2010年度/夏学期

現象と本質、内実と表現

偶然的変動を伴う交換価値(交換比率)の中に、それとは論理レベルの異なる「内的な、内在的な、固有の交換価値」(K., I, S.51.)を考えたい。(ここまでは、マルクスのテキスト解釈。)

  • この関係に、「現象」と「本質」という通念的なフレームワークを当てはめてみても、結局この二つのレイヤーのつながりが分かったことにはならない。
  • 「現象」と「本質」という整理はきわめて多義的で、論理的な区別として適当ではない。少なくとも、「本質」がいかにして「現象」するのかはっきりさせる必要があるだろう。
  • 交換価値は、ある「内実」を「表現」するものだ、というのでは如何。

Ehara

交換価値は、「内実」を「表現」するとは....

obata (2010-05-07 (金) 20:49:45)

「交換価値」は、小麦1クオーター対棉花50キログラム、といった物量の比率。物量(クオーターとかキログラムという単位をもつ)を第1次元の概念とすると、交換価値は第2次元の概念[キログラム/クオーター]となる。論理レベルとしては、モノとモノの量関係であり、この比率というのは、モノそのもの次元ではなく、一種メタ次元になるが、ヘンなところはない。絶対量の単位[メートルや時間]というdimensionに対して、スピード[km/h]が考えられるのと同じです。

これに対して、「表現」というのはちょっと違うと思うのです。表現されるモノ=内実があり、これはそれ自身、固有の単位をもってはいないのではないでしょうか。交換可能性として価値を先取りして考えているのですが、これ自体には単位はない。でも、価値はあって、その大きさを何かで「表現」するのです。何かXがあるから、それが何かAで表現されるです。単位をもつのは、Aのほうであり、こちらはモノの世界です。Aのほうを「外在」とよべば、Xのようなあり方を「内在」とよぶとよんで区別する....というのはどうでしょうか。うえの[クオーター]や[キログラム/クオーター]、[km/h]はすべて外在の世界の話です。しかし、Xのほうは、次元が異なっていて、それ自身には量単位をもたない。内実、内在、といった<「内」対「外」>の定義ですが、即物的に、<それ自身、単位をもつかどうかで分ける>、これ、ちょっとむずかしいかな。即物的なところが、妙に気に入ったのですが.....

貨幣への論理と「内在物」への論理

貨幣への論理(横の論理)

小麦 is A、B、C(拡大された価値形態)→A、B、C is 小麦(一般的価値形態)

  • 「一つの同一物」(ibid.)は、小麦。

「内在物」への論理(縦の論理)

いろいろある交換価値(「現象形態」)

どれでもない、「内在物」がある。(本質??)

  • 「ただそれ(交換価値)と区別さるべき内在物」(ibid.)
    Ehara

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13