日高晋「パリはミサに値するか」論評

ehara (2010-09-10 (金) 18:27:54)

日高説のまとめ


  • S.67の「パリはミサに値するか」という引用は、アンリ4世はパリを目的物、ミサを提供物としているのだから、『資本論』の中で唯一相対的価値形態の商品(提供物)で等価形態の商品(目的物)の価値を表す形になっていて、他の箇所と逆になっている。

  • 宇野は、商品所有者の欲求にしたがって等価物の商品の量がまず決定されることを打ち出した。そのため「パリはミサに値する」の形式を引き継いでいることになる。

  • 等価物の商品の量をまず決定し、それにあわせて相対的価値形態の商品の量を加減することが価値形態でやっていることなら、等価形態の商品の価値を相対的価値形態の商品の量で表現していることになる。


日高批判


  • 日高は、等価形態の商品量を固定し、相対的価値形態の商品量を動かすことを「価値表現」と捉えているが、これは測量である。宇野の「繰り返しの購買による価値尺度」と同じプロセスを、価値表現として価値形態論に持ち込んでしまっている。

トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13