演習後のメモ

obata (2006-12-15 (金) 17:51:29)

Vは価値移転するか

報告のなかでは可変資本の価値が生産物に移転するという説明がありました。可変資本自身は支出されて労働力商品となり、支出された可変資本の価値部分とは独立な大きさとして、買われた労働力商品の使用価値である労働を通じて新価値を零から形成してゆき、1労働日の価値となる。この労働日は絶対的剰余価値の生産によって延長可能である、と通常説かれています。このロジックに批判を加えるのはかまいませんが、それはこのようなマルクス以降のマルクス経済学の議論をふまえてうえで、批判として展開してください。そうしないと、価値構成説との混同と逆に咎められるでしょう。あるいは梶川さん自身のうちに、価値構成説的発想があるのではないか、このために、流通費用、セールス・サービス活動も、付加価値を構成するかたちで、商品価値を形成すると思いこんだ節はないか、と邪推した次第です。

「広義の価値」概念はなぜ登場したのか

「次元の相違」論との関係で、価値概念の三層構造化という説が登場するにいった経緯について説明した。

次元の相違論では次のような二層構造となる。

単位・次元
価値の形態生産価格ドル・円など
価値の実体投下労働量時間


1960年代の論争の焦点は、「価値の生産価格への転化」という問題にあった。宇野弘蔵の価値形態論を独自に展開したグループは、価値の実体は労働時間という単位=次元をもち、これに対して、生産価格は貨幣単位をもつ価格の次元に属する。それゆえ、価値が生産価格に転化するといっても、次元が異なるのだから、転化とはいえない、次元の異なるものの間の対応関係があるのみだ、というような方向で問題を整理していったように思われる。

しかし、次元の相違論は、転形問題に焦点を絞った結果、価値の形態のうちに、市場価格と生産価格の間の関係を一括りにしてしまうという問題を孕んでいた。価値形態論を基礎として展開される宇野の「流通論」の意義を、個別的な取引関係が形成する市場の「不確定性」に認める山口さんの立場からは、このような市場価格に対する扱いは肯じがたいものだったと思われる。生産価格は、流通費用や流通資本という不確定要因を介して、市場における価格現象に発現する。この点を明確にするためには、同じ価格次元だという理由で、市場価格を生産価格に事実上還元して、価値の形態として一括するのではなく、市場価格と生産価格との間の違いを同時に明確にする価値概念を構築する必要があったものと思われる。
だから簡単に整理してしまうと、

価値の形態市場価格価格単位
生産価格価格単位
価値の実体投下労働量時間

ということになる。

その結果、価値形態として「広義の価値」を想定し、この広義の価値のうちに、生産価格を有するものともたないものとを包括する、という整理にゆきついたのではないかと推察される。

価値の形態価格価値の表現
広義の価値交換性・交換力としての価値
価値の実体社会的平均的労働量重心の水準を説明するもの


山口先生の論文がどういう用語で説明しているかは定かではないが、 こんな感じの三層になっていたと思う。 どなたか山口さんの本を 読んだかたでお心当たりがあれば、三層がそれぞれなんといわれていたかお知らせください。

なお、次元の相違論を簡明に形式化した、伊藤誠先生の「三つの表」を批判した、 高須賀博さんは、価値価格といおうかたちで、価値実体のほうを、 労働時間と価値価格にするかたちで、事実上三層化されている。

単位
生産価格ドル・円など
価値価格(労働時間に比例した価格)ドル・円など
投下労働量時間


サービスの商品化による家族共同体の解体作用はあるのか。

家事代行サービスで進行するのか、このあたりは煮詰められませんでした。

コメント、ご意見有難うございます

梶川誠 (2006-12-19 (火) 11:14:12)

議論の中でいただいた質問、ご意見を咀嚼し今後の展開に活かします。
基本的なところをしっかりと認識し直し、より説得力のある論旨となるよう研鑽いたします。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13