第?部門に買い向かうものとしてくくられる必然性は言えず,さらには,m部門が分離して3部門分割となる可能性を排除できないのではないでしょうか。私としては,なおしばし,以前にお送りした拙稿『利潤論の諸問題(2)」で述べた見解[1]を固辞したい,と思っております。
         [註[1] 資本と資本との交換……第?部門,資本と収入との交換……第?部門

。 参照,[資料?](青才『利潤論の展開』,時潮社,1990,未収録部分)] [★★検討点(2)と関連。資料?,58頁右〜63頁右。(参照の必要なし)]

?回転期間について。(手元に元本がないので確かなことは言えませんが,当該部分を

紀要で発表なされた折りには回転期間一年という想定は必要ないとおっしゃっていたように記憶しているのですが)。先生は,回転期間一年としなければならない理由に関し,「この(年に複数回転する資本の生産物である)生産手段の価値は,年間総生産物の合計に二重に算入されることになる」(48頁)という点を特に問題にされていますが,その生産手段の価値は,生産手段という商品の価値およびその生産手段を用いて作られた商品の価値の構成部分として複数回登場する以上,年間総生産物の価値として(価値生産物としてではなく)複数分計算されるのはいわば当然なのではないでしょうか。私の方に無理解があるのかも知れませんが,この点は何度読んでもわかりません。[★★資料?,65頁]

 ?奢侈品部門について。具体的数値で表式を表現することに対しての批判,および,一般化,には賛成です。また,このことは,一般に,亜部門を作るということがどういう誤りをもたらすか,たとえ亜部門を作ったとしても,その場合には第?部門と第?部門との関連に見られるような必然的関係を亜部門は他の部門と結ぶわけではない,ということ,総じて,表式はいくら複雑化しても結局2部門分割でしかないということを示すものだと思います。だがしかし,奢侈品部門の取り扱いに関してもなお自説を固辞したく思っております。それ故に,奢侈品部門を説かない理由を,「必要不可欠な部分ではない」,だから,「あってはならない」(88頁)という点に求められる先生の御説に対してはなお不満が残ります。すなわち,私は,奢侈品部門などという生産部門はない,と言い切るべきではないか,と思っています。(参照,前掲拙稿 [資料?],62頁註)。

 ?貨幣材料の再生産について。

 私は以前拙稿[資料?](62頁)でも述べました通り,貨幣材料の再生産をもし説くのなら第?部門に入れるべきだ,と考えております。それは,先生の御説とからませつつ言えば,次の理由からです。
 (イ)先生は,貨幣は特殊歴史的なものなのだからあらゆる社会に共通なものの商品形態による実現としての表式には入れるべきではない,と言われています。私は,「 あらゆる社会に共通なもの」ということの意味を,いかなる社会であってもその社会の存続のために必要な財貨は再生産されねばならない,という点において捉えたいと思っています。それ故,特殊歴史的な貨幣の・材料も,特殊歴史的な資本主義社会の存続のために必要な財貨なのだから,その生産も「あらゆる社会に共通なもの」なのではないでしょうか。「あらゆる社会に共通なもの」ということの意味を,横の区別,財貨の領域的区分として捉えると,「あらゆる社会に共通なもの(財貨)の商品形態」は,生産手段と労働者用生活手段のみになってしまい,蓄積部分を除いたm部分も,特殊歴史的な資本家の再生産のために必要なものだから表式に入れてはならない,と言わざるをえなくなるのではないでしょうか。
 (ロ)この貨幣材料の問題にしても,さらには純粋な流通費用に関する問題にしても(140頁),先生の場合には,表式は「個々の資本家がヨリ多くの貨幣を求めておこなうことが,社会存立のための再生産を実現するということ,それを資本主義社会では全面的に商品形態をもっておこなうことを示す点に,その中心的意義をもつ」(『全訂)経済原論』,[時潮社],113頁)という見解または結論が先になって,その立場から裁断されているように思えます。しかし,もともと先生の表式論の課題は,個別資本の場合には外部に前提せざるをえなかった売手・買手の内部化,という点にあったはずです。その場合,資本にとって,買わねばならないという点では,生産手段と生産的労働力も流通用資材と流通用労働力も同じではないでしょうか。前者は資本部分(c+v)によって,後者はm部分によって買われる,という区別はあっても,資本の運動のくりかえしのためには両者が必要で,資本は両者の売手を見いださねばならない,のではないでしょうか。
 (ハ)表式の抽象性について。表式の抽象性は,余分と思えるものを捨象した抽象性=資本制生産の一部を取り上げたが故の抽象性でもなく,また,抽象的モデルを設定しているが故の抽象性でもなく,それ以上のことがただ含蓄されているだけで明示化されていないが故の抽象性だと思います。先生が,単純再生産は拡大再生産の抽象的基礎である,と言われる場合の抽象性も,その意味において言われているのではないか,と思います。とすれば,表式は,貨幣の磨損がない世界・流通費用のない世界を問題にしているのではなく,それを内に未だ説かれていないものとして含蓄していると考えるべきではないでしょうか。私も,表式の意義を曖昧にしないために貨幣材料の再生産とか純粋の流通費用とかについて触れない,という先生の御説の意図は理解しているつもりです。だが,その意図は,先生のように表式から排除することによってではなく,むしろ,表式に含蓄されておりそれらを考えたとしても表式は何ら変わらないが故にことさら言う必要はない,という形で実現されるのではないでしょうか。
 (ニ)貨幣材料についての御説の前半で,先生は,もし貨幣材料を表式に入れたと仮定したらという留保付きですが,宇野『新原論』の表式を最善とされています。本当にそうでしょうか。先生は問題にされていませんが,第?部門説は一考の価値があるのではないでしょうか。宇野『新原論』の表式は,形式的(または美学的)に言って,貨幣材料の再生産を考えると単純再生産表式が崩れてしまう,という難点を持っています。先生も指摘されている,?(v+m)>?c,という点,および,数値が貨幣磨損分(3)だけ単純再生産表式の場合より増えているという点,等。こう言っただけでは,何も言わないに等しい訳ですが,この形式上の不整合は,貨幣材料としての金を生産手段としての金属一般との感性的類似性を以て第?部門に位置づけたという誤りが表出したものと思います。もし,貨幣の磨損それ故の貨幣材料の再生産を考慮に入れた場合に,?(v+m)=?cという関係が崩れるとしたら,それは是非とも取り上げねばならない大問題です。(138-9頁の,?(v+m)=?cの内で処理できないから「表式から追放」,という先生の御説とはむしろ逆に)。だが,もし,貨幣材料を第?部門に位置づければ,貨幣材料の再生産を考えようと考えまいと表式は同じとなります。宇野氏は『旧原論』で「金が単に貨幣材料の磨滅補填としてのみ役立つものであれば,上掲の3=2c+0.5v+0.5mを第二部門の消費資料としてもよいであろう。(著作集?,234頁)と言われています。先生は,宇野氏とは異なり磨損補填分のみに限定なさり(123-4頁),また,この「貨幣材料の再生産」で?(v+m)>?cを出してそれを拡大再生産への移行に使うという「あざといやり口」(131頁)には反対なされているのですから,第?部門説を一考なさってもよかったのではないか,と思います。
 ?拡大再生産表式について。一般化,および,それによるマルクスおよび宇野氏の,?(v+mk)=?c,批判には賛成致します。私も,以前から,この拡大再生産表式の第一年度の数値に関しては疑問を持っていたので,先生の御説には力づけられました。[◆◆だが,日高『経済原論』では,生かされていない。参照,[三],資料?]
 浅学をも省みず「けちつけ」に終始したきらいはありますが,これも,先生の御見解はいつもながら独創的すぎて,通説に安住する自分を反省したり,自分の頭で考える際のヒントにはなっても,俄に賛成,とはならないが故ですのでお許し下さい。 

[三] 拡大再生産表式の数式的解明

                       (1972.6.4〜8.)

◆元々は,レポート用紙18枚の手書きノート(1972.6.4.〜8.執筆)[★★マスター一年次]

        なお,先行草稿として,70.11以来の主体的ノート・メモ等あり
                                       [★★文学部3年次]

◆文字どおりの復元(日高への返事のような)は行わない。   1.現在段階で誤りと思えるものは訂正。

 2.説き方,順序も替えている。
 3.途中の計算は略している。

◆内容的に追加は,[……]に書く。

拡大再生産表式を記号を使って一般化し,その内的関係を明らかにして見たい。 A.記号

 生産費用内部のcとvの構成(=c/v)
   第?部門……a
 第?部門……a’

剰余価値率(=m/v)

 第?部門……b
 第?部門……b’

蓄積率(=(mc+mv)/(mc+mv+mk))

 第?部門……p
 第?部門……p’

資本拡大率              総価値増大率

 第?部門(?mc/?c)……e       第?部門(?n/?n-1)……f
 第?部門(?mc/?c)……e'      第?部門(?n/?n-1)……f’
   ◆◆なお,式の性格からして,e+1=f,e'+1=f',となる。

      ?nc 部門比=z=――――

           ?nc
                       a+ab−abp+b+1

なお,計算の結果は,z= ―――――――――――― である。

			

               a(a+bp+1)

     また,このzは,a',b',p',でも表現できる。

  なお,a=a',b=b',の場合には(この仮定は,p=p’,も含む),

          ?nc   ?の各項  ?n     部門比=z=――――=――――=―――― となる。     ?nc   ?の各項  ?n

B.最も,「適当」と思われる,表式の数値例

 単純再生産表式としては,次の表式が書ける(宇野もマルクスも同じ)。

? 6000 =4000c+1000v+1000m ? 3000 =2000c+ 500v+ 500m

また,拡大再生産表式として,次のような表式が書ける(以下,青才表式と呼ぶ)。 ? 6600 =4400c+1100v+ 440mc+ 110mv+ 550mk ? 2400 =1600c+ 400v+ 160mc+ 40mv+ 200mk

 上記の表式においては,(1)a=a'=4, (2)b=b'=1, という仮定の下で,
 (3)p=p'(=1/2), が成立し,  [★★p=p’の値は,独立変数]
 (4)’単純再生産表式の総価値=拡大再生産表式の総価値=9000,となっている。

C.拡大再生産表式の数式的解明

我々は,拡大再生産表式の数値的例解としては,この青才表式を採用すべきである。
 以下,青才表式が最も適当な表式の「例解」であることを,具体的数値を入れない拡大再生産表式の一般化を通じて明らかにしよう。
 拡大再生産表式を考える場合に,依拠すべき条件は,以下のものである。
 条件(1)拡大再生産の均衡条件  ?v+?mv+?mk=?c+?mc
 条件・時系列的規定性,前年度の生産手段[★★労働力も,といいうる]を引き継いで今年

度の生産を行うということ 。 すなわち,?nc=?n-1c+?n-1mc,?nc=?n-1c+?n-1mc。

 従来の見解の問題点は,この条件・が考慮されておらず,本来は,第n年度の式であるべき「最初の表式」を,「第一年度の表式」,「出発表式」と考え,前年度からの規定性を無視して恣意的な数値が選ばれたという点にある。
 条件(1)条件・を踏まえると,a,a',b,b’,p(p'は,意識的に入れない)が変わらない場合には(=「p'の不変を前提し,pは意識的に入れない」でも同じ結果となる),以下の関係式が成立する。

1.   ?nc     a+ab−abp+b+1

 z=――――  = 	――――――――――――	 である
			

    ?nc      a(a+bp+1)

   それ故に,?cが与えられると,?cが決まり,逆であれば逆,ということになる。こ

のことは,部門比(個々の項まで含めての)は,拡大再生産表式を複数年度展開しても,変化はない,ということを意味している。

 2.資本拡大率=e=bp/(1+a), e'=b'p'/(1+a'),であるが,両者の関係を計
   算すると,上記1から, e=e',となる。
   なお,当然のことながら,eの大きさは,構成が低いほど,剰余価値率が高いほど,蓄積 

率が高いほど,大となる。

 3.       a+1   a'+1

p :p’= ―― e:―― e'であり, 上記2(e=e')から,

			
           b    b'

       a+1  a'+1 p:p'= ―― :―― となる。

			

       b    b'

  この式が意味すること。
  (1)a,a',b,b'が変わらない場合には,pが決まればp'が,p'が決まれば,pが決まる。
  (2)定義より,a>0,a'>0,  1>b≧0(b=0,は,必要労働のみの状態),1>b'≧0,

1≧p≧0 (p=0,は単純再生産,p=1は,資本家不在の蓄積のための蓄積),1≧p'≧0 。 故に,(1)だと言っても,p,p'の取れる値には限界がある。林直道の,pを決めて拡大再生産表式を展開すると問題ないが,p'を先に決めて拡大再生産表式を展開すると表式は破綻する,という説は,p'に許容範囲を超える数値を入れたが故に生じた問題である。同様のことは,pに範囲を超える数値を入れても生じ,p'が許容範囲であれば,破綻は生じない。それ故に,林の第一部門優先の法則は成立しない。

   林直道「第一部門優先的発展の法則――拡張再生産における二大部門の相互関係」(
   大阪市大『研究と資料』9,1959年)  (3)a=a',b=b',とすると,p=p',となる。

D.両部門の構成が相違する場合,生産価格化を考えた場合

  ◆今回での報告は略す。

E.宇野表式(『旧原論』,241頁,『新原論』,122頁) 青才表式は,以下のものであった。 ? 6600 =4400c+1100v+ 440mc+ 110mv+ 550mk ? 2400 =1600c+ 400v+ 160mc+ 40mv+ 200mk

 上記の表式においては,(1)a=a'=4, (2)b=b'=1, という仮定の下で,
 (3)p=p'=1/2, が成立し,
 (4)単純再生産表式の総価値=拡大再生産表式の総価値=9000,となっている。
  宇野の第一年度の表式(=マルクスの表式a),K.?,S.501)は,

? 6000 =4000c+1000v+ 400mc+ 100mv+ 500mk ? 2250 =1500c+ 375v+ 100mc+ 25mv+ 250mk となっており,(3)は成立せず(p=1/2,p'=125/375),(4)でもない(価値合計=8250)。

 Cの3.(3)に依れば,マルクス表式a),宇野表式,青才表式のように,a=a',b=b’,と仮定すると,p=p',とならねばならない。ところが,マルクス表式a),宇野表式の場合には,その第一年度の表式はそうなっていない。それは,Fで述べるように,マルクスは(そして,それに引きずられて宇野は),拡大再生産表式の「例解」を,「第一年度」,または,「出発表式」として位置づけたということ,言い換えれば,単純再生産表式からの「移行」表式として位置づけたという限界の故である。
 ところで,マルクス表式a)=宇野表式,を次年度以降継続して数値展開すると,

p=p’=1/2,となる。「第一年度」,「出発表式」の特異性は,Cの条件(1)(2)「拡大再生産の場合の均衡条件,?v+?mv+?mk=?c+?mc,と,時系列的規定性,すなわち,?nc=?n-1c+?n-1mc,?nc=?n-1c+?n-1mc」によって解除され――例えば,?2c等,一つの項が決まると,他の項は,一義的に決まるが故に――, 第二年度以降は,p=p’=1/2,となるのである。そして,それは,青才表式と同じものとなる。(4)に関しては,――たまたま,a=4,b=1,p=1/2,という数値を仮定していたが故にという――偶然の産物だが。 なお,青才表式は,1970.11.に,宇野の表式を,複数年にわたって展開したおりに,2年度以降は,p=p'=1/2となり,各項の比率関係も変化しないということを知り,最も適当な表式として採用したものである。

 [◆八尾は,マルクスの第2部第8稿を検討する過程で,マルクスは,(1)(2)(3)(4)の同時成立を目指して試行錯誤をしているということを考証し,その際,上記の青才表式を「理想の表式」としている。八尾信光『再生産論・恐慌論の研究』,新評論,1998.6.,論文初出1987年)

F. 「移行」表式という発想の誤り。

 Eで述べたことは, マルクス表式a),及び,宇野表式,の第一年度の表式の特異性を意味している。その「特異性」,過ちにつながる「特異性」は以下の点にある。
 1.拡大再生産表式の「最初」の表式を,a=a',b=b’(技術的条件不変,資本・賃労働関係不変)の下での,第n年度の表式としてではなく,単純再生産から拡大再生産への「移行」表式として,or,「第一年度」・「出発表式」として位置づけた。
 2.上記1と関連したことだが,拡大再生産の「出発表式」では,単純再生産の場合の均衡式(?v+?mk(=単純再生産における?m)=?c)が,妥当すると想定している。拡大再生産表式における均衡式は,?v+?mv+?mk=?c+?mc,でしかないにも拘わらず,その意味を,宇野は,単純再生産の場合の均衡式,?v+?mk(=?m)=?c,且つ, 単純再生産の場合にはなかった蓄積部分内部での等式,すなわち,?mv=?mc,と解している。(以下,「単純再生産均衡式貫徹論」と呼ぶ)
 この点に関しては,日高は「おかしな」位置にいる。日高は,一方では,拡大再生産においては,?v+?mv+?mk=?c+?mc,が成立するだけで,?v+?mk(=?m)=?c,とはならない,と正しくも指摘していた。だが,それを批判しながらも,その後公表した『日高原論』(有斐閣,135頁)においては,以下の「例解」を提示している。

? 6000 =4000c+1000v+ 400mc+ 100mv+ 500mk

   ? 2250 =1500c+ 375v+ 100mc+  25mv+ 250mk  〕

自説に矛盾する「例解」をなぜ提示したのか,不思議というしかない。

[G.最も適当な表式の作成の方法

 1.上記Cでの各項の内的関連にそって,全ての項を?c等で表現し,(4)単純再生産表式の総額=拡大再生産表式の総額=9000,から,?c=4400,等を求める,という方法。
 2.青才教材[資料?]の方法。
   この方法のメリットは,価値総額=9000,のままで,その内部の構成の変更によって,拡大再生産が可能である,ということが明示できる点にある。]

[四] マルクスの拡大再生産表式

[ ◆◆参照,大谷禎之介「蓄積と拡大再生産(『資本論』第2部第21章)草稿について 」 (法政『経済志林』49-1・2,1981.7・10月)     ]

 現行版第2巻第21章はすべて第2部第8稿
   故に,拡大再生産表式は,第2部第8稿で初めて説かれた。

第3節「蓄積の表式的叙述」[Ms.では,表題欠] (1)表式a)[K.?,S.501,Ms.59] ? 4000c+1000v+1000m=6000 ? 1500c+ 376v+ 376m=2252 合計8252 ◆この式は,・単純再生産表式の?c=4000,と拡大再生産表式の?cを,同じと想定 している。そして,(2)単純再生産表式の均衡式 ?v+?mk=?c,が,拡大再生産表式においても妥当するものと考えている(以下,単純再生産均衡式貫徹論と呼ぶ)。 ・(2)は,同時に,p=1/2と想定していることを意味する。 ・この式は,宇野が採用した表式であり(マルクスが偶数にした376等を,元々のマルクス の発想にあった375に戻して),そこにおいては,a=a'=4, b=b'=1,p=1/2,となっている。 ・マルクスは,その後,拡大再生産表式の場合には,合計が9000になっているのに,この表 式では,8252となっていることを気にして,この式のそれ以上の展開を止めている。偶然の産物ではあるが,この表式の次年度を求めると,青才表式になるのであって,残念というしかない。但し,この表式のそれ以上の展開を止めた理由は,「単純再生産の与えられた諸要素の量ではなくてそれらの質的規定が変化するのであって,この変化が,そのあとにくる拡大された規模での再生産の物質的前提なのである。」[K.?,S.501,Ms.59]という,それ自体正しい視点にあるが故に,長所故の短所とでもいうべきだろう。

(2)マルクスの表式(第一例,K.?,S.505) ? 6000 =4000c+1000v+ 400mc+ 100mv+ 500mk

   ? 3000 =1500c+ 750v+ 100mc+  50mv+ 600mk

◆(4)は成立しているが(無理やりマルクスがそうしているが),(1)ではなく(a=4, a'=2),また,(3)も成立していない(p=1/2,p'=150/750)。総じて,(4)とするために,生産費用の構成を変更したものと言いうるだろう。蓄積率の,p≠p'は,その結果として生じたものである。 ◆◆以下,略

 結局マルクスは,(1)a=a',(2)b=b',(3)p=p’,(4)単純再生産表式の総額=拡大再生産表式の総額,を充たす拡大再生産表式を求めて,試行錯誤し,たくさんの表式例を述べたが, 「運悪く」それを見つけることができなかったということ。それが出来なかったのは, 根本的には, 単純再生産均衡式貫徹論にあった。

[五] 富塚良三の拡大再生産表式の検討

参照,富塚良三『経済原論』(有斐閣大学双書,1976)

       第?編第3章「社会的総資本の再生産と流通」

A.富塚の単純再生産表式(237頁) マルクスと同じく   ? 6000 =4000c+1000v+1000m

 ? 3000 =2000c+ 500v+ 500m

B.拡大再生産表式(257頁)   ? 9000 =6000c+1500v+1500m

 ? 3000 =2000c+ 500v+ 500m

(1)構成,剰余価値率は,単純再生産と同じ。 だが,総価値額は,3000程大となり,また,それは,全て第?部門で大,となっている。 (2)まずは,数値が恣意的に選ばれていることが問題とされねばならない。後に問題にす るように,富塚は,部門構成(?と?との比率)を「所与の生産力水準とそれに照応する生産関係の表現」(267頁)であるとし,それは,「所与の」条件の下では変わらないものとして重視しているが故に,なぜ,部門構成が,9000:3000,なのかが問われねばならない。 (3)上記(2)に表出しているように,富塚は,「最初の表式」も,前年度等から規制されて いる,ということを見ていない。

C. 拡大再生産表式の展開式(266-7頁) (4)富塚の場合には,c部分において,固定資本の問題を考える(?c等は価値移転分の み,?mc等では,一挙的投下の固定資本総額を問題とする)という特殊性を持ってい る。 [◆以下,この問題は無視する] (5)「所与の生産力水準とそれに照応する生産関係の表現たる投下資本総体の資本構成 ・部門構成・剰余価値率などの相連繋する諸条件によって規定されるところの,総生産部門W’の価値的・素材的構成によって≪均衡を維持しうべき蓄積総額=並びに平均蓄積率≫が決定され,それにともなってまた拡張過程の均衡を維持しうべき総有効需要の構造が規定されるのである。」(267頁)

 上記(2)で述べたことと関連するが,資本構成(a=a’=4),剰余価値率(b=b’=1)不変の想定は当然として,「部門構成」(z)が先に決まり,その後で,p,等が決まるとするのは,間違いである。なぜなら,[三]の「数式的解明」で述べたように,zは,a・b・pによって規定されるのであり, 蓄積率の方ではなく,部門構成比の方こそが,従属変数だからである。この点から言って,富塚の「均衡蓄積軌道」から乖離しての過剰蓄積によって恐慌が準備される,という見解は成立しないことになる。
(6)富塚は, 恐らく,生産費用の構成(富塚の場合には,投下資本内部の構成)・剰余価値

率が両部門同一という条件の下,特定のpを想定して,拡大再生産表式を複数年に渡り展開し,そこから,自説を構想したと思われる。[三]で述べたように, 複数年に渡っての展開を通じ,最初の表式が恣意的な想定を採用している場合であろうとその恣意性は解除され,zは次年度以降は一定となる。そのことを,zは「所与の」ものと誤解したのであろう。そして,次年度以降の数値から,逆に,「第一年度」の表式の数値を導きだしたと,思われる。 (7)ただし,(5)(8)の誤りの故という側面もあるが,?v+?mk=?c,という「単 純再生産均衡式貫徹論」は取っていない,という点は評価できる。また, (5)のz(部門比)が先に決まり,その後で蓄積率が決まるという誤り,または,zが一定であり続けるためには,p=p’でなければならない,という逆転した発想にささえられてであるが,資本構成・剰余価値率が両部門同一の場合には,p=p’,だとしている。 (8)もう一つ,富塚には,「蓄積額は……余剰生産手段および余剰生活手段を過不足なく 吸収すべき大きさでなければならない。」(265頁)という前提がある。 そして,この前提に基づいて蓄積率を規定している。(2)で述べたように, 部門の価値総額の数値を恣意的に決め,その必然として,余剰生産手段,余剰生活手段の量を恣意的に決めておいて,その後で,この(本来は,蓄積率によって規定されている)余剰生産手段等が蓄積率を決めるというのは,でたらめな見解というしかない。さらに,その背後には,需要の変化に応じての供給の変化(資本の移動)を認めないという発想がある。そして,それは,270頁に見られるように, 再生産表式論で恐慌を説こうという見解から導かれたものである。単純再生産から拡大再生産への移行の際には,部門構成比を勝手に変えておいて(それ故に,資本移動を認めておきながら),拡大再生産内部では資本移動はまかりならぬとするのは,論理破綻と言わざるをえない。また,この富塚の誤りの内には,一年一回転と考えたが故の誤りが関連しているのかも知れない。 (9)最近,富塚は,八尾の表式(青才表式)を知り,それが,p=p',となっていることから, 自説を補強しうるものと解して推奨している(『資本論体系 4 資本の流通・再生産』,有斐閣,305頁)。そして, そこでも,余剰生産手段,余剰生活手段の量が,蓄積率を規定していると,述べている。これも,転倒した把握である。数値的な因果関係では,蓄積率が与えられて,余剰生産手段,余剰生活手段の量が決まっているにも拘わらず,数値は因果的前後関係を語らないので,後者が前者を規定したと,誤解しているにすぎない。

 なお,この富塚の八尾表式(青才表式)の推奨は,(4)の富塚の想定とは齟齬するものである。 

1998年度   経済原論 (教材・)

     再生産表式( 第二篇, 第三章, 第三節資本の社会的再生産,2)

(a)再生産表式一般 ?=?c+?v+?m ?=?c+?v+?m

(1)商品資本の価値的側面からの3大区分 (生産との関連における購買力の源泉の区分) c, v, m(mc,mv,mk) (2)商品資本の使用価値的側面からの2大区分 (消費との関連における供給商品の区分) 第?部門……生産手段生産部門 資本によって購買される商品(cとmcによる購買) 生産的に消費され,その価値は,消費を通じて維持・移転される商品 第?部門……消費手段生産部門 収入によって購買される商品(v,mv,mkによって購買) 個人的または不生産的に消費され,その価値は,消費を通じて消え去る商品

(b)単純再生産表式 ◆?=?c+?v+?m ?=?c+?v+?m

         生産手段の供給  ?c+?v+?m
                      需要  ?c+?c
         消費手段の供給  ?c+?v+?m
                      需要  ?v+?m+?v+?m

∴均衡条件 ?v+?m=?c ◆例解 (c:v=4 :1, 剰余価値率=1, 総価値=9000) ? 6000 =4000c+1000v+1000m ? 3000 =2000c+ 500v+ 500m

?拡大再生産表式 ◆?=?c+?v+?mc+?mv+?mk ?=?c+?v+?mc+?mv+?mk

   均衡条件  ?v+?mv+?mk=?c+?mc
       ∴  ?v+?m>?c
(・?v+?m=?v+?mc+?mv+?mk=?c+?mc+?mc>?c)

◆例解( 第n年度) ( c:v= 4:1,剰余価値率=1, 蓄積率=1/2, 総価値=9000) (1)総価値9000の場合の単純再生産表式

   ? 6000 =4000c+1000v+1000m
   ? 3000 =2000c+ 500v+ 500m

(2)第?部門から第?部門への資本移動

 単純再生産の場合の消費手段3000
 拡大再生産の場合
		v……………………………………………………	 1500  ――消費手段
		消費( mk) …………………………	  750  ――消費手段
	
	m(1500)	
		mv…………	  150  ――消費手段
	蓄積( mc+mv)
	mc…………	 600  ――生産手段
       ∴ 600だけ, 第?部門から第?部門へ移動

(3)? 6600 =4400c+1100v+ 440mc+ 110mv+ 550mk

 ? 2400 =1600c+ 400v+ 160mc+  40mv+ 200mk
 〔日高の場合( テキスト135 頁)
   ? 6000 =4000c+1000v+ 400mc+ 100mv+ 500mk
   ? 2250 =1500c+ 375v+ 100mc+  25mv+ 250mk  〕

◆例解( 第n+1 年度) (1)n+1 年度の資本 ? 4840c+1210v

                   ?  1760c+ 440v

(2)n+1 年度の拡大再生産表式

 ? 7260 =4840c+1210v+ 484mc+ 121mv+ 605mk
 ? 2640 =1760c+ 440v+ 176mc+  44mv+ 220mk 

2003年度経済原論 教材・? 再生産表式

             ( 第二篇, 第三章, 第三節「資本の社会的再生産」)
   第三節  資本の社会的再生産

1. 個々の資本の再生産と社会的な資本の再生産 ◆第三節の課題

 資本は, 再生産のために必要な財貨 (使用価値) をいかにして再生産しているか。

◆個々の資本の再生産のためには, 何が必要か (1)資本の生産物が売れなければならない。 [他からの需要を前提とする] (2)資本の再生産のために必要な商品を購買できなければならない。

                                            [他からの供給を前提とする]

・だから, 個々の資本は, 一方では需要を他方では供給を前提している。そして, あら ゆる資本がそういう状態にある。 とすれば, 資本は他の資本との関係で, 他の資本との相互的再生産 (資本の社会的再生産) を通じて, 初めて, 自己の再生産の条件を確保しうることになる。 以下, この点を, 再生産表式を用いて説明する。

3.資本制社会の再生産 ●国民所得との対応 ・生産物価値 (生産物の価値) =?の生産物の価値+?の生産物の価値 = (?c+?v+?m) + (?c+?v+?m) =再生産表式の例解の場合 (9000) ・価値生産物 (当該年度に生産された価値) =付加価値=国民所得 =賃銀+剰余価値 (利潤・地代・利子を含む) =v+m=?v+?m+?v+?m=再生産表式の例解の場合(3000) ◆マクロ経済学における所得分析との対応 国民所得 =v+m = (?v+?mc+?mv+?mk) +( ?v+?mc+?mv+?mk)

 ところで, 拡大再生産の均衡条件より, ?v+?mv+?mk=?c+?mc
 これを代入すると,

国民所得=?c+?mc+?mc+?v+?mc+?mv+?mk = (?c++?v+?mc+?mv+?mk) +?mc+?mc =?+ (?mc+?mc) =再生産表式の例解の場合(2400 +440 +160)=3000 ?の生産物は, 消費される (C) 。 (?mc+?mc) は, 剰余価値の内消費されないで貯蓄されたもの (S) であり, 他方, それは, 追加生産手段を購入しているので, マクロ経済学における投資 (I) ∴国民所得 (Y) =消費 (C) +貯蓄 (S)

   なお, 投資 (I) =貯蓄 (S) 

◆ケインズの有効需要の理論とマルクスの再生産表式との関連

 マルクス経済学者, カレツキーは, ケインズの『一般理論』(1936 年) に先んじ,
 1933年に, マルクスの再生産表式を用いて, 有効需要の理論を創始した。

●資本の再生産を通じた資本制社会の再生産 いかなる社会も, その社会が存続するためには, その社会の再生産に必要な使用価値を生産しなければならない。 ・資本制社会の再生産に必要な使用価値とは (1)資本制社会を構成する諸個人, すなわち, 資本家および労働者の再生産のために必 要な消費手段 (2)その消費手段を再生産するために必要な生産手段 (3)その生産手段を再生産するために必要な生産手段

   以下, 生産手段を再生産するために必要な生産手段を, 再生産するために必要な生
   産手段……等は, すべて, (3)に入る。

・それぞれ, 再生産表式を用いて言えば, (1)?( 第?部門) の生産物=?c+?v+?m (2) 単純再生産の場合 ?v+?m ( =?c)

               拡大再生産の場合  ?mc+?mv+?mk (=?c+?mc)

(3) 単純再生産の場合 ?c

               拡大再生産の場合  ?c+?mc
   に相当する。

・このことは, 再生産表式において(総括的に) 示される, 社会的な商品資本の単純およ び拡大再生産という形態を通じて, 資本は, 社会の存続にとって必要な財貨 (使用価値) を自ら再生産しているということを意味する。すなわち, 資本の再生産を通じて, 資本制社会を再生産しているのである。  ●●以下,略◆ ・また, このことは, 資本制生産は, 特殊歴史的な生産形態であり  ながら, 存立根拠 ・存続根拠を有する, 一つの社会的な生産形態であることを意味する。〕・ 


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13