演習後のメモ †
Vは価値移転するか †報告のなかでは可変資本の価値が生産物に移転するという説明がありました。可変資本自身は支出されて労働力商品となり、支出された可変資本の価値部分とは独立な大きさとして、買われた労働力商品の使用価値である労働を通じて新価値を零から形成してゆき、1労働日の価値となる。この労働日は絶対的剰余価値の生産によって延長可能である、と通常説かれています。このロジックに批判を加えるのはかまいませんが、それはこのようなマルクス以降のマルクス経済学の議論をふまえてうえで、批判として展開してください。そうしないと、価値構成説との混同と逆に咎められるでしょう。あるいは梶川さん自身のうちに、価値構成説的発想があるのではないか、このために、流通費用、セールス・サービス活動も、付加価値を構成するかたちで、商品価値を形成すると思いこんだ節はないか、と邪推した次第です。 「広義の価値」概念はなぜ登場したのか †「次元の相違」論との関係で、価値概念の三層構造化という説が登場するにいった経緯について説明した。
しかし、次元の相違論は、転形問題に焦点を絞った結果、価値の形態のうちに、市場価格と生産価格の間の関係を一括りにしてしまうという問題を孕んでいた。価値形態論を基礎として展開される宇野の「流通論」の意義を、個別的な取引関係が形成する市場の「不確定性」に認める山口さんの立場からは、このような市場価格に対する扱いは肯じがたいものだったと思われる。生産価格は、流通費用や流通資本という不確定要因を介して、市場における価格現象に発現する。この点を明確にするためには、同じ価格次元だという理由で、市場価格を生産価格に事実上還元して、価値の形態として一括するのではなく、市場価格と生産価格との間の違いを同時に明確にする価値概念を構築する必要があったものと思われる。
ということになる。 その結果、価値形態として「広義の価値」を想定し、この広義の価値のうちに、生産価格を有するものともたないものとを包括する、という整理にゆきついたのではないかと推察される。
なお、次元の相違論を簡明に形式化した、伊藤誠先生の「三つの表」を批判した、
高須賀博さんは、価値価格といおうかたちで、価値実体のほうを、
労働時間と価値価格にするかたちで、事実上三層化されている。
サービスの商品化による家族共同体の解体作用はあるのか。 †家事代行サービスで進行するのか、このあたりは煮詰められませんでした。 コメント、ご意見有難うございます †
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