2013年度/冬学期

新田さんに以下のようなコメントを送付しました.

「第2節 労働過程論と限界原理」について

10頁では,「合目的的活動」としての労働が,不快を避け快感を求める行動として捉えられている.これは人間の欲求は,快感をもたらす労働生産物を手にして初めて充足されると考えることにつながるが,その一方で人間の欲求には,労働過程を遂行する中で欲求が満たされていくという側面もある.後者のように,労働を欲求の充足過程と見る労働観をどう位置づけるか.

「第3節 価値形態論と限界原理」について

16頁では,効用ではなく限界効用の概念であれば,同質性としての価値に据えうるとされる.しかし限界効用は,効用と同様に測定可能性に欠け,価格を規定する量的概念としては不十分なのではないか.実際,新古典派ミクロ経済学においては序数的効用に基づく消費者理論の定式化が進んだ結果,限界効用概念を使わなくとも,限界代替率で以て効用関数が定義できるようになっている.このように新古典派でも消極化されてきた限界効用の概念を,敢えて価値論として据えることの意義が十分飲み込めない.

「第6節 いわゆる市場価値(生産価格)論と限界原理」について

24,25頁では,市場価値論において想定される複数の生産条件が,生産性の異なる無数の生産条件の連なりとして考えられている.新古典派の生産者理論では,冒頭部分で価格のわずかな変動に感応して生産量を変化させ利潤を最大化する主体が想定されており,生産性のちがいも微分可能な滑らかな曲線で表現されるが,もし固定資本を抱える主体をはじめに想定するなら,少なくとも固定資本に規定される生産条件については価格の変動に応じた円滑な変更は利かないから,生産条件のちがいは断絶的・段階的なものと捉える方が適切なように思える.とすれば,生産条件のちがいをどう設定するかは,生産者としてどういう主体を想定するかにかかわり,生産条件が複数あることと無数にあることは同一視できない問題をはらむのではないか.

ehara


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13