コメント:「二種類の経済」への再評価

唯物史観との関係

2006-11-27 (月) 08:03:02

通常、唯物史観というと国家は上部構造に属すると考えられてきた。同じように、家族形態や家族制度も、上部構造の問題だと考えられそうであるが、斉藤報告のおもしろい点は、『家族・私有財産・国家の起源』の「序文」をみると、「二種類の経済」ということで、家族の問題は直接下部構造のファクターとなると論じられているところに注目した点である。物財の再生産と同時に、人間の「再生産」も下部構造の重要なファクターであると考えられるというのである。人間に関して「生産」とか「再生産」とかという規定を適用することが妥当かどうかはおく。表現の問題はともかく、人口問題が下部構造の重要なファクターであるということであり、これはたしかに考えなくてはならない。生産力が上昇すると、人口もこれとの関連で増加するわけではない。生産力に対して、生産関係(ほぼ生産手段の所有関係を意味する)が矛盾するというだけではなく、むしろ、生産力と独立に変化する人口との間に矛盾を引きおこすことが多いようにも見受けられる。下部構造かどうかという「解釈」はおくとして、生産力と人口とを、歴史的な生産様式の変化を説明するファクターと捉える二元論的アプローチは成立するのではないかと思う。

『経済学批判』序文の場合:生産力一元論

上部構造家族制度マルクス主義フェミニズム
生産力一元論
下部構造生産力 → 生産関係

『家族・私有財産・国家の起源』序文の場合:生産力・人口論の二元論

上部構造家族イデオロギーマルクス主義フェミニズム
資本主義と家父長制的二元論
下部構造生産力 → 生産関係
繁殖力(人口) → 家族形態

人口論

  • 古典派は、生産力の増大ないしは生産規模の拡大が自然人口の増減に影響を与え、またそこから影響を受けるという、人口法則論を展開した。
  • マルクスは生産力の増減と積極的に人口の増減との連動性を論じる立場をとらない。資本蓄積ー生産力上昇は、雇用人口を縮小さえる。相対的過剰人口を自ら生産するという点を強調した。自然人口の生産ではなく、過剰人口の生産である。だから、人口制約は問題にならないという立場である。過剰人口は自然増とは独立に人口問題=窮乏化法則を生むという理解である。
  • 宇野弘蔵は一方的な過剰人口を累積させるのではなく、吸収と反発を繰り返すことで、人口法則を景気循環のうちに捉える立場をたてた。これは基本的にはマルクスと同様に、資本主義は自然人口とは独立に自立的に発展できるという考え方である。
  • 現在、人口問題は重要な課題として再浮上している。人口は生産力とは独立に増減する(反古典派的)。自然人口の増減は生産力と矛盾を生む。この点では、自然人口とは独立に経済は発展できるとするマルクス主義に対して、反マルクス主義的立場を打ちだす余地もある。

女性の自己決定権

これは、イデオロギーの問題である。歴史の流れは、普遍的な女性の自立であったとか、あるいは、あるべきである、というのは、特定の価値判断である。このような主張は正しいかもしれないし、そうではないかもしれない。絶対的な意味では決定できない。どうして、このような考え方が登場し、社会的な通念と現在なったのか、この点は後から振り返ってみると、そうなる必然性を見いだすことができる。しかし、将来に対して必然的な決定が支配しているわけではない。過去を振り返ってみると必然的だが、将来に対しては可能性の束が与えられている、と考えるべきである。

ラディカル・フェミニズムとマルクス主義:リベラリズムに対する連続性と革命性

2007-03-01 (木) 03:44:47

リベラリズムとの関連で捉えると、両者はよく似たスタンスにたっている。18世紀末以降の近代化の流れ、啓蒙主義、ないしリベラリズム、市民的自由の領域の拡張という歴史的流れをみると、フェミニズムは、この権利拡張運動のなかから発生し成長してきた。リベラル・フェミニズムという一面でである。ソーシャリズムも同じくリベラル・ソーシャリズム(ソーシャル・リベラリズム=社会民主主義)という一面をもつ。しかし、このようなりベラズムの連続性に対して、諸問題を根本から変革する、諸運動を根本的に一気に解決する、という主張が萌芽する。改良に対する革命である。ソーシャリズムの流れのなかで、マルクス主義はこれを主張した。ラディカル・フェミニズムもやはり、これと同じスタンスをとり、マルクス主義の歴史理論に還元できない、私的で根底的な男性の女性支配を一般的・本源的に捉え、その解決を迫る。20世紀末にマルクス主義が後退するなかで、なお根本的な革命性を求めるイデオロギーとしてラディカル・フェミニズムに走向することもゆえなしとしない。

連続性革命性
リベラル・フェミニズムラディカル・フェミニズム
ソーシャリズムマルクス・レーニン主義

マルクス主義・フェミニズムは、同じスタンスにたつ両者を抱き合わせたのだが、スタンスが同じだということは必ずしも整合性を保証するものではない。なぜなら、両者とも唯一本源的な課題が存在するという立場であり、階級関係が根本的(ラディカル)か、男女の差異が根源か、という対立を必ずうまざるをえないからである。

この点は斉藤君の修論面接の際に考えたことである。

file斉藤祐介修士論文講評.pdf


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13