file2014年06月26日16時05分23秒.pdf

  • 「エネルギー」
  • 宇野原論における第4節 一般的法則へのクリティーク
  • 労働者家族

    「実際、労働力の生産に必要な生活資料の総額は「労働者の子供の生活資料を含む」(マルクス・向坂逸郎訳「資本論」ー、岩波文庫、二九九頁)といわれるように、労働者はむしろ配偶者や子供とともに賃金で生活していると考えていいだろう。そこでこのいわば自然的な愛情を基礎に相互扶養関係(市場が破壊できない関係)を結んでいる集団を家族と呼び、その生活の場を「家庭」(宇野弘蔵『経済政策論」弘文堂、 一九七一年、八O 頁)とよぶとすると、労働力はいわば家庭の中で生産されているといえよう。 宇野氏も「恐慌論の課題」(宇野弘蔵「マルクス経済学の諸問題』岩波書店、一九六九年、所収)という後年の論文では、「資本家的生産方法の発展」(同上書、四一四頁、引用は「著作集」4 より)は「労働の単純化と共に、少年、婦人の労働をも動員する」(同上)といい、また、「妻や子女の賃金を加えて一家の生活費となす」(向上)といっている。原理論では、無論、労働者の性別や年齢には立ち入らないし、また、過剰人口の生活状態について「原理的に規定しうることではない」(宇野弘蔵・梅本克己『社会科学と弁証法」岩波書店、一九七六年、二一一一頁)といわれるように、労働力の生産点にも立ち入らない。しかしここではそうしていない。一九世紀中葉のイギリスで、綿工業の発展にともない成年男子だけでなく婦人や少年も大量に賃労働者化し、彼らを構成員とするいわゆる「プロレタリアの家族」(エンゲルス・戸原四郎訳「家族・私有財産・国家の起源」岩波文庫、一九六五年、九五頁)が広範に登場したことを「基礎」にして、ヨリ具体的な指摘がなされているといえるだろう。 そこで本章でも、こうした歴史性をもった指摘を受けて、「妻や子女の賃金を加えて一家の生活費となす」ような 「家庭」が「プロレタリアの家族」の典型的で一般的な家庭であると想定しよう。そうすると、好況期に雇一用機会が増大すると、成人男子だけでなくその「妻」や「子女」の労働力も次々と動員されていくと考えていいだろう。ところが、労働力の商品化のすすんだそうした「家庭」はいわば相当空洞化していて、そこにおける潜在的な労働力の量や労働力の自然増殖の程度は小さいと見ることができよう。こうした中で、好況が進展し「プロレタリアの家族」の労働がますます動員されていくと、「家庭」が追加供給できる労働量はすぐに枯渇してくるであろう。」 121 file中村泰治.pdf


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13