「もう一つの商業資本論」のポイント

  1. 歴史的な例示と見なされてきた部分を理論的に読みなおす(原理論の拡張)
  2. 多型化(「もう一つ」:<型>論)
  3. 組織性の重視
  • 純粋資本主義論のワンパターンに対する拡張は慎重に進める必要がある。 彼らがそれには理論ができないといってくる問題に、理論ができると説得しなくてはならない。
  • やってはならないこと:ナマの現実を持ちこむこと
  • obataが、若い人にこういうことをけしかけているように言う人もいるが、 できるだけ問題を、抽象化し一般化して、絞りこんでいるつもり....
  • XX型とYY型という類型化では理論にならない。類型は比較をすれば、自ずとでてくること。歴史のほうでも、最近はみな、比較XX分析とかいって、類型化ならやっている。
  • 原理論で説明しても、外形的な類型区分になってしまうのでは、 発展段階論が、発展概念なき類型論になってしまう人と同じこと。
  • 両者ともに、<変容>が理論化できないのだ。変容の<結果>あるいは変容の<外観>が問題なのではなく、それを引きおこす内的な<契機>を明らかにすることがポイント。
  • たとえば、労働力商品化の困難には「熟練」もあるかもしれないが、「資本が生産できない商品」という点こそが核心だ、という人に対して、熟練の処理も重要だ、ということを理解させるには.....
  • 「熟練」とは何か、理論的な構造分析をしなくてはならない。商品論をこえる抽象度で!ただ、これもあるから、あるいは現象として重要だから.... 程度では、彼らの決まり文句「それは段階論の問題でしょう」で終わりになる。このあと、「イヤ、これも理論で...」といっても、まったく不生産的な水掛け論になるだけ。

外発転化型と内発転化型について

  • レポートの4.2
  • これは、突き詰めれば.....
  • 資本結合の問題になる。原理論でやるなら、抽象度を思い切り上げて、資本の基本概念のもとで資本結合を問いなおすことでしょう。個人資本 --> 産業資本 -> ... ->株式資本 というのに対して、資本の「仕様」から、個人資本と結合資本という、ともにメリットデメリットがある<実装>が発生することを説くこと。
  • こうした理論化抜きに、外発転化を後からいっても、「そういうのも、現実にはもう一つ(いや、もう一つも二つも三つも...)あるよね」で終わることになる。
  • 第4章「貨幣の資本への転化」は内発型、これに対して第24章「資本の原始的蓄積過程」は、外発型というのは解釈として無理。24章のどこを読んでも、商業資本が(商人資本が)小生者の群れを組織して資本になるのを手伝っているなんていう説明はない。

労働市場の組織者としての商業資本

  • なぜ組織化が必要になるのか、労働力を売買するということは、そもそもどういうことか、考える必要がある。外発転化論と同じことで、単なるパターン化では理論にならない。
  • たとえば、上で述べたような<熟練>の分析が必要。

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13