報告レジュメ

Remarks

小幡 2016-04-15 (金) 23:32:49

  • 冒頭のパラグラフは、古典派の富の概念では資本主義の富に概念は理解できないといったもの。
    Der Reichtum ... erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", ....
    • ポイントは、富が商品とした現れる ershceinen といっている点。X erscheint als Y.
    • つまり、資本主義以外の社会では、富は土地とか、穀物とか、財宝とか、物品財貨のかたちでそのまま、即物的に「富で《ある》」が、資本主義では「富が商品として《現れる》」のだというのです。
    • だから、資本主義における富について考えたいのなら、まず、財貨と商品を明確に区別することのできなかった古典派の価値論を批判し、商品という不思議な存在の分析からはじめなくてはならない、というのです。
    • これを、資本主義の富は商品「である」(「現れる」ではなく)と読んだのでは、マルクスの苦心も水の泡...
  • 第4パラグラフ冒頭の
    Die Nützlichkeit eines Dings macht es zum Gebrauchswert. 
    The utility of a thing makes it a use value.
    という文の意味がわかりません。
    • es(it)はDing(thing) を指すと解釈してよいでしょう。
    • モノと有用性と使用価値の関係が問題なんですが、「モノの有用性が、モノを使用価値にする matchen zu 」と読めるのです。「モノの性質が、そのモノ自体をなにかにつくりかえる make」 というのがよくわからないのです。
    • 「自分のある属性が、自分をなにか別の存在にする」とはどういうことか?「自分の怠惰な性格が、自分を怠け者にする」って、同義反復じゃないですか?
    • モノに対して、有用性が性質であるのはわかるのですが、使用価値のほうはモノの性質なのか、モノそのものなのか、ここがわからないところです。「モノが使用価値であるのは、有用性をもつからだ」というのならわかりますが、それにはどう読んだらよいのでしょうか。
    • それでも「モノが使用価値である」という文は、けっきょく使用価値はモノの性質ということになるのでしょう。「モノが使用価値である」というのは、「モノが使用価値という性質をもつ」の短縮表現。もしそうなら、けっきょく、有用性=使用価値=モノの性質ということになります。であれば、簡単に「モノの有用性を使用価値とよぶ」では、なぜいけないのでしょうか。

要 参照

  • 第1巻第1章については2010年に詳しい検討をおこなっている。今年度、同じところを読む以上、これを超える水準の議論をしないと意味がない。報告のまえに、ここを参照するとよいと思います。

添付ファイル: file塩見.pdf 251件 [詳細]

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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13