1. oder の意味
  2. 価値の鏡 これは商品体を価値物に<する>という契機がよわいのではないか。
  3. 凝固体=リンネルの側の労働 これは価値鏡による回り道の論理(第2文)とつながらない。
  4. 拡大された価値形態は、いかなる意味で簡単な価値形態より、価値表現として進んでいるのか。
  5. 価値表現には表現する主体や、なぜ表現するのか、といった意図がないと、成立しないのか。

リカード学派のベイリーへの反撃

ベイリーは、穀物価値、コーヒー価値etc が存在する、といって、価値は相対比率である、主張。

この穀物価値は穀物価格ではないか。マルクスは、ベイリーの相対主義を批判しながら、同時にリカード学派のいたいところをついた、と一定程度評価。この評価は妥当か?

穀物<価値>は価値ではなく、穀物<価格>であろう。リカードは「自然価格と市場価格について」区別して論じている。

マルクスの価値形態論は、価値表現論であり、価値表現ははじめから、つまり簡単な価値形態から価格とするべきであった。

簡単な価値形態:リンネル価値の上衣価格

マルクスは「交換価値」が価値形態だというが、穀物価格にせよ、上衣価格にせよ、価値形態論は《価値》の《価格》による表現、というべきであった。

貨幣形態から価値尺度のところにいたって、《価格》=貨幣価格という意味に限定して、価格という概念をもちだすのは問題である。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13