論点

小幡道昭 2007-04-13 (金) 16:54:44

労働生産物でないものの商品化(神橋)

「名誉、良心」がでてくるが、労働力も商品となるわけで、必ずしも労働生産物とかぎるわけではない。 宇野派の場合、特に冒頭商品を労働生産物に限定しない傾向がある。 どこまで広くとるか、限定するのか、という問題を多少議論した。

(名誉・良心--知識・情報-- ----(労働生産物----))

このパラグラフのまえにある、価値と価格との乖離は、商品流通が資本主義にとって欠陥をなすのではなく、適合するための要件をなす、という命題をどう評価するのか。宇野弘蔵の価値尺度論につなげて、議論した。

マルクスの貨幣論と貨幣数量説との異同(新井田)

Mv=PTにおける、Mは流通手段として機能する貨幣の量であり、M’という蓄蔵貨幣が調整的に作用するという、通説的な解釈について、批判的な議論を考えてみた。マルクスの場合、右辺が左辺を決定する、という命題をとっているが、これはどのような想定になるのか。

金生産における生産性の上昇は、どのような経路で、価格水準を変化させるのか。 金生産の生産性上昇は、貨幣量の増大をまたずに、価格水準を全般的に上昇させるのか、 貨幣量が増大するという回路を通じて、結果的に物価水準を上昇させるのか。 後のほうだとすると、貨幣量の増大が物価上昇を生むという数量説的な議論と、 現象としては合致する。原因が貨幣素材の生産性上昇にあるという点は異なるが。

貨幣の価値とはなにか(結城)

貨幣の価値が、物価表を逆に読むということでしめされる、ということは、なにを意味するのか。

貨幣の価値は統一的な表現をもたない、単一の価格形態をもたない、ということ。このことと、 貨幣の価値は、購買力のことであり、購買力の水準は、物価指数で表される。その意味では、 やはり、統一的な尺度をもつのではないか、と考えられる。しかし、指数というのは、 統一性を示すことにはならない。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13