吉田説のポイント

服部さんの論点1に関連して

  1. <銀行券発行高増加=民間からの資金吸い上げ説>は、発券高増による信用創造が貨幣寮の増加をもたらすものではない、という考え方で妥当。貸借対照表上の発券=負債増に対応する資金吸収である。問題はこの「資金」とはなにか?である。
  2. マルクス経済学では、この資金は、商業手形などであろう。すでに、商品に内在している価値、将来の貨幣が商業信用で資金化している。これが吸収されて、それに対応する銀行券なり、技巧預金が発生する、と考える。
  3. 吉田説は、この点をいっているのかもしれないが、「はじめに預金ありき」説というのは、もしかしたら、先に預金を設定すれば、後からそれに見合う投資がなされ、それが実物的な資産を形成する、と見るのかもしれない。これはケインジアンの考え方だろう。
  4. マルクス経済学で考えた場合、従来、信用貨幣は商業手形、銀行券と「信用度」が高まり、それにつれて「貨幣性:をつよめる、という考え方をとってきた。吉田さんのペイメントシステム論はこのような連続説に対しては、批判的である。そのようにみえる。ペイメント、決済が可能になるのは、手形交換所やコルレス契約などが完備し、即座に支払いが完了する、という同時性をもつなど、独自の銀行間組織が基礎になっている。信用度が高いか低いかで、貨幣性を考えるのでは不充分である、ということかと思う。それならなるほど、といいたい感じです。 この点を詰めて考えると、結局、貨幣=決済手段説、支払手段となる。購買手段を不可分のものと考えるのではなく、商品の受け渡し、これに対する支払いという景気を分離するかたちで、売買を捉えるところまで遡る必要があるかもしれない。
  5. これに関連して、銀行の「準備」の二つの意味が問題になる。第1は、不良債権などに対する引き当て準備、資産の瑕疵を補う準備金としての性格、資本準備金的側面、第2は、流動性が限界にぶつかったとき、貨幣制度が異なる外国への支払い、など、流動性を確保するための準備である。これははっきり区別する必要があることはこの間、議論してきた。信用度は前者の準備、決済性は後者の準備に対応すると考えられる。

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13