機械とイデオロギー

obata (2007-12-21 (金) 17:34:31)

機械は特定の価値観から中立の、イデオロギーとは独立の存在か。資本主義的使い方も社会主義的使い方もできるという、二元論、でよいかどうか。

イデオロギーの物質化、という問題もある。機械と物象化論はつながってもよい面があるように思うが、マルクスの基本は、機械はニュートラル、その発展は将来社会においてもかわらない、と考えていた節がある。資本主義的な機械化は、失業をうみ、窮乏化をもたらすところに限界がある、ということだけでよいかどうか。

技術論争

クローンとか原子力利用とか、技術の中立性論には再検討の必要がある。

スミス分業論ー労働者の無能力化:工場の内部では分業の深化はやむを得ない、外部で教育により補完する、ということですむかどうか。マルクスの自由時間論の系譜。

これに対して、労働の人間化論。疎外論。マルクスの場合、分業でなく機械化だから、労働の劣化は受け入れらるかもしれないが、スミスのように分業=生産力論でゆくと、労働の劣化は、いくら、労働時間が短縮されるからといっても容認しにくい。

そもそも、労働せずに欲求を充足することができるか、といった根本問題もある。

スミス - ヘーゲル問題

obata (2007-12-21 (金) 20:47:26)

服部さんから

James P. Henderson and John B. Davis, Adam Smith's Influence on Hegel's Phirosophical Writings, Journal of the History of Economic Thought, 13, Fall 1991.


トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13