2004年10月31日(日曜日)

◆青才ゼミ次回(2004.11.5.)予定   大谷,29章,15頁〜。MEW.S.482〜 コメンテイター 29章部分(新井田) 30章部分(服部) [◆おそらくは,30章には入らないと思いますが。]

◆前回(2004.10.29.)問題点 等 (14)

目次 問(64)[2004.10.29.]  問[フラートンの「資本」の前貸とエンゲルスの「資本」の前貸] 問(65)[2004.10.29.]  問[流通の内・外と,銀行の「店舗の」外・内] 問(66)[2004.10.29.]  問[用語:バンカーズキャピタル,バンキング・キャピタル] 問(67)[2004.10.29.]  問[28章全体の位置づけ] 問(68)[2004.10.29.]  問[28章・29章から,宇野的な方向性を読む]

問(64)[2004.10.29.]  問[フラートンの「資本」の前貸とエンゲルスの「資本」の前貸] 大谷,28章,255-9頁,K.?,S.472-3,部分 [途中までは,詳細に書きかけたが,時間がかかるので,要点のみとする。] ・マルクスは,フラートンの規定における,貸し出した銀行業者の側から言って「資本の前貸」なのかどうかを問題にしているのに対し, エンゲルスの訂正,削除,長い6パラグラフの追加においては,受信側にとって,「資本の前貸」を受けたことになるか,ということを問題にしている。

問(65)[2004.10.29.]  問[流通の内・外と,銀行の「店舗の」外・内] 28章部分全体にかかわること ◆マルクスの(そして多くの論者の),流通手段としての貨幣と蓄蔵手段としての貨幣との区別は,流通の内にある貨幣,流通から引き上げられた貨幣,との区別とされていた。そして,私は,貨幣は常に誰かの金庫・ポケットのなかにあるが故に,このような流通の内・外の区別はナンセンスな区別と思っていた。そして,流通手段必要量とか,流通手段量がそれ以上になると蓄蔵貨幣としてプールされるとかいう議論は,ナンセンスな議論と思っていた。大谷,28章,255頁の「同行[イングランド銀行]の店舗の外にある銀行券は,流通していようと私人の金庫のなかに眠っていようと,同行自身に関していえば,全てCirculation[流通,銀行券市中残高]のなかにある。,すなわち同行自身の保有にはない。 」というマルクスの叙述を見ると,マルクスの貨幣論における,流通手段量の規定,貨幣数量説批判における発想は,この銀行内の準備と,銀行の外にある通貨(鋳貨+銀行券)との関連をその原型としたものであることがわかる。流通手段としての貨幣=後者,蓄蔵手段としての貨幣=前者,というような関係が成立する訳ではないが,発想,問題意識・課題という点に関しては,同質性がある。[◆従来から,当然のこととして,そう考えられていたのかも知れないが]

問(66)[2004.10.29.]  問[用語:バンカーズキャピタル,バンキング・キャピタル] 問(19)[2004.5.14.] 問[用語: バンキング・キャピタル,bankcapital,等々],と関連 問(44)[2004.6.11.]  問[意味解釈: 銀行業者資本,「資本を持たない人」] 問(60)[2004.10.15.]  問[フラートン(+トゥック)における資本] とも関係     また,次回にやる,大谷,29章,16〜17頁,で明確となること。

a.大谷,29章,16-17頁,を読むと,最も明確だが ・銀行資本(バンクキャピタル),銀行業者(の)資本,バンカーズキャピタル,とは,銀行の投下している資本の全体(資産) ・銀行業資本,バンキング・キャピタル,とは,銀行の「借入資本」であり, 預金,発券残高 ・故に,バンカーズキャピタル=債務(バンキング・キャピタル)+銀行の自己資本, b.フラートンの,銀行の資本を減らすような貸付とは,バンカーズキャピタルを減らすような貸 付,結局,準備の流出をもたらすような貸付ということになる。資産の部の準備と,債務の部の発券残高とが,同額,減少する訳である。預金の引出しが,銀行券でなされるならば,それは,債務内部での移動にすぎず,資本(バンカーズキャピタル)の減少 をもたらさない。 口頭で等,バンカーズキャピタルを銀行の自己資本,と言ったこと,預金+自己資本であるかの ように言ったことが,あるような気がするが, そして,その意味において,フラート ンの「資本」を減らすような貸付を問題にしたことがあるような気がするが,それ は,不正確であった。 c.また,上記bだとすると,フラートン的な意味での「資本」の貸付も,その貸付の時点において,これは,資本の貸付だ,いや,通貨の貸付だとかとは,言えないことになる,それは,銀行券の兌換,準備の流出,は,「貸付」ではなく返済であり,また,それは,結果的な事態でしかないからである。 d.資本の減少が起こる場合 銀行券の兌換(市中銀行の場合には,金,イングランド銀行によるそれ)だけではな く,貸し倒れの場合にもそうなる。貸し倒れは,銀行の利潤率の分子からのマイナスと捉えてもよいが,そこには入れず,資産の部の有価証券と,債務・資本の部の自己資本の,同額の減少と見做してもよいからである(勿論,当期未処分利益は,資本の部にあるが故に,どちらで計算しようと同じとなるが)。 同じく,「資本」の減少,といっても,銀行券の兌換の場合には,債務の減少となり,貸し倒れの場合には,自己資本の減少となるのである。

問(67)[2004.10.29.]  問[28章全体の位置づけ] 問(60)[2004.10.15.]  問[フラートン(+トゥック)における資本] と関係 ・吉村氏から,マルクスが自分独自の「資本」概念を立て,その立場から,銀行学派の,通貨・資本の規定を批判していることに対し,景気循環の実際の動き等に対する内容的な批判ではないので,意味がない,という感想が寄せられた。私は,概念とは,事態を分析・把握するための道具・装置であると考えるが故に,そうは思わないが。 ◆この点は,以下の,問(68)とも関連

問(68)[2004.10.29.]  問[28章・29章から,宇野的な方向性を読む] 問(60)[2004.10.15.]  問[フラートン(+トゥック)における資本] と関係 問(67)[2004.10.29.]  問[28章全体の位置づけ]  と関係 また,29章部分の,擬制資本(利子生み証券)と,関係 a.以下,宇野的な方向性をぎりぎり読み込むことにしよう。 b.再掲,問(60)[2004.10.15.]  問[フラートン(+トゥック)における資本]の4 「 4.[マルクスの言辞によれば,]ツゥック等による[通貨と資本との]区別は,「収入の貨幣形態」と「資本の貨幣形態」との区別でしかない,「流通手段」と「支払手段」との区別でしかない,対外金流出(銀行の準備を減らす,フラートンにとっては「資本」の貸付)も,「資本問題」ではなく「一つの独自な機能における貨幣[世界貨幣]の問題だとはいえ,とにかく貨幣の問題」(大谷,28章,246頁)等々。」 結局,マルクスは,28章における銀行学派の,通貨と資本の規定の批判を通じ,銀行における与信それ自体において,「資本」を貸すという言い回しは成立しえない,と言っていると「読み込める」。金流出も,フラートンにとっても,結果的に「資本」の貸付であるに過ぎず(参照,問(66)のc),資本を貸すという,言い回しは,成立しないのである。 このことから,我々は,21〜24章部分の,マルクスの展開,資本の貸付,資本の商品化としての貸付論,は,事実上,否定されている,と,いうことができる。存在するのは,貨幣の貸付(宇野的には,資金の貸付・融通)のみである。 c.29章部分 定期的収入の利子率での「資本」還元による擬制資本が問題とされている。 宇野の,「それ自身に利子を生むものとしての資本」が問題にされていると言って よい。 1.マルクスにおいても,moneyed Capital[内容的には資金]の貸付という表現は成 立するとしても,利子生み資本の貸付という表現は成立しえない。運動体としての資本,というマルクスの資本規定の意義を考えるならば,そもそも,マルクスにおいて,資本を貸付るとか,monied capitalistから,機能資本家に運動体としての資本を売るとかいう表現(概念相互の関連)は,成立しえないのである。 2.29章の展開を読むと,宇野が,商業資本論において述べた,「それ自身に利子を生む ものとしての資本」も, 川合氏が,前期山口氏が述べたように,擬制資本との関連で,始めて成立するものと考えるべきだろう。 d.宇野の信用論は,25〜35章的な内容により,21〜24章的な規定を批判・再編するという点に,その意義があったと言ってよい。それは,1)商業信用→銀行信用,という展開といってよいが,2)同時に,概念的問題としては,28・29章的内容によって,マルクスの利子論前半の,資本の商品化概念,利子生み資本概念の批判を意味していた。 このことは,実際に,宇野信用論の生成において,利子論後半(とりあえずは,28・29章)を読むことによって,マルクス利子生み資本論のリストラのヒントを得たことを意味するように思える。

2004年11月13日(土曜日)

青才ゼミ: 次回(11.19.)の予定,&,前回(11.5.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2004.11.19.)予定   大谷,29章,32頁〜,Ms.338上〜 コメンテイター 29章部分(新井田) 30章部分(服部) 31章部分(結城) [◆ほぼ確実に,次回は,31章には入らないと思いますが。]

◆前回(2004.10.29.)問題点 等 (15)

目次 問(69)[2004.11.5.]  問[「手形は利子生み証券ではないのか」] 問(70)[2004.11.5.]  問[「収入として支出されない」?] 問(71)[2004.11.5.]  問[「剰余価値の所有権限は資本と区別すべきか」] 問(72)[2004.11.5.]  問[現実資本と実物資本] 問(72)[2004.11.5.]  問[貸付資本概念の否定と,それ自身に利子を生むものとしての資本]

問(69)[2004.11.5.]  問[「手形は利子生み証券ではないのか」] ◆参照,新井田:29章レジュメ (1)大谷,29章,15頁〜,を見ると,マルクスは,手形と利子生み証券とを区別しているようである。だが,その区別は,概念的区別というよりも,28章後半で述べていたように,利子生み資本は,広い意味での準備??すなわち,金属準備,他行の銀行券とならび,購買によって,現金準備に転換することができる点において,広い意味での準備??であるという点にあるようである。 [◆だが,何方かが言ったように,国債等であれば別だが,株式等は,購買によって現金を獲得できるといっても,不確かなものである。また,再割引の存在を考えると,手形も,現金準備に代替することができる,という問題もある。その意味では,この,準備になるかどうかという区別は,相対的な面を残すようである。] (2)大谷,29章,32-3頁のパラグラフでは,前半は,利子生み証券と手形を区別しているが,後半では,「貨幣の貸し手にとっては,この手形は,この手形は利子生み証券である。すなわち,彼は,それを買うときに満期までの残存期間の利子を差し引く。」と言っている。 a.この「貨幣の貸し手」は,当該部分についている註(ソーントン)との関連において,商業信用における与信者,とも考え得るが,その「彼」が,手形を割り引いているのだから,服部さんが言ったように,銀行業者,と考えるべきだろう。 b.だが,このマルクスの規定から,手形も,利子生み証券だと,我々としてもいうべきなのだろうか。私は,やはり,利子生み証券という用語は,擬制資本化され,(擬制)資本市場で売買されうるものに限定すべきではないか,と思う。

問(70)[2004.11.5.]  問[「収入として支出されない」?] ◆新井田氏の,29章レジュメ ゼミでの議論では,新井田氏の疑問そのものには,答えていなかったようだ。 問題は,マルクス(彼だけではないが)の,「収入」という用語の特殊な使用法にある。 一般に収入というと,収益(例えば,企業の売上額等)も含むものである。だが,この場合,??マルクスにおいては,ほとんどこの使用法だと思えるが,??トゥック,の資本の流通(商業流通)と,収入の流通(一般流通)との区別等の用語に見られるように,収入として支出とは,「消費として支出」という意味である。 [◆当該問題との関連で考えると,我々は,「収入」という用語を安易に使わないようにした方が良い気がする。まずは,その原義から言って,マルクス的な用語法に則った場合にも,収入とは,資本の還流ではないところの「入」金であり,賃金,利潤,地代,利子,を意味するものである。例えば,その収入としての利潤は,一部,資本に再投下され,一部,資本家の個人的消費のために支出される。そして,マルクスは,この後者のみを,「収入の支出」という訳であるが,それは,収入範疇の拡大適用である。]

問(71)[2004.11.5.]  問[「剰余価値の所有権限は資本と区別すべきか」] ◆参照,新井田氏の29章レジュメ ◆大谷,29章,27頁 a.A・B(株式の販売者)は,「自分の権限を資本に転化」,C(株式の購入者)は,「自分の資本を……所有権限に転化」 ここで言っている「資本」は,まずは,「利子生み資本」と考えられるが,大谷,29章,21頁の「彼[国債購入者]の資本は利子生み資本として投下されている」という文の,「資本」に相当する用語なので,我々的にいうと「資金」,マルクス的にいうとmonied Capitalと考えるべきだろう。 b.大谷,29章,26頁,「この[結合資本]に対する所有権を表わす証券である株式」 1.マルクスにおいても,国債等の債券と,現実資本に対する所有証書である株式と は,一応区別されている。 2.だが,後者を,私的にいうと,マルクスは「資金運用者」の視点のみで見ているので,剰余価値に対する所有権限,配当請求権に一面化し,利子生み証券として同一視している。 c.上記aの「資本」をmonied Capitalと捉えた場合にも,マルクスのmonied Capitalが非常に曖昧かつ広い概念なので,もともとの,新井田氏の問題提起に対する答えにはならない,気がする。 マルクス解釈としてではなく,私(青才)的な用語規定からすると,事態は,マルクスとは逆に,次のように表現さるべきだろう。 株を売った人は,現実資本に対する所有権を手放し??資本を売り??,資金を回収する。株を買う人は,資金を資本として投下??資本結合に参与??する,と。

問(72)[2004.11.5.]  問[現実資本と実物資本] ◆以前に問題点に挙げたことがある。 上記問(71)のbと関連して,確認すべきこと。 (1)マルクスは,株式資本・株式会社を問題にする場合には,株式会社の自己資本,現実に投下されている自己資本を,現実(的)wirklich資本,と読んでいる。 それに対し,30章の表題「現実資本と貨幣資本」等における,現実資本は,マルクス草稿では,実物資本(リアルcapital)であり,それは,投下資本の内の,商品資本と生産的資本,であり,貨幣資本を含まない。 (2)問題は二つある。 1.一つは,マルクスの原義はそうだとして,我々としては,景気循環における現実資本??利潤率,と,(貸付)資金??利子率,の運動を問題にする際に,前者の,現実資本を,マルクスのように,実物資本と考えるべきか,どうか,という点にある。 2.もう一つは,投下総資本と自己資本との区別にある。景気循環における,資本量と資金量,という場合に問題になる資本は,自己資本量ではなく,投下総資本量(=資産額)である。[◆新井田氏の,29章レジュメでの,「資本と資産とが分けられてないような気がする」という疑問提起も,このへんの問題に関連するようだ。] 問(72)[2004.11.5.]  問[貸付資本概念の否定と,それ自身に利子を生むものとしての資本] 問(68)[2004.10.29.]  問[28章・29章から,宇野的な方向性を読む]の再論 (イ)問(68)の,cの2の再掲 「2.29章の展開を読むと,宇野が,商業資本論において述べた,「それ自身に利子を生む ものとしての資本」も, 川合氏が,前期山口氏が述べたように,擬制資本との関連で,始めて成立するものと考えるべきだろう。」 (ロ)アオサイは,(以前の)小幡説から学び,貨幣貸付??利子,関係を,資本という範疇の下において捉えるべきではないと思っている。それ故に,マルクスの利子生み資本,monied Capital,宇野の金貸資本,貸付資本,等の概念は成立しえない,と思っている。(青才「資金と資本(上)」参照) だが,一方で,上記(イ)で述べたように,擬制資本との関連において,「それ自身に利子を生むものとしての資本」という「資本」概念が成立する,とすべきだとしている。 原理論で,最後まで,資金??利子,関連があるのみで,「資本」??利子,ということは問題にならない,と,一貫して述べた方がすっきりするが,だが,実際に,「利子を生む資本」と「観念」は存在するので,その「観念」の成立を説くべきだと考えるからである。 (ハ)上記(ロ)後段について,は,参照,青才報告,「東大院小幡ゼミ(2002.5.31.)貨幣章・資本章−−資本概念と資金概念との関連において−−」 当該報告(9)再掲 「(9)それ自身に利子を生むものとしての資本,の概念 ・宇野 商業資本の倒錯性→利潤の質的分割→それ自身に利子を生むものとしての資 本, ・この展開は,多くの論者(岩田,山口)から批判された。 ・初期山口[註a],若干の留保を残しつつも,川合一郎に学び,資本結合(株式資本)成立の後 に,資本-利子,関係,擬制資本の,成立を説く。   実際には,資本投下−−利潤,貨幣(資金)貸付−−利子,の関係しかない。 だが,資本証券[株式]を所有し,利子程度の配当を取得する経済主体からは,両者の 交錯,資本-利子,という交錯が生じる。配当を利子率で「資本」還元しての「擬制資本」の成立。 ◆この場合,二度の擬制化があることになる。まず第一には,本当は資本でない,「それ自身に利子を生むものとしての資本」,の成立,という資本範疇それ自身における「擬制」[◆利子生み資本,貸付資本,という概念を認める場合には,この意味での,「擬制」はない。]。第二に,定期的収入を,その擬制「資本」の利子だと「擬制」する,「資本」還元における「擬制」」

註a 上記の山口説を,初期山口説と呼ぶのは,改定(4度の??)を重ねた『現代金融の理論』において,最初の内は,上記の,擬制資本の成立を問題としていたが,次第に,擬制資本という用語も用いなくなり,また,資本還元,という言い回しもしなくなった,が故である。

2004年11月14日(日曜日)

☆小幡説 Date: Sat, 6 Nov 2004 09:56:08 +0900 From: 小幡 道昭 <obata@e.u-tokyo.ac.jp> Subject: [genron:00041] 「価値の切目」と「生産過程の流通過程化」 To: genron@georg.e.u-tokyo.ac.jp ☆同文のもの, 東大大学院HP 「obata > 論文コメント > 勝村務? > 「価値の切目」について」に掲載

◆まず,小生産者も資本家という小幡説の再掲 「-が、なかなか、決断がつかなかったのは、いわゆる小生産者の位置づけです。労働 力商品を購入することなく、自己労働で生産をおこなうような、街の靴屋 とかパン屋とかは資本ではない、というのは、呪縛だったのではないか、という気が してきました。マニュファクチュアだって立派な資本主義だというのは、 最近とくに分業論などやりながら、考えてきたのですが、小生産者は資本ではない、 という固定観念にまでは、なかなか反省が及びませんでした。昨日も賛成 する人は皆無でしたが、私自身はここまで資本に含めていいということになりそうで す。演繹的にそうなるという意味ですが、その理論的な含意も説明で[き]そう です。要するに、資本の一般的定式を基準に考えると、流通形態としての資本とその 外部に広がる世界との<重合>形式には、少なくとも<変容論>的アプ ローチなら<理論的に>多様な形態が分析可能になる、というように思っています。 aosaiさん、どうでしょうか?」

◆以下,検討,批判 最後の「aosaiさん、どうでしょうか?」の挑発に乗り,私の考えを述べます。

(1)まずは,形式的なことから。 小幡氏は,「流通形態としての資本とその外部に広がる世界[当該部分では,生産]との <重合>形式」の一つとして,小生産があり,その意味で,小生産も,資本の運動だと言 われています。ですが,その展開自身,自説解体的とはなっていないでしょうか。 1.流通形態としての資本の範式は,資本の一般的定式は,G??W??G’です。 そして,マニュファクチュアが産業資本であることは当然のこととして,問屋制工業 も,資本です。だが,小生産は,資本と言えるでしょうか。 問屋制は, G−−W−−W’−−G’ であり,Wを買い,それと使用価値が異なる W’を売って,剰余価値を獲得しているのだから,G??W??G’という資本の運動 の変形に過ぎません。勝村氏的に言うと,Wの内の「切れ目」にWのW’への転換過程 が「狭込」された,と言ってよいでしょう。 なお,この場合のWは,生産手段(原料等)と,「加工という有用効果」からなります。 問屋は,投入としてのWと産出としてのW’との価格差を,剰余価値として取得してい る訳です。そして,WもW’も,G−−W−−W’−−G’という運動の内にある訳で す。 2.小生産の場合にはどうでしょうか。 そこでは,商品生産がなされています。そして,生産手段は,外部から商品として購入 されるでしょう。その点だけを見ると,小生産も,G−−W−−W’−−G’であるか のように,また,W…………W’は,生産なので,G−−W−P−W’−−G’であるか のように見えるでしょう。だが,小生産の場合には,Wは,生産手段のみであり,労働力 商品の購入はなされていません。労働力は,そして,労働は,G??W??G’の運動の そとにある訳です。問屋制の場合には,生産それ自体は資本の運動の外にある(農家の 家内工業として等)としても,加工という有用効果の購入という形で,生産手段の生産物 への加工過程を資本の運動の内に包摂しています。ですが,小生産の場合には,そう なっていないのです。 小生産を,G??W??G’,と,見做すためには,以下の二つの過てる仮定が必要とな ります。 一つは,小生産者は,自己の労働力を自己自身に商品として売っているという擬制で す。この擬制は,資本・賃労働関係が支配的になれば,成立する「擬制」であるとして も,飽くまでも擬制にすぎません。このような擬制に依拠するとすれば,縄文時代の 人々も,自己の労働力を自己に商品として売っていた,とでも,新古典派的にいうことに なってしまうでしょう。 二つ目は,小生産者の生活手段を,小生産者はそれを商品として買うのだから,G−−W −P−W’−−G’のWのなかに入っていると,見る場合です。この見方は,産業資本 においても,労働力ではなく,労働者の生活手段をWのなかに入れることになるが故に, また,生活手段の購入→労働力の再生産,を,資本の運動の内に入れることになるが故 に,謬見と言わざるをえないでしょう。 3.資本の一般的定式は,G??W??G’である,資本は,「価値の形態変換(姿態変換メ タモルホーゼではなく,形態変換ホルムベクセル)を通じて,自己増殖する価値の運動体」である。 私は,この資本規定を固守すべきと思っています。 商人資本(私は,流通形態論では,同一商品価格差利用資本,といいますが)の場合には, 購入商品の価値が,最初の資本価値のなかに入っています。また,問屋制の場合にも,原 料などの生産手段と「加工という有用効果」の価値とが,最初の投下資本価値のなかに 入っています。だが,小生産の場合には,生活手段の価値が,Wの価値として問題になる だけで, あり,範式で表現すると,      A…………−+           | G?? W………… −+ W??G’      であって,労働力はそして,労働も,G??W??G’の内に入っていない,と言わざる をえない。 小生産においても,剰余価値が得られることがあるでしょう。(生産手段の価値+労働 者の生活手段の価値)<生産物の価値,であれば,そうなります。ですが,それは,投下さ れた資本価値が増殖した訳ではないのです。 4.総じて,流通浸透視角に則ればそうであるように,G??W??G’が生産と重合す るという論点に依拠すればするほど,小生産は,資本の運動の内に生産を包摂・重合し たものではないことが,明らかになるのである。小生産の場合の労働は,そして生産は, 資本の「流通」に入っていないからである。

(2)参考のために,以下,私の信大での原論の講義ノート,をコピーする。 「?異種商品間の価格差を利用 さらに,資本は,異なる商品の間の価格差の取得を目指す。 (例えば,綿花と綿糸との間の,価格差から剰余価値を得ようとする) ・G−−W・W’−−G’  Wを買い,これをW’に変えて売る。

 WとW’とは使用価値が異なるのだから,WをW’に変えるためには,  生産がなされなければならない。   その生産を,外で行う場合(問屋制家内工業)    G−−W−−W’−−G’     W 生産手段(労働手段,原料,)+ 加工という有用効果(生産を委 託))   その生産を資本の運動の内で行う場合 ・G−−W−−P−−W’−−G’     [P−−Produktion] そのためには, Wの内に, 労働力と生産手段とを含まねばならない。 (労働者を雇う) ・     A G−−W{Pm−P−−W’−−G’

  A−−Arbeitskraft Pm−− Produktionsmittel このような運動をする資本を産業資本という 産業資本とは,G−−W−−G’という運動の内に,生産を包摂したもの。 流通や,生産つかんで総過程 (◆註a))  流通や,生産つかんで産業資本   流通形態としての資本,G−−W−−G’が,生産をつかむ  流通や,労働力つかんで産業資本(資本主義)   労働力の商品化−−資本主義の本質 特殊歴史的な「形態」としての「流通」が,あらゆる社会に共通な「実体」としての 「生産」を包摂した点に,資本主義の「本質」がある。(◆註b)) 」

今日(2004.11.13)の追加 註a)この,「流通や,生産つかんで総過程」という俳句の著作権は,「や,」が「切れ 字」で,「流通や」で流通形態論と生産論とは「切れ」る,ということも含め,小幡氏に あります。私も,講義の際,「私の友人が」と述べ,その著作権のありどころを表明して おります。 註b)「形態」「実体」「本質」の関連は,宇野さんが,言っていることです。

◆元々は,詳論をと思っていたのですが,上記(1)で結構時間を使ったので,以下,問題点 の提起のみとします。 (3)流通浸透視角と,本源的蓄積論 1.宇野さんの「歴史」把握は,大塚久雄氏の「中間層の競争による両極分解による 資本主義の成立」という,商品経済史観の批判にあった。本源的蓄積の強調ということ もこの点に関連する。 2.出自論にこだわっている訳ではないが,宇野さんと大塚さんとの,対立は,商人資 本の産業資本への転化への道と,小生産者の産業資本家への上昇の道との対立にあっ た。   3.上記2からは,宇野自身,流通浸透視角を有していたと言ってよい。問題は,流通浸 透視角は,即,本源的蓄積の重視の否定を意味するのか,という点にある。 「流通浸透」としての,商人資本の問屋制としての展開が,その展開自身において, 産業資本の成立を意味するとすれば,「流通浸透視角」で問題は終われり,ということ になる。ウェーバー,大塚のように,問屋制のもとでは職人は,「賃仕事」(加工という 有用効果の販売)で,次第に,職人は,労働手段を奪われ,労働力を売り「賃労働」をする ようになる,労働手段からの生産手段の分離は,問屋制の下での加工委託者の賃労働者 への転化が主軸をなす,というのであれば,農奴(正確には隷農)からの生産手段(特に農 地)からの分離(従来問題にされてきた本源的蓄積)は,どうでもよいことになるだろ う。だが,商人資本のマニュファクチュア経営,問屋制のマニュファクチュアへの転化 は,部分的に生じてきた労働力の商品化,本源的蓄積を「前提」するのであって,問屋制 から産業資本への自生的展開ではないように思える。 4.「商人資本のマニュファクチュア経営,問屋制のマニュファクチュアへの転化は, 部分的に生じてきた労働力の商品化,本源的蓄積を「前提」する」という点に関連し て。 私は,西洋経済史の通説では封建制の「確立」と位置づけられている,古典荘園(領主直 営地の比重大,領主直営地での耕作賦役の比重大)から純粋荘園(領主直営地の農奴への 分与,現物貢納・貨幣貢納の比重大,中世の農奴解放=農奴の隷農への転化)への移行 を,封建制の「解体」の開始,本源的蓄積の開始,「目立たないエンクロージャー」の開 始,と位置づけている。 (4)流通浸透視角と,小生産 「流通浸透視角」は,商人資本の問屋制を通じての生産との「重合」,さらには,労働 力商品化を「前提」しての商人資本の産業資本(マニュファクチュアも産業資本)への 転化という点にあるのであって,商人資本の小生産者への転化にあるのではないのでは ないか。 江戸時代の農民,職人が,商品経済の浸透・拡大とともに,商品生産者,小生産者とな るのであって,また,その一部が,部分的な本源的蓄積を「前提」に産業資本に転化し, 他の一部が,流通に専業化し商人資本になるのであって,商人資本が,小生産者に??農 民に職人に??なる,ということは,基本的な筋ではないと,言わざるを得ない。 商人資本の「自営業者」への転化の道は,純粋論理的な「演繹」としては仮想しうる としても,現実の論理ではない気がする。

2004年11月23日(火曜日)

青才ゼミ: 次回(11.26.)の予定,&,前回(11.19.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2004.11.26.)予定   大谷,30章,152頁〜,MEGA.S.531〜 コメンテイター 30章部分(服部) 31章部分(結城)

◆前回(2004.11.19.)問題点 等 (16)

目次 問(74)[2004.11.19.]  問[貨幣資本等,諸用語について] 問(75)[2004.11.19.]  問[資本の過多(プレトラ)について] 問(76)[2004.11.19.]  問[船荷証券の価値,売買]

問(74)[2004.11.19.]  問[貨幣資本等,諸用語について] ・ 以前に問題 問(7)[2004.4.23.]  問[用語: monied capital] 問(12)[2004.5.7.] 問[「貸付可能な資本」という表現の問題,資本・資金概念について] 問(40)[2004.6.4.]  問[用語等: マルクス草稿における,貸付資本,moneyed Capital] 沖氏から,大谷,30-32章,での大谷さんの貨幣資本に関する指摘に対する言及があったので,そろそろ,諸用語について,まとめて,考えておきましょう。 ◆問題になるのは,貨幣資本(Geldcapital),monied Capital,利子生み資本,貸付資本,貸付可能な資本,です。 (1)まず,マルクスの使用例,エンゲルスによる変更 (書誌学的なこと) 参照,大谷,30-32章,62頁,65頁,83頁 ・「?」(30-32章)で,monied Capital(moneyed Capital)は,122回 ・「?」で,Geldcapitalは,13回 ・「?」で,やや,独自の,money Capita 2回 ・エンゲルスは,monied Capitalの一部を,Geldkapital(以下マルクス表記のGeldcapitalと,エンゲルス表記のGeldkapitalとの相違は無視する)に,大部分を,貸付資本(Leihkapital)に変更 ・Leihkapital(貸付資本) という用語を, マルクスは, 第五章では, 一度も使っていない。 ・貸付られた資本,貸付られる資本,を,エンゲルスは,貸付資本に,変更 ・「?」(大谷,30-32章において,貸付可能な資本 15回 「?」において,貸付可能なmonied Capital,13回 [◆なお,貸付可能な資本,と,貸付可能なmonied Capital,は,同義]

(2)貨幣資本(Geldcapital)[◆以下,大谷,30-32章,59-97頁を参考とするが,あくまでも参考。大谷の論述そのものを読むと,混乱する面もある。) a.大谷,75頁。 川波(『貨幣資本と現実資本』)の規定との関連において (1)産業資本の循環の一形態としての貨幣資本(Geldcapital) (2)利子生み資本としてのmonied Capital [◆利子生み資本とmoneyed Capitalとの関 連については,後掲] (3)貨幣財産としての貨幣資本→Geldcapital [川波はこれを重視] [78頁 大谷, 「なんらかの意味において貨幣形態における資本 」が貨幣資本 故に,川波の(1)〜(3)を,貨幣資本と言う。] [◆川波との論争という意味では,大谷の方が正しいといっていいだろう。 そして,マルクスは,(1)と(2)の区別等の場合には,〜〜の貨幣資本と,利子生み資本としてのmonied Capital,との区別,等の言い方をする,ということであろう。] b.貨幣財産 1. 他にもあるかも知れないが,30章,第3パラグラフ,の冒頭で,マルクスは,「貨幣財産ゲルトフェアメーゲンの蓄積」(大谷,30-32章,148頁)と言う。 2.その直後では,擬制資本(利子生み証券)が問題にされている。 [金融資産という用語に近い。元々,マルクスの『要綱』の最初のプランで出てくる貨幣市場,も,金融市場(国債,株式等を含む)という意味。その意味では,金融という用語の登場はいつかということが問題となる。] 3.だが,そのあと, マルクスは,(大谷,30-32章,154頁)で, 貨幣資本を,有価証券,利子生み証券としての,貨幣資本と,貸付可能なmoneyed Capitalとしての貨幣資本(貨幣形態にある資本)とに区別する。そして,以後,後者を問題にする。 4.以上を踏まえると,30章,第1パラグラフの,「本来の貨幣資本の蓄積」は,以下の意味と考えられる。 貨幣資本の蓄積,という場合の「貨幣資本Geldcapital」は,有価証券の価値(特に,擬制資本価額),+,貸付可能なmoneyed Capital,であり, 「本来の」という形容詞がつく,「本来の貨幣資本」とは,後者のみ,貸付可能なmoneyed Capital を意味する,ということになる。]

(3)利子生み資本と,monied Capital a.大谷は,利子生み資本と,monied Capitalとを,抽象と具体,との関係として位置づけている。69頁「信用制度下の「利子生み資本」の具体的形態」がmoneyed Capital。 [このへんの大谷の論述の裏には,三宅の,前半利子生み資本論,後半信用制度論,という,説に対する,批判,という思いがある。] b.だが,大谷,93頁では, monied Capitalは,貸付可能なmonied Capitalよりも,広い概念であるとしている。「準備ファンドとして保有するmonied Capital」25章) 「monied Capitalのうちの,もしそうでなかったならば準備ファンドとして眠っているはずの部分が利子生み資本として機能する,つまり貸し出される。」(25章) c.[◆私見 1.利子生み資本,という場合の,抽象的,というイメージの一つは,それは,固定資本の貸付等も含む,というイメージではないだろうか。 マルクスの利子生み資本概念は,貨幣の貸付??利子,関係を抽象の基礎,として成立したものだが,マルクスは,固定資本の貸付??(減価償却分+)利子を伴っての返済, も,利子生み資本範疇で捉えた可能性がある。 2.それから,利子生み資本には,G……G’,という運動を経て,貨幣に復帰する資本,というイメージがある。利子生み資本が貸付られるとか,という言い回し(概念相互の連関)は成立せず,貨幣(moneyed Capital)が貸付られ,利子を伴って復帰するものとして,利子生み資本である。 3.だが,利子生み資本が,その運動における特定の定在そのものにおいて捉えられる場合も,ある。その場合には,利子生み資本=moneyed Capital,と表現される。 貨幣形態にある産業資本を,その定在において,産業資本という場合があるように,G……G’,のGとしてのmonied Capitalを,,利子生み資本,という訳である。 4.monied Capitalは,その定在として貨幣形態にある貨幣 [一般用語としては,その当時,常に金融用語として用いられていたようである。 monied capitalist,monied interest等も ] moneyed Capital= 準備ファンド,+,貸付可能なmoneyed Capital ◆結局,moneyed Capitalは,宇野的な意味での,資金,に対応するといってよい。] (5)貸付資本Leihkapital 1.エンゲルスが,Leihkapital,としたものは,moneyed Capital,貸付られた資本,貸付られる資本,であり,「貸付られた資本」等の場合のその「資本」は,moneyed Capitalという意味での資本なので,エンゲルスの用語法における,Leihkapital概念には,貸付??利子を伴っての復帰,する運動体として貸付資本,という意味はない,と言わざるをえない。◆我々としては,moneyed Capital=資金,という規定を踏まえ,Leihkapital=貸付資金,と言えばよい,という話になる。 2.宇野の場合, a.宇野の場合,マルクスの利子生み資本を二つに分け,イ.G……G’としてのそれ,と,ロ.宇野特有の概念である「それ自身に利子を生むものとしての資本」,とに区分。 b.そして,上記ロに対してのみ,利子生み資本,という用語を割り振り,イは貸付資本と呼ぶ。 c.その結果,宇野の貸付資本概念には,マルクスのイの意味での利子生み資本に対応する,G……G’としての,貸付資本と,エンゲルスの貸付資本に対応する,貸付可能なmoneyed Capital(我々的には,貸付資金)との双方が含まれることになったようである。

問(75)[2004.11.19.]  問[資本の過多(プレトラ)について] (1)大谷,30-32章,146頁(30章,第1パラグラフ)の「いわゆる資本のプレトラ(この表現は,常に貨幣資本monied Capitalについて用いられるものである。)」という叙述,さらに,その直後の,エンゲルスの訂正なった文書「monied Capitalの[◆このプレトラ,この◆エンゲルス挿入]過剰供給は,…… 」から,資本のプレトラとは,monied Capitalの過剰供給,利子率低,投機をまたらす,好況末期の事態を(それ故に,恐慌の前段を)なす,と,考えてきた。 (2)だが,K.?,15章で問題となる,資本の過剰の原語は,資本のプレトラ,である。 (3)Th.?,17章,「利潤の蓄積論」,7 (MEW.S.497-499) ここでの,資本の過多(プレトラ)は,産業資本(現実資本)の過剰のこと 他方,資本のプレトラ,という「フラートンによって主張され」と言っているので,元々は,信用関連の用語として生まれたもののようである。 (4)検討されるべきは,以下の点にある。 1.これ以後(30章以後),資本の過多は,どういう意味で使われているかの検討。 2.現実資本の過多と,monied Capitalの過多,との関連を考えようとしていた,と考 えるべきか。[マルクスは,世人においては,資本概念の混乱から,資本の過多という用語で,全く別のものが問題にされている,という視角で,資本の過多ということを問題としている] 3.マルクスにおいては,資本の過多は,現実資本の過多の方に,その勝義の意味があるのだが, 「いわゆる資本のプレトラ(この表現は,常に貨幣資本monied Capitalについて用いられるものである。)」の「いわゆる」に注目し,世人は,資本概念に対する混乱があるので,monied Capitalの過多を方を,問題にしている,と言っている,と読む,方向。

問(76)[2004.11.19.]  問[船荷証券の価値,売買] 大谷,30-32章,151頁 服部さんから,現在の通常の取引においては,「船荷証券」は,銀行から外国の銀行(または,コルレル先)に送られるのであって,「船荷証券」が売買され,船荷そのものと別の価値を持つ,ということは,ないのではないか,と指摘。

2004年11月27日(土曜日)

青才ゼミ: 次回(12.3.)の予定,&,前回(11.26.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2004.12.3.)予定   大谷,30章,177頁〜,MEGA.S.537〜 コメンテイター 30章部分(服部) 31章部分(結城) ◆今後の予定については,別掲

◆前回(2004.11.26.)問題点 等 (17)

目次 問(77)[2004.11.26.]  問[30章,マルクス草稿とエンゲルス現行版] 問(78)[2004.11.26.]  問[moneyed Capitalの「実際の減少」,浮動資本] 問(79)[2004.11.26.]  問[イングランド銀行券の額面] 問(80)[2004.11.26.]  問[生産的資本と産業資本]

問(77)[2004.11.26.]  問[30章,マルクス草稿とエンゲルス現行版] マルクス草稿とエンゲルス現行版との違いに注意 1)マルクスの商業信用に関しての叙述(大谷,30-32章,171-188頁)を,エンゲルスは, 前に持ってきている。 ・ここで,マルクスは,始めて,現在我々が言っているような意味で,商業信用という用語を用いている。 ・利子論後半で,マルクスが信用を問題にする際,その殆どが,我々のいう銀行信用を問題にしていたのだが,ここで始めて,商業信用を問題にしている。 2)monied Capitalの不足に関するマルクスの長い註(大谷,30-32章,158-165頁)を,エンゲルスは,本文に格上げしている。 3)「通貨の速度の調整者としての信用」(大谷,30-32章,165-171頁,MEGA.S.533-35)を,エンゲルスは,33章冒頭に移動させている。 ・当該部分のマルクスの叙述は,マルクスが,その直後で,商業信用を叙述する理由をなしたと考えられる。

問(78)[2004.11.26.]  問[moneyed Capitalの「実際の減少」,浮動資本] 大谷,30-32章,159-160頁 a)ここで,マルクスは,moneyed Capitalの「不足」ではなく,「実際の減少」(絶対的 な減少)を問題にしていると思われる。 b)当該部分における,浮動資本の意味。 被引用者の「浮動資本」,マルクスの流通資本の内のmoneyed Capitalとしてのそ れ,固定資本に対置された流動資本としてのそれ[これは,ない,とも考えられるが], とが,混在してものになっているようだ。 ◆なお,マルクスは,最後まで,生産的資本に対置される流通資本(貨幣資本と商品資本)[私は,流通資本に対置されるものは,生産的資本ではなく生産資本と呼びたいが]と,固定資本と対置される流動資本とを用語上区別していない。前者に対し,流通資本という用語を造語したのは,エンゲルス。

問(79)[2004.11.26.]  問[イングランド銀行券の額面] 大谷,30-32章,169頁の表 1)マルクスは,ここでは,信用の媒介により,銀行券の流通速度が増大したことを指摘 2)だか,他のことも読める a)額面が大であるほど,銀行への還流は早い b)1000£銀行券という,とてつもなく巨額の銀行券もあったのだ。

問(80)[2004.11.26.]  問[生産的資本と産業資本] ◆次回の「読解」のために 1)マルクスは,この当時,産業資本という用語を用いないで,後の産業資本を生産的資本と言っていた。 2)それ故に,エンゲルスは,生産的資本の多くを,産業資本に変更。 3)だが,moneyed Capitalとリアル・キャピタルとの関連を問題にする場合,マルクスは,多くの場合,moneyed Capitalの量と,生産的資本の量(生産的資本の過剰は,商品資本の過剰を当然意味するとして)との関連として問題にしている。その場合の生産的資本を,エンゲルス現行版では,産業資本と表記している訳である。◆私は,この言い換えが,マルクスの景気循環論を大きく「曲解させる原因になった」とは,考えないが。

2004年11月28日(日曜日)

◆東大院,青才ゼミ「信用と恐慌」の今後のスケジュールについて (1)今後のスケジュールを考える。 前提は,2004年度ゼミにおいて,ある程度のまとまりを,という点にある。 この「ある程度のまとまり」という意味は,『資本論』第3部第1草稿第5章後半「読 解」に関し2004年度で一応やり終える,という点にある。 (2)案は二つあると思う。 a案……一回一章で,35章まで終える。(36章の歴史的部分は,また,別個の課題をなす) この案に則れば,次回(12月3日)から最終回(2月4日)まで,7回あるので,30〜35章を一回 づつ,そして,一回は,「総括」とする,という案となる。 b案……大谷,33・34章は,「混乱」(Ms.352a〜352j)と,「[混乱。続き]」 (Ms.361-371)とからなるが,当該部分は,マルクスにおいても本文とは位置づけられて おらず,「ノート」「抜粋部分」と位置づけられている部分である。それ故に,b案は, 30〜32章+35章を「読解」という案となる。 (3)a案とb案とどちらが良いか ・b案が良いのではないか,と思う。以下,その理由等 1.大谷,33・34章部分,(「混乱」(Ms.352a〜352j),[混乱。続き]」(Ms.361-371))部 分は,上記(2)で述べたように,本文ではない。また,同じく本文ではない,と言って も,25章補遺,26章部分の場合には,マルクスのコメント(論評)部分が多いが,大谷,33・ 34章部分はそれも少ない。 2.上記1.からして,30〜32章,35章の本文部分に時間をかけた方が,生産的と思える。 (4)上記b案採用の場合 4.大谷,33・34章部分については,いつか,青才が,30分くらいで内容紹介をする。 5.上記4.の場合には,33章部分担当……橋本さん,34章部分担当……吉村さん,は,お役 免除ということになる。 ◆吉村さんから,「それならば,[自説との関連から言って]35章「貴金属と為替相場」 をやりたい」,という提起があるかも知れません。その場合には,35章の元々の担当の 森さんと,34章お役御免の吉村さんとの,「折衝」という問題になります。 6.後,b案採用の場合にも,いままでの方式で,「いけるところまで行く」という運営で 良いのか,という問題はある。 7.だが,今後の各自の研究のために,利子論後半のマルクス草稿そのもの(大谷訳)を各 自持っておくということは,必要なことと思う。それ故に,結城さんには多大な負担を かけることになりますが,b案採用の場合にも,大谷,33・34章部分は,コピーして配付 が良い,と思います。

◆今日はここまで。 ご意見をお聞かせ下さい。 また,上記(4)6については,今後も,考えて見ます。

2004年12月08日(水曜日)

青才ゼミ: 次回(12.10.)の予定,&,前回(12.3.)の問題点等 ◆青才ゼミ次回(2004.12.10.)予定   大谷,31章,211頁〜,MEGA.S.545〜 コメンテイター 31章部分(結城)

◆前回(2004.12.3.)問題点 等 (18)

前回(2004.12.3.)では,30章を今日終わらせる,という至上命題故に,議論は,「腹膨れるわざ」となったようであり,問(問題点)も少ない。青才,反省。

目次 問(81)[2004.12.3.]  問[商業信用で与信されるもの] 問(82)[2004.12.3.]  問[恐慌の究極的原因] 問(83)[2004.12.3.]  問[マルクス草稿,Ms.345下〜347下,貿易収支,支払い差額,金流出,] 問(84)[2004.12.3.]  問[貨幣資本の広い意味]

問(81)[2004.12.3.]  問[商業信用で与信されるもの] a.大谷,30-32章,180頁で,マルクスは,「[商業信用において]貸されるものは,けっして遊休資本ではな(い)」と言っている。 b.大谷,33・34章,178頁で,マルクスは,「[商業信用において]貸される資本は,……商品資本……である」と言っている。 c.まずは,上記aのマルクスの指摘の正しさを評価すべきと思われる。ややもすると,商業信用においては,現金で売ったならば遊休する筈の資金(貨幣)が,貸される,のだ,というような理解があるなか,上記aのマルクスの指摘の正しさを評価すべきだろう。 d.上記bのマルクスの指摘も,その含意を支持する方向で解釈すべきだろう。商品資本を貸すという場合には,貨幣になるべき定在にある商品資本を「貸す」(貸すという表現は,さらに,「貸される資本」という表現は問題だが)という規定は,商品を貸すとか,価値を「商品で」貸す,とかいう規定よりは,事態を捉えているものと解し得るからである。結局,大谷,30-32章,181頁の含意を読めば,「[商業]信用が媒介するものは,……一つの段階から別の段階への[W’??G’という,資本の変態である]」ということになるだろう。

問(82)[2004.12.3.]  問[恐慌の究極的原因] 参照,大谷,30-32章,184-5頁。 さてさて,古くて新しい問題

問(83)[2004.12.3.]  問[マルクス草稿,Ms.345下〜347下,貿易収支,支払い差額,金流出,] 大谷,30-32章,199-210頁 ノート下半分での叙述であるが,結構,内容は濃い。 1.後で書かれた,と言われているが,この「後」とはいつか。35章部分を書いた後,という可能性もあるのか。 2.位置づけとしては註的部分であるが,本文的内容を有する。

問(84)[2004.12.3.]  問[貨幣資本の広い意味] 問(74)[2004.11.19.]  問[貨幣資本等,諸用語について]と関連。 それ以前にも問題としてが,その点については,上記問(74)を参照。 大谷,33・34章,199-200頁で,マルクスは,「商品資本は同時に貨幣資本」等と述べている。「商品の価格で表わされた一定の価値額,あるいは,商品の交換価値を表現している貨幣額」を,貨幣資本,と言っている訳である。貨幣資本を,このように広い意味で使っているという点に注意して,諸用語の意味を把握する必要があるだろう。と言っても,「商品資本は同時に貨幣資本」と述べた後,その貨幣資本の意味は,本来の貨幣資本という用語が意味する内容とは異なるという点に即意し,その直後で,「すなわち,商品の価格で表わされた一定の価値額,あるいは,商品の交換価値を表現している貨幣額」と説明している,点にも,同時に,注意する必要があるが。

2004年12月14日(火曜日)

青才ゼミ: 次回(12.17.)の予定,&,前回(12.10.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2004.12.17.)予定   大谷,32章,256頁〜,MEGA.S.584〜 コメンテイター 32章部分(泉) ◆前回(12月10日)は,一回で1章進んだので,以前お話したスケジュールよりは,早まりそうです。吉村さん,森さん,宜しくお願いします。

◆前回(2004.12.10.)問題点 等 (19)

目次 問(85)[2004.12.10.]  問[浮動資本について] 問(86)[2004.12.10.]  問[イングランド銀行券の減少とピール条例] 問(87)[2004.12.10.]  問[モリスン・ディロン商会とは] 問(88)[2004.12.10.]  問[前循環は,現循環の土台となるか。] 問(89)[2004.12.10.]  問[monied capitalistの概念] 問(90)[2004.12.10.]  問[moneyed Capital≒預金,という発想の問題] 問(91)[2004.12.10.]  問[利子率を規定するもの,moneyed Capitalの量とリスク]

(85)[2004.12.10.]  問[浮動資本について] 大谷,30-32章,217-8頁 ウェゲリンは,浮動資本の内容として,a「短期の貨幣貸付に向けることができる資本」(別な箇所では,「銀行準備」)と,b.「通貨」とを,言っている。マルクスの批判そのものがそうかどうかは別として,ウェゲリンの規定においては,流動資本という概念において,スミスが,固定資本に対置される流動資本と,生産的資本に対置される,商品資本・貨幣資本等の流通資本(ただし,マルクスは,流通資本という用語は使っていない)との双方を含む場合と同じような混乱,「浮動」するのだから,上記aも,上記bも浮動資本だ,という混乱があるように思える。

問(86)[2004.12.10.]  問[イングランド銀行券の減少とピール条例] 大谷,30-32章,229頁の,表 1853年をピークとしてイングランド銀行券のCirculationは減少している。マルクスは, 銀行制度の発展(最終の手形交換がイングランド銀行の帳簿上でなされるようになった等,大谷,232頁参照)の故としているが,1844年の,ピール条例の影響はないか,という問題提起がなされた。

問(87)[2004.12.10.]  問[モリスン・ディロン商会とは] 大谷,30-32章,233-4頁 モリスン・ディロン商会とは,商業資本である(234頁の注1)参照)。まことに,銀行券は, 卸売業の鋳貨(小銭)である。

問(88)[2004.12.10.]  問[前循環は,現循環の土台となるか。]   大谷,30-32章,235-241頁 a.マルクスが,前循環の「最高水準が,次の循環での土台または比較的低位の水準となる」といっていることの意味, b.ここで出てくる,実質価値,申告価値(異文では,積算価値),公的価値,の違い・意味 c.マルクスは,ここで,いわばGDPを,輸出額で代替して考察しているが,さて。

問(89)[2004.12.10.]  問[monied capitalistの概念]  A.諸資料等 a.大谷,30-32章,250頁,の,monied capitalistは,銀行業者,金融業者,というイメージのものである。 b.だが,一般に,monied capitalistとは,32章部分(大谷,30-32章,277頁)で述べているように,「利子で生活する引退したgreengrocer」(金利生活者)も含む概念である。 c.利子論前半(21-24章)で登場する貨幣資本家も,monied capitalistであり,Geldcapitalistではない。 B.クリティーク (1)利子論後半は,信用(制度)論と言っていいが,その場合の信用制度とは,マルクスにとって,主要には,銀行制度であった。個々の部分的規定を除くと,商業信用に関する分析は,30章に登場するのみであり,他は,すべて,銀行信用の分析である。 (2)それ故に,それのみとは言えないとしても,利子論前半の,貨幣資本家が機能資本家に「商品としての資本」を売る,という発想は,銀行による産業資本・商業資本への,貨幣の貸付を抽象の基礎としたものと考えられる。

問(90)[2004.12.10.]  問[moneyed Capital≒預金,という発想の問題] ・31章全体を通じて,マルクスは,貸付可能な貨幣資本の蓄積=銀行の預金,と解し,さらに,それをmoneyed Capitalの供給量,と解している部分が多い。この点に関しては,以下の問題があると思われる。 (1)銀行の預金には,当座預金も含まれるはずであり,それは,供給された資金ではあっても,供給される資金ではない,のではないだろうか。 (2)商業信用における価格差が銀行の割引率を規定すると考えると,資金の需給という場合に,銀行における預金(または,銀行の貨幣準備)と,貸付需要との関連のみを問題にするべきではないのではないだろうか。

問(91)[2004.12.10.]  問[利子率を規定するもの,moneyed Capitalの量とリスク] ◆以前にも,二度・三度,問題点として挙げたと思います。 (1)マルクスは,大谷,30-32章,242頁で,利子率は,「moneyed Capitalの量の状況」+「信頼」等によって決まる,と言っている。前者が基本で,後者がリスク・プレミアム的に付加される,と考えているようである。 (2)問題は,前者の「moneyed Capitalの量」という規定が,現在貨幣として存在する資金と捉えられている点にある。銀行は,発券,預金設定等により,現在貸出準備貨幣を持っていなくとも,「信頼」がある場合には,資金を供給するのではないだろうか。 (3)問題は,資金の需給で利子率が決まる,と言ってよいが,その場合の,供給量には,信頼,支払い確実性が関連するのではないか,という点,そして,また,その資金の供給という場合には,現在の貨幣のみではなく,将来の貨幣も問題になるのではないか,という点にある。

2004年12月19日(日曜日)

●●小幡文書 資本分割と利潤率計算 例解2 小幡,HP,Wiki 2004.12.11,+12

A.小幡さんは,HP,Wiki 2004.12.12,で次のように書いておられます。 「 X-Yの意味するもの † obata (2004-12-12 (日) 20:06:20)

資本分割すると、毎期20万投じてその分の産出が得られるから、Y=20(1=R)[◆ここは, Y=20(1+R)の誤植でしょう]でよいのではないか、というとやはり、そうはいかな い、ということになりそうです。仕掛品が毎期必要なのですから、これがない場合と 同じような価格では平均利潤が得られないでしょう。」

◆私も,そうだと,思います。

B.「資本分割・並行生産で考えると」[◆以下の点については,青才『利潤論の諸問 題』第1章補説?「資本の回転について」[4](54-61頁)を,参照] a.「資本分割・並行生産」の場合を考えましょう。 Z(製品の販売価格)=20(フロー量としての費用)+30(投下資本)×r’(利潤 率) となります。 「資本分割・並行生産」の場合には,当該年度において,生産工程第一(1年間)に,10が 投下され,生産工程第二(1年間)には,当該年に新規に投下された10+前年度に生産工程 第一に投下され・現在は生産工程第二に仕掛品として存在する10 = 20 が存在する が故に,投下資本=10+20=30,となります。 また,生産工程第一に投下された資本の回転期間は2年,生産工程第二に投下された資 本の回転期間は1年です。  b.本来の利潤率(r’)と,商品当たりの利潤率(r”) 年利潤額は,貸借対照表で,本来の投下資本に対する利潤の率(r’)で表現する と, 年利潤額=30×r’,となります。(式1) 年利潤額を,損益計算表で,商品当たりの利潤率(r”)=いわゆるマークアップ率 で 表現すると, 年利潤額=20×r”,となります。(式2) 年利潤額=式1=式2ですから, 30×r’=20×r”,となり

 故に         r’=r”×(20/30)

すなわち,利潤率(本当の意味での利潤率はこれでしかない,投下資本あたりの利潤率) =商品あたり利潤率×いわゆる平均回転(数), 20/30=フロー量としての費用(価格)÷stockとしての投下資本量=平均回転(数) です。

[実際の企業統計においては,「商品あたりの利潤率」(利潤/費用(価格))の代わりに, 「販売価格あたりの利潤率」(売上高経常利益率=経常利益/売上高))が,「いわゆる 平均回転数」(費用(価格)/投下資本)の代わりに,「総資本回転率」(=売上高÷総資 本)が用いられます。     r’(利潤率)=(経常利益/売上高)×(売上高÷総資本)=経常利益÷総資本, となるのは,当然のことです。 例解の場合の数値等を入れると次のようになります。 経常利益=20×r” , 売上高=20(1+r”),総資本=30 ]

c.ついでながら,平均回転(数)を,個々の資本構成部分の回転数の加重平均,という形 で,表現しておきましょう。

平均回転数=Σ{(個々の資本構成部分/投下資本額)×各々の回転数} 当該例解の場合,平均回転数=20/30 生産工程第一に投下された資本部分については, (20/30)×(1/2) 生産工程第二に投下された資本部分については, (10/30)×(1)

平均回転数=消費資本/投下資本=20/30 =個々の資本構成部分の回転数の加重平均 = (20/30)×(1/2)+(10/30)×(1) = 20/30

C.小幡さん,HP,の,リカード流,X,の場合 生産工程第二で投下されている10が,翌年度,貨幣形態で遊休するかどうかが問題にな るでしょう。 a.「資本分割・並行生産」の場合, 上記Bとなるでしょう。 b.遊休する場合,すなわち,「資本分割・並行生産」がない場合, 1.この場合には,生産工程第二に投下された資本10の回転期間も,2年になります。販売 がなされた翌年は,生産工程第一が稼働するのみなので,生産工程第二に投下され回収 された資本は,1年間遊休せざるを得ないからです。 2.とすると,私の上記Bでの計算式では,製品価格X=20+20×r”,となります。 3.ですが,毎年販売があった上記Bの場合と異なり,この場合には,年販売額は,生産工 程第一のみがなされている年には販売はないので,X/2,となります。 4.とすると,年利潤率(r’)=年利潤{(20×r”)/2}÷20,となるでしょう。 5.とすると,r’=r”×平均回転(=1/2),となります。 平均回転=生産工程1に投下された資本の回転数=生産工程2に投下された資本の回転 数=1/2,だからです。 c.小幡さんの式の,複利の問題,10(1+R)(1+R),は,何を意味しているのでしょう か。 不確かですが,これは,以下の点に関連したことではないか,と思っています。 1.上記B等における,投下資本は,文字どおり最初に「投下」された時点での資本額を 意味して います。ですが,貸借対照表における,投下資本(当該問題では,債務を考え ていないので,=自己資本)は,資産であるが故に,正確に言うと,当該年度に実現された 利潤を含んでいます。配当を行なう前だとすると,配当+当期未処分利益,を含んでい る訳です。 2.故に,毎年販売を行い毎年利潤を得ている通常の資本を想定すると,投下資本は,正確 に言うと,文字どおり投下された最初の資本×(1+r)??さらにより正確にいう と,[年当初の投下資本(α)+年末の投下資本{α(1+r)}]÷2 =(すなわち年央の投下 資本)??,となります。 3.とすると,年末の資産は,投下資本[10(本当に最初の投下資本)×(1+r)]×(1+r) となる,と,資本家の計算としては,発想されるのではないでしょうか。 4.複利の問題, 10(1+R)(1+R),の問題は,この辺の事情にあると思います。 数学的に厳密に言うと,「資本分割・並行生産」を想定すると上記Bの計算式も正確な ものではない,という点,私自身30年前頃から意識しつつも面倒なので言わなかった問 題が,関連することと思います。

青才ゼミ: 次回(1.14.)の予定,&,前回(12.17.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2005.1.14.)予定   大谷,30-32章,281頁〜, コメンテイター 32章部分(泉) 33・34章部分(吉村)

◆前回(2004.12.17.)問題点 等 (20)

目次 問(92)[2004.12.17.]  問[銀行業者による貨幣の直接貸付] 問(93)[2004.12.17.]  問[moneyed Capitalのプレトラ] 問(94)[2004.12.17.]  問[架空の,価値または資本への権限,請求権] 問(95)[2004.12.17.]  問[引退したgreengrocer]

問(92)[2004.12.17.]  問[銀行業者による貨幣の直接貸付] 大谷,30-32章,258頁 a.ここで,マルクスは,貨幣の「再生産する人々」(機能資本家?)への直接貸付を問題にしているようだが,エンゲルスは,「商業信用の基礎の上では,」という追加文を入れている。 b.マルクスは,「銀行業者が再生産する人々に貨幣を貸す」と,[貨幣資本家]を,銀行御者としている。 ◆問(89)[2004.12.10.]  問[monied capitalistの概念] と関連する。

問(93)[2004.12.17.]  問[moneyed Capitalのプレトラ] ◆問(75)[2004.11.19.]  問[資本の過多(プレトラ)について] と関連。 A.問(75)[2004.11.19.]  問[資本の過多(プレトラ)について] 再掲 (1)大谷,30-32章,146頁(30章,第1パラグラフ)の「いわゆる資本のプレトラ(この表現は,常に貨幣資本monied Capitalについて用いられるものである。)」という叙述,さらに,その直後の,エンゲルスの訂正なった文書「monied Capitalの[◆このプレトラ,この◆エンゲルス挿入]過剰供給は,…… 」から,資本のプレトラとは,monied Capitalの過剰供給,利子率低,投機をもたらす,好況末期の事態を(それ故に,恐慌の前段を)なす,と,考えられてきた。 (2)だが,K.?,15章で問題となる,資本の過剰の原語は,資本のプレトラ,である。 [◆今回追記,参照,B] (3)Th.?,17章,「リカードの蓄積論」,7 (MEW.S.497-499) ここでの,資本の過多(プレトラ)は,産業資本(現実資本)の過剰のこと 他方,資本のプレトラ,という「フラートンによって主張され」と言っているので,元々は,金融関連の用語として生まれたもののようである。 (4)検討されるべきは,以下の点にある。 1.これ以後(30章以後),資本の過多は,どういう意味で使われているかの検討。 2.現実資本の過多と,monied Capitalの過多,との関連を考えようとしていた,と考 えるべきか。[マルクスは,世人においては,資本概念の混乱から,資本の過多という用語で,全く別のものが問題にされている,という視角で,資本の過多ということを問題としている] 3.マルクスにおいては,資本の過多は,現実資本の過多の方に,その勝義の意味があるのだが, 「いわゆる資本のプレトラ(この表現は,常に貨幣資本monied Capitalについて用いられるものである。)」の「いわゆる」に注目し,世人は,資本概念に対する混乱があるので,monied Capitalの過多の方を,問題にしている,と言っている,と読む,方向。 B.上記問(75),への今回追記 a. 上記(2)部分, 正確には,K.?,15章部分,MEW.S.261,で,マルクスは, 「それゆえ,個々の商品の過剰生産ではなく資本の過剰生産[◆=資本のプレトラ◆当該部分,エンゲルス削除]??といっても資本の過剰生産はつねに商品の過剰生産を含んでいるのだが??の意味するものは,資本の過剰蓄積以外のなにものでもないのである。」と言っている。 b.資本のプレトラの意味 (後掲,C-e) C.moneyed Capitalのプレトラ 大谷,30-32章,263頁,265頁, a.大谷,30-32章,263頁。投下部面の不足→利子率の低下=moneyed Capitalのプレトラ=資本制的生産過程の諸制限 b.だが,マルクスは,当該パラグラフの末(後の追加)で,「moneyed Capitalのプレトラは,かならずしも過剰生産を,あるいは資本の充用部面の不足を意味するものではない。」と言っている。 [◆「必ずしも」という表現に注目すると,上記aの否定,という訳ではなく,過剰生産を意味するmoneyed Capitalのプレトラと,過剰生産を意味するわけではない,moneyed Capitalのプレトラとの,双方がありうる,ということかもしれない。] c.大谷,30-32章,265頁では,moneyed Capitalのプレトラ→過剰生産,と言っている。 d.上記cパラグラフでの,「循環の一定の諸局面」とは,どの局面なのか。好況中期から好況末期への移行期(好況末期の開始期)か。[以前(問((75)では,好況末期にmoneyed Capitalのプレトラが生ずると言ったが,moneyed Capitalのプレトラ→過剰生産,なので,好況末期の開始期,とした。 e.プレトラは,moneyed Capitalの過多,という意味で使われており,リアル・キャピタルに関する方は,過剰生産,と表現されている。 f.263頁の「信用詐欺」は,265頁の「過剰信用」に対応するものと思われる。だが,その具体的内容は,未確定。 g.横川信治氏は,『価値・雇用・恐慌』で,moneyed Capitalのプレトラを,「好況からブームへの移行における信用の緩和」(169頁)と位置づけている。 ただし,そこにおける理由は, 好況末期 労働力不足による利潤率低下→産業資本の蓄積減少,資金需要減少→産業資本の短期預金増大→信用緩和→商業資本による利用→物価上昇→実質利潤率上昇(←実質賃金率低下),実質利子率低下→蓄積の再開,という因果の故と見ており,利潤率の低下が,利潤率の上昇をもたらす,とか,実質賃金の上昇が実質賃金の低下をもたらす,とか,訳のわからない見解である。ただ,moneyed Capitalのプレトラは,横川氏もそう言っているよう,好況から,ブーム(好況末期)への転換,において生ずるもののようである。

問(94)[2004.12.17.]  問[架空の,価値または資本への権限,請求権] (a)大谷,30-32章,268-9頁,(b)大谷,30-32章,270-1頁 1.上記(a)部分,だけを読むと,意味不明だが(私にとって),上記(b)部分を読むと 貨幣??貸付られ債権形態をとっている貨幣??[返済された貨幣],という,[貸付資本]の[運動]を問題にしているようだ。 2.権限,請求権,等の意味では,利子生み証券(国債,マルクスの場合は株式も)を含むとも考え得るが,直接には,貸付債権を意味するようだ。そして,貨幣が貸付られている,という点を重視すると,それは,商業信用を含まない,と考えられる。

問(95)[2004.12.17.]  問[引退したgreengrocer] 大谷,30-32章,260頁,277頁 1.なぜ,「一財産を作って再生産から引退」した金利生活者を,greengrocer,と言うのか。この問題は,これの正解が得られると,マルクス信用論理解が異なる,という性格の問題ではないが。 2.金利生活者を問題にする場合に,なぜ,高級取りの官僚,土地所有者等ではなく,「一財産を作って再生産から引退」したgreengrocerのみを問題にしているのか。 一つの可能性としては,マルクスは,ここでは,利潤の内の蓄積部分,利潤の内消費に回される部分の,moneyed Capitalへの転化を,問題にしており,その限りで,引退した資本家が問題にされた,とも考えられる。

2005年1月16日(日曜日)

次回以後の,特に,33・34章の内容理解に関わると思いますので,前もって配信します。ただし,文字がアナーキーな状態となっているので,次回には,プリントしたものを配付します。

問(98)[2005.1.14.]  問[「混乱」,「[混乱。続き]」等の執筆時期]について

結論 (後半に,その理由等「詳論」を付す) イ.執筆順序 (1)31章のMs.351執筆→「混乱」 (2)「混乱」→31章末(Ms.352)→32章 (3)32章→「[混乱。続き]」→35章 (4)35章の中途(〜Ms.384)→36章→35章末(385,[386→390],[387→391],[388→392]) ロ.「混乱」,「[混乱。続き]」の抜粋の動機,少なくとも,抜粋ノート作成開始の問題意識は,30章冒頭の二つの問題提起の第2の問題(「monied CapitalとCirculation」問題)の解明にあったと,思われる。

詳論 31章〜36章内の執筆順序等 この執筆順序の考証は,「混乱」,「[混乱。続き]」の抜粋ノート作成のきっかけ,意図,は何だったかという点の検討のためのものである。

A.執筆順序 a.MEGA編集者 1)「混乱」,「[混乱。続き]」→28章〜32章,35章,35章 2)この,推定の背後には,MEGA編集者の,26章末の「銀行法1857年」からの抜粋→「混乱」のそれ→「[混乱。続き]」,という推定があるのかも知れない。 因みに,26章末(325a,325b)と,「混乱」の最初(352a,352b)は,同じ用紙 b.大谷,の推定 (1)31章末近く(Ms.345,346あたり)→「混乱」 (2)「混乱」→31章末→32章 (3)32章→「[混乱。続き]」→35章 (4)35章の中途(〜Ms.384)→36章→35章末(385,[386→390],[387→391],[388→392])    [A→B],A……旧頁づけ,B……新頁付け。新頁付けでは,386〜389は,欠番 c.青才の検討結果 独自の材料・根拠も含め検討した結果,大谷の推定で,「ほぼ」よい,と思われる。 違いは,大谷(1)の点に関し 31章のMs.351執筆→「混乱」→31章末(Ms.352),という点のみ この推定の理由等, 1.31章末近くでは,26章部分(これも,銀行法1857からの抜粋・コメント,特に末は,オウヴァストン),銀行法1857を見ながら執筆 2.関連する部分を,31章部分で抜粋等 Ms.351下,ウェゲリン,証言番号1258,1364。1329。 ニューマーチ,1353 3.(銀行法1857)からの抜粋を,31章部分の注等に書き込むことを止め,横において再読していた26章末の余白に,「混乱」と題して,抜粋ノートを作成。 「混乱」の最初は,ニューマーチからの,証言番号1357,1358,1366等の抜粋

B.「混乱」の執筆開始意図,または,抜粋開始における問題意識 a.31章末近く(例えば,Ms.348〜351)では,貨幣量,イングランド銀行券の量,イングランド銀行の準備,地金,等を問題としている。 b.それ故に,30章冒頭の二つの課題(リアル・キャピタルとmonied Capitalとの関係,monied Capitalと通貨量との関係)の,二つ目の課題との関連で,「混乱」執筆(銀行法1857からの抜粋)を始めた,と考えられる。 c.その点に,金の流出入の問題が,この「混乱」において,問題にされている理由がある と思われる。

C.「[混乱。続き]」の執筆意図,または,抜粋の場合の目的・焦点  a.32章では,Ms.358(大谷,294頁)あたりから,逼迫(大谷,294-5)→信用の基礎には貨幣が(大谷,296,Ms.358-9)→国際取引,貿易差額と支払差額との相違(大谷,299-300),について問題にしている。 b.だが,大谷,301(/Ms.359/)から,トーンが変わり ・商業信用における利子, ・オウヴァストン批判,商品の価格上昇=monied Capitalの価格(利子率),を批判。     銀行法1857からではなく,銀行法1848年からの抜粋等 ・貸付業者が,現物を貸す場合(Ms.360,大谷,303-4頁)を, 問題とする。 [◆この辺の叙述は,大谷,279-281,で,オウヴァストン,銀行法1857,を問題とし,「オウヴァストン氏の言葉づかいの混乱はもっと後で見ることにしよう」という部分に対応することと思われる。[なお,大谷,289-230)でもオウヴァストンを問題にしている]] c.Ms.360の,実際の順序 MEGA,大谷等では,その内容の移動(マルクスの指示による移動)があるが,Ms.360そのものは,実際にば,以下のようになっている。 Ms.360上 ・ 貸付業者が,現物を貸す場合(Ms.360,大谷,303-4頁) [内容的にはオウヴァストン批判]     −−−−−−−−−−−(区切りの線) (大谷,30-32章,307頁) この線の直後に,マルクスは,「若干の覚書」と書きかけた後に,削除 (大谷,33・34章,138頁) Ms.360下 ・ウェゲリン 銀行法1857,,証言番号39,241,500 [内容は,資本と貨幣との区別] (「[混乱。続き]」冒頭,大谷,33・34章,138-9頁) ・ハバード 銀行法1857,,証言番号2409,2626,2626  末に注記号b)あり ・32章部分末 (大谷,30-32章,304-7頁) 銀行法1857,からの抜粋 ウェゲリン 252,502,1258  (オウヴァストンへの言及もある] ニューマーチ 1358 ミル 2102 , ・[原注]b)      (大谷,33・34章,139-140頁) ハバード 2626,2629,2627 ・マルクス,流通高と預金 ・マルクス,利子率と流通高 (Ms.360末〜361始め,大谷,33・34章,140頁) ◆Ms.361以後は,上下の区別のない頁の使い方になっている

  以下,(大谷,33・34章,141頁〜) ・ 恐慌中の減価 「1848年に上院によって公刊された一文書によれば」   ・トウェルズ 銀行法1857,,証言番号4488,89,90,94,95,96,97,〜〜 d.「[混乱。続き]」執筆の契機等 上記b・cより 1.オウヴァストン批判,→ウェゲリン等批判(「[混乱。続き]」冒頭) ・26章的内容,通貨学派批判的内容から,「[混乱。続き]」を執筆開始 2. Ms.360の,原注b)あたりから,銀行法1857の,証言番号順の抜粋となる。 3.そして,その場合の問題意識は,Ms.360-1(上記c参照),流通高と預金,利子率と流通高,総じて,monied Capitalの量と,通貨の量(=流通高=Circulation)との関連にあると思われる。 D.monied Capitalと,通貨(Circulation)の問題 a.(1)30章冒頭での二つの問題提起 (実物資本とmonied Capital,monied CapitalとCirculation,) (2)31章部分冒頭で,前者の問題を再び提起 (3)32章部分の中途(Ms.355,エンゲルス削除)でも,再び,この二つの問題を提起して いる。 b.大谷は,第2の問題(「monied CapitalとCirculation」問題)については,マルクス は殆ど答えていない,といっている。(大谷,30-32章,(6)貨幣の量,105〜112頁) c.だが,31章後半(Ms.349上,大谷,235頁))で,「a)」「貸付可能な資本の大きさは通貨Circulationの量とはまったく異なるものである」と述べ,その「a)」の問題につき,Ms.351上(大谷,241頁)以後で問題にしている。 そして,その課題との関連において,「混乱」を執筆している。 d.勿論,「混乱」以後も,32章でまだ,この点を問題にしなければと言っているので(参照,上記a-(3))未だ,「未解決」と言ってよい。だが,マルクスは,「[混乱。続き]」においても,この点を問題にしている,といい得る(参照,上記C-d-3)。 ◆e,総じて,エンゲルスはそう読んでいるようだが,「混乱」,「[混乱。続き]」は,この「monied CapitalとCirculation」問題に対し,答えようとしてものだったと,考えられる。

E.上記A-b-(4)の問題(35章・36章の執筆順序の問題)は,内容理解には大きく関係し ない,と思われる。 35章部分に関しての,内容に関わる書誌学的問題は,35章後半部分(本文ではない)が,どれほど,本文的な性格を持っているかどうか,という点にある。このことは,マルクスが,当該執筆段階において,どれほどの内容を,『資本論』内部で説こうと構想していたのか,という問題である。

青才ゼミ: 次回(1.21.)の予定,&,前回(1.14.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2005.1.21.)予定   大谷,30-32章,294頁〜, コメンテイター 32章部分(泉) 33・34章部分(吉村)

◆前回(2005.1.14.)問題点 等 (21)

目次 問(96)[2005.1.14.]  問[長期の利子率,merh fixed investments の利子,私的利子] 問(97)[2005.1.14.]  問[株式取引所では貨幣はほかのどこよりも安い?] 問(98)[2005.1.14.]  問[「混乱」,「[混乱。続き]」等の執筆時期]

問(96)[2005.1.14.]  問[長期の利子率,merh fixed investments の利子,私的利子] ◆大谷,30-32章,282-3頁 a.長期のトレンドとしての利子率と,長期利子率との間には,次元の相違があることが指摘された。マルクスの「利子率がかなり長い期間にわたって高止まり」という叙述を見ると,長期といっても,トレンドとしてのそれではなく,7年内外(好況期)の「長期」なのかも知れない。 b.「私的利子」は,短期の割引率等の利子率ではなく,対人・担保貸付等の,「長期」の個別的な貸付の場合の利子ではないか。 c.「merh fixed investments に支払われる利子」という叙述との関連において,固定資本(fixed Capital)に対する貸付が問題にされた。 1.当該部分は,銀行資本にとっての,流動的な貸付に対し,相対的により固定的(非流動的)な貸付という意味であるが,それは,借り入れをした資本側にとっては,当然のことながら,固定資本に対する資金調達である場合もある。 2.現在,自由主義段階の地方銀行においては,多くの固定資本信用がなされていたことは,当然の前提であり,また,原理論においても,銀行の与信において,長期貸付も問題にすべし,という見解が,多数となりつつあると言ってよいであろう。 3.宇野的な,自由主義段階の金融と,帝国主義段階の金融との,異質性の過度の強調,すなわち,自由主義段階……手形割引中心……短期,流動,分散的与信,帝国主義段階……当座貸越……固定資本信用,という,ヒルファディング的な対質の強調は,再検討されるべきだろう。

問(97)[2005.1.14.]  問[株式取引所では貨幣はほかのどこよりも安い?] ◆大谷,30-32章,285頁 「株式取引所では貨幣はほかのどこよりも安い[利子率は低い]」(『商業的窮境』よ り) なぜに,いかなる意味で???

問(98)[2005.1.14.]  問[「混乱」,「[混乱。続き]」等の執筆時期] ◆次回の検討に備えて(前回の問題点ではなく) 近く,31章末近く→(26章末+)「混乱」→31章末→32章→「[混乱。続き]」→35章の大半→36章→35章末部分,という執筆順序について,説明します。

2005年1月23日(日曜日)

青才ゼミ: 次回(1.28.)の予定,&,前回(1.21.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2005.1.28.)予定   大谷,33・34章, コメンテイター 33・34章部分(吉村)

◆前回(2005.1.21.)問題点 等 (22)

目次 問(99)[2005.1.21.]  問[「逼迫の……」パラグラフの解釈等] 問(100)[2005.1.21.]  問[大谷,33・34章,295-6頁の,パラグラフの解釈等] 問(101)[2005.1.21.]  問[(現実)資本に対する需給という概念について] 問(102)[2005.1.21.]  問[?)30〜35章の構成]

問(99)[2005.1.21.]  問[「逼迫の……」パラグラフの解釈等] 大谷,30-32章,294-5頁 a.支払手段に対する需要 「優良」「真正」な有価証券……支払手段に対する需要 「支払のための等価物与える」場合……支払手段に対する需要,かつ,monied Capitalに対する需要。 [◆マルクスの叙述が正しいかどうかは別として,解釈としては,そうなるでしょう。すなわち,支払手段に対する需要の内での,区分] b.「信用騎乗者」Creditritter 大谷,33・34章,111頁,(エンゲルス,33章)に出てくる「遍歴する信用山師たち」は,the knight errand of credit。その限りでは,原語は違う。だが, 単に,英語とドイツ語との違いと見ることも可能。現行版を調べていないが,そこでは,恐らく,Kreditritterp だと思われる。[◆だが,森さんの言ったこと,ナイト(勇ましい人)というイメージだけではなく,そこには,信用という馬に乗る人,という含意があるという指摘は,面白いかも] c.エンゲルスは,マルクスの有価証券を,担保に訂正。そうすると,担保による直接貸し付けとなってします。マルクスは,「真正」云々という言葉にも見られるように,手形割引を考えていたと思える。この辺には,エンゲルスの手形割引軽視,が現れている,と思える。

問(100)[2005.1.21.]  問[大谷,33・34章,295-6頁の,パラグラフの解釈等] 大谷,33・34章,295-6頁。以下の点が問題た。 a.「貨幣」=「商品の純粋に空想的な形態」の「空想的」の意味。(このパラグラフでも,もう一回出てくる) b.なぜ,「何百万もの商品がいけにえにされる」ことが「ブルジョア的生産」の「美 点」なのか。 c.「信用貨幣の減価(……非貨幣化のことではけっしてなく)」の意味 d.「貨幣恐慌は,現実の恐慌にはかかわりなく,またはそれの激化として,不可避であ る。」(最近の,伊藤誠説,との関連において)

問(101)[2005.1.21.]  問[(現実)資本に対する需給という概念について] 以前の「問題点」でも取り上げたが,小幡さんが言ったように,monied Capitalに対する需給ということは言えても,(現実)資本に対する需給ということは言えない,ということ。 ◆大谷,30-32章,303-4頁,「{といっても[資本一般への需要供給という]この文句は不合理なものではあるが。……[商品への需要はあるが,それは資本への需要ではない]……}・26章部分,また,30・31章,「混乱」,また,32章部分でもこれ以前には,オウヴァストン批判の際に,monied Capitalの需給と,(実物資本への需要とをオウヴァストンは混同している,と批判していたが,ここでは,実物資本への需要,という言い回し(概念相互の関連は成立しない,と,いう認識を示している。 ・なお,マルクスは,このパラグラフでは,「貸付可能な「資本」」[◆この資本が,monied Capitalでないことを明示するために,マルクスは,わざわざ資本を「……」に括っている]という用語によって,現物(機械等)の貸し付けを,問題にしているのだが,その箇所を,エンゲルスは,「貸付資本」と変えているので,その,現物を貸している,ということが不分明となっている。

問(102)[2005.1.21.]  問[?)30〜35章の構成] 問(98)[2005.1.14.]  問[「混乱」,「[混乱。続き]」等の執筆時期]について と関連する。 ◆以下,長く(B5,12枚),また,次回に印刷配付するので,吉村さん以外は読まなくとも よい,と思います。

 第3部 30〜35章の構成 「混乱」,「[混乱。続き]」の執筆時期,位置づけ等との問題も含めて

A.30章 (1)冒頭(|Ms.340,MEGA.S.529,大谷,30-32章,146-8頁) 二つの課題の提起 一つ目の課題……「実物資本とmonied Capital」問題 二つ目の課題……「monied CapitalとCirculation」問題 [◆当該部分での,課題提起は,四つの課題となっている。それ故に,上記のまとめは,後のマルクスの叙述での,課題の再提示を含めて,表現したもの。] ☆[◆後に,この四つの課題については,結局どう答えたかを総括しておく必要がある。] (2)Ms.340-340a,大谷,148-154 その後,しばらくは,29章における,利子生み証券(擬制資本)についての再論   ☆なお,340aは[マルクスの頁付けのない頁,MEGA編集者が,340aと頁付け] (3)Ms.340a,|Ms.341〜346/ 大谷,156-211頁 基本的には,第1の課題(「実物資本とmonied Capital」問題)についての叙述, [勿論,草稿なので,他のことに触れている,「monied CapitalとCirculation」問題についての叙述,という部分もあるが。]

B.31章 (1)冒頭(/Ms.346/,大谷,211頁) 「実物資本とmonied Capital」問題,の再度の提起 (2)次の3パラグラフ monied Capitalの量を規定するものとして,以下の二つを区別 「(1)たんなる,moneyed Capitalへの貨幣の転化」 「(2)monied Capitalに転化される貨幣への,資本または収入の転化」 以下,転化(1),転化(2)と呼ぶ (3)大谷,212-3頁,/Ms.346/  の パラグラフ a.「1について」[後からの挿入]といっている。 [◆「2について」は,大谷,235頁,/349上/] b.だが,このパラグラフでは,景気循環における,実物資本とmonied Capital,の問題 その際,「すでに見たように」といっている。30章部分のこと c.このパラグラフの後では,転化(1)について述べている。 d.故に,上記,a・b・cを考えると,転化(1)について論述することを予定。だが,1パラグラフだけ,以前の論述(30章部分)との関連で転化(2)に触れ??または,30章部分について総括し??,次のパラグラフ以下では,転化(1)についての論述に移ったと考えられる。 (4)大谷,216-235頁 マルクスの差し当たりの位置づけとしては,転化(1)の問題 だが,銀行制度の下においての,貨幣(通貨)の節約による,monied Capitalの形成等が問題になるので,イングランド銀行の準備,イングランド銀行券の年平均流通量,の問題に言及。「monied CapitalとCirculation」問題を問題にしているとも読める。 (5)/Ms.349上/,大谷,235頁 「さて,2[転化(2)]について述べるところに移るまえに,さらに二つのことを,すなわち, a)貸付可能な資本の大きさは通貨Circulationの量とはまったく異なるものであること{……},  [「monied CapitalとCirculation」問題] b)どの恐慌期のあと等々でも,その前の産業循環で達成された最高水準が,次の産業循環での土台または比較的低位の水準となること, を示しておきたい。|」 (6)大谷,235-241頁  |Ms.350| まず,「b)について」 (7)大谷,241-247 |Ms.351     [◆Ms.351の実際,については,D,「混乱」への道行,の,bを参照] 「a)について」 monied CapitalとCirculationの量。預金量と通貨量。利子率はmonied Capitalの量によって規定される。だが,monied Capitalの量はCirculationの量とは異なる。同じmonied Capitalが複数回貸し付けられる。地金,遊休資本,利子率。 [◆Ms.351下,の註,で,銀行法1857からの抜粋] (8)/Ms.351上/,大谷,247頁で,「2について.」と述べる だが,次のパラグラフは,また,「monied CapitalとCirculation」問題 そして,それに,銀行法1857からの抜粋を,註としてつける。 (9)|Ms.352上|,大谷,249-254頁 転化(2)についての論述 [◆上記,(7)(8)(9)から,私は,Ms.351→「混乱」→Ms.352(31章末)と考えた。 さらに,詳細な根拠については,Dを参照]

C.32章 (1)大谷,256〜267頁,|Ms.352上〜 転化(2)を問題としている。 ・冒頭(Ms.352上冒頭,同時に,ボーゲン最初の頁)は,31章末を受けた内容 (2)大谷,267-277頁 ・少なくとも,大谷,267-8頁の,「なおもう少し信用資本について……」のパラグラフ は,monied Capitalと貨幣量の問題 (3)三度目の,課題提起 Ms.355上,MEGA.S.589,大谷,277 「さて,二つの問題に答えなければならない。第1に,……[「実物資本とmonied Capital」問題]……。そして第2に,……[「monied CapitalとCirculation」問題……。」 [◆私は,ある程度は答えていると思うが,マルクスは,まだ,「答えなければならない」と思っている。] (4)大谷,277〜294頁 「まず第1に,」で始まっているので,「実物資本とmonied Capital」問題,と考えら れる。 (5)逼迫,以後, [以下の点については,問(98)[2005.1.14.]  問[「混乱」,「[混乱。続き]」等の 執筆時期]について, の,C,をコピー] ◆コピー「 C.「[混乱。続き]」の執筆開始時点での意図,または,抜粋開始時の目的・焦点  a.32章では,Ms.358(大谷,294頁)あたりから,逼迫(大谷,294-5)→信用の基礎には貨幣が(大谷,296,Ms.358-9)→国際取引,貿易差額と支払差額との相違(大谷,299-300),について問題にしている。 b.だが,大谷,301(/Ms.359/)から,トーンが変わり ・商業信用における利子, ・オウヴァストン批判,商品の価格上昇=monied Capitalの価格(利子率)上昇,を批 判。     銀行法1857からではなく,銀行法1848年からの抜粋等 ・貸付業者が,現物を貸す場合(Ms.360,大谷,303-4頁)を, 問題とする。 [◆この辺の叙述は,大谷,279-281,で,オウヴァストン,銀行法1857,を問題とし,「オウヴァストン氏の言葉づかいの混乱はもっと後で見ることにしよう」という部分に対応することと思われる。[なお,大谷,289-230)でもオウヴァストンを問題にしている]] c.Ms.360の,実際の順序 ◆今回[2005.1.23.]の文書では,略。コピー削除◆ d.「[混乱。続き]」執筆の契機等 上記b・cより 1.オウヴァストン批判,→ウェゲリン等批判(「[混乱。続き]」冒頭) ・26章的内容,通貨学派批判的内容から,「[混乱。続き]」を執筆開始 2. Ms.360の,原注b)あたりから,銀行法1857の,証言番号順の抜粋となる。 3.そして,その場合の問題意識は,Ms.360-1(上記c参照),流通高と預金,利子率と流通高,総じて,monied Capitalの量と,通貨の量(=流通高=Circulation)との関連にあると思われる。                  」◆ここまでコピー

D.「混乱」への道行,内容 ◆以下は, 問(98)[2005.1.14.] ,の,A,Bの詳論である。 a.30章の末近くから[←問(98)[2005.1.14.] から訂正],26章部分(これも,銀行法1857からの抜粋・コメント,特に末は,オウヴァストン),銀行法1857,その他文献を見ながら執筆 具体的には, ・銀行法1857への参照指示・銀行法1857からの抜粋等 ◆Ms.345上(本文),大谷,30-32章,208頁  (30章部分末) ウェゲリン,銀行法1857,証言番号1218 ◆Ms.346上〜347上(本文),大谷,30-32章,217-8頁  (31章部分) ウェゲリン,銀行法1857,証言番号501,502,503 例の,浮動資本等の部分 ◆以下,抜粋が,多い  ・26章部分への参照指示 Ms.349上 大谷,227頁 「([草稿]320,「[銀行法1857]第207号」およびS.ガーニ,第1742[◆1754の誤り]号, を見よ。)」 b.Ms.351,の,実際  [この文書の,Bの(7)部分のこと],大谷,241-249頁 上 §引用等 銀行法1858[◆銀行法1857ではない] 「報告(1865?)」    ◆内容は,預金量と通貨量 §利子率はmonied Capitalの量によって規定される §「だがそれにもかかわらず,このmonied Capitalの量は通貨Circulationの量とは異 なるものであり,またそれからは独立したものである。」 §同じmonied Capitalが複数回貸し付けられる場合 §通貨の量と預金の量   § 〃 §「このmonied Capitalがどの程度まで遊休しているかは,ただ,銀行業者たちの準備ファンドの流出入にあらわれる」 [註「a)」を付記 §「2について。〜〜でないかぎりでのmonied Capitalの蓄積」 (大谷,247) §「今述べた例外を別とすれば〜」,註b),註c)を付記 ・オーストラリア等からの地金の流入,異常な通貨量,イングランド銀行の割引率 低下

下 §註a) これを入れて3パラグラフは,註a) [大谷,246-7頁]) ウェゲリンは,  「 地金が唯一の「準備資本」だと結論する。」   §銀行法1857,1258,の抜粋,註+a)を付記 地金,遊休資本,割引率   §註+a) 銀行法1857,1364からの抜粋   §[註]b) 同前(ウェゲリン),銀行法1857,1329 §[註c) ニューマーチ,銀行法1857,1353

◆なお,「混乱」の最初は,ニューマーチからの,証言番号1357,1358,1366等の抜粋

c.「混乱」抜粋ノートへの道行 1.(上記a)30章末から,イ,銀行法1857を参照しながら,また,ロ,26章部分を見ながら, 執筆。 2.銀行法1857の内容等を,本文,註,等に抜粋 3.31章末(Ms.352)の前頁(Ms.351)の下半分に,註として,銀行法1857から抜粋 Ms.351下,ウェゲリン,証言番号1258,1364。1329。 ニューマーチ,1353 4.抜粋をちゃんとやろうと,抜粋ノート「混乱」,を作成 「混乱」の最初は,ニューマーチからの,証言番号1357,1358,1366等の抜粋 5.その抜粋を,横において参照していた,26章末の余白から開始 イ.26章末(325a,325b)と,「混乱」の最初とは,同じ用紙。 ◆325a,325bの頁付け時点については留保。             27章,起筆,頁付け時点よりは,後だが     ロ.「混乱」の頁付けは,最初は,a〜j,というアルファベットのみ ハ.「混乱」抜粋ノートの,マルクス自身による表題,「混乱」は,26章部分が,ノーマン,オウヴァストン批判等,彼らの資本,通貨,monied Capital,概念の「混乱」を批判する内容であったことに起因すると思われる(抜粋ノート「「混乱」」の中で,それを特に問題にしている訳ではないが)。 ニ.上記イ〜ハ,のことから言って,当初は,26章的内容,通貨学派批判の「経済学 的論評」をやるつもりだったかも知れない。 ホ.だが,抜粋ノート「混乱」の内容は,吉村さんのレジュメ(2005.1.21.)の小見出しからわかるように,通貨量,イングランド銀行券のCirculation,地金流出等を多く含むものとなる。 [◆この辺の,ニ,ホ,等は,前回の問(98)[2005.1.14.] の見解を若干変更] ヘ.いつの時点か分からないが,内容的に言って,26章的内容,通貨学派批判の「経 済学的論評」というより,31章末的な,「monied CapitalとCirculation」問題なので,352という数字を付け足す。そして,位置も,31章(352)の後に置く。 なお,内容的には,Ms.351に続く内容でありながら,352と頁付けした理由は,(349,350,351,352)が,1ボーゲン,であるということ,その4頁が一枚の用紙,ということによる,と思われる。 ホ.上記,ヘ,以前の可能性もあるが,325a,325b,と,352a,352b,とを切り離す。 前者は,26章末部分に残す。 6.「どこから,抜粋ノート「混乱」へ」 の諸説の検討 (略) MEGA編集者…… 26章部分→「混乱」 大谷……Ms.345・6あたり→「混乱」 私……Ms.351→「混乱」 理由は,銀行法1857,ニューマーチからの抜粋の証言番号が, Ms.351〜「混乱」の最初,において,順番どおり,になっている,という点 にある。  [◆参照,上記b,c-3.4]

d.抜粋ノート「混乱」の内容等 (1)吉村さんのレジュメ(2005.1.21.)の小見出しからわかるように, 通貨量,銀行券発券量,地金,為替相場,利子率等, イ.「monied CapitalとCirculation」問題 ロ.ピール条例, ハ,金の流出入 [◆大谷は,時折,上記のことども(それに,金の流出入と恐慌を入れてもよい が)を,別個のことと考えすぎるが。] (2) 吉村さんのレジュメ(2005.1.21.),からわかるように,多くは,証言番号順,の抜粋 (3)マルクスによる,コメント,叙述は,少ない。(25章部分末,26章部分は勿論,「[混乱。 続き]」と比較しても,少ない。) ◆要約を除き,抜粋ではない部分は,  ●●「混乱」,手書きノート,2005.1.21.参照  大谷,89頁,要約[重要]。 89頁,要約。 95頁,コメント。 100頁,叙述,オウヴァストン批判,通貨学派批判 103頁,要約+コメント,地金(銀)の流出入と物価 105頁,要約,利子生み証券の発達→資金調達容易 105頁,2パラグラフ,叙述,支払差額と貿易差額 111頁,コメント,信用山師 112頁,コメント(4行), 銀行券準備高,地金の量,公衆の手のなかの銀行券の量,との関連

E.「[混乱。続き]」の内容 a.吉村さんのレジュメ(2005.1.21.)の小見出しを参照 b.上記a,下記cからして, 抜粋ノート「[混乱。続き]」の内容は, イ. 「信用制度下の流通手段」(エンゲルス現行版,33章の表題) ロ.「通貨主義と1844年の銀行立法」(34章の表題) ハ.信用の基礎としての貨幣,貴金属, 等々 ◆特に,(下記c参照),大谷,140-1,Ms.360-1のマルクスの叙述,「利子率と流通高」,「つまり,利子率は通貨の量によって決まるのではない」以後,抜粋の焦点は,「monied CapitalとCirculation」問題にある,と言えそうである。 ◆参照,問(98)[2005.1.14.] ,C-d「「[混乱。続き]」執筆の契機等」,[本文書,C-(5)-d,にもコピー,]

c.マルクスの叙述 (単なる要約等ではない部分) [長いので,本来は,上記bの前なのだか,後におきました] [◆以下は,2005.1.17〜19.作成の読ノート(の一部)からのコピー。(3)等は,私(青才)が付けた 注記コメントの番号] [1]●マルクスの叙述 (3パラグラフ) 大谷,140-1,Ms.360-1 ・「銀行券と預金とは,そのかぎりで同じものです。」(このパラグラフ,エンゲルス使用せず) (4)[1.「そのかぎりで」という限りでは,直前のウェゲリンからの抜粋,または,抜粋はしていないが,ウェゲリンの証言との関連において,マルクスが思ったことであろう。 2.内容を読んでみると,この,預金は,当座預金設定,という意味と考えられる。 当該部分,エンゲルス削除。 ◆マルクス草稿における,当座預金,当座預金設定等,決済機能等の問題 別文書化  「マルクスにおける,当座預金,決済機能」 ・「利子率と流通高」,「つまり,利子率は通貨の量によって決まるのではない」 (5)[1.何かを見ながら,書いている。銀行法1857か。 2.流通高という意味では関連するが,直前のマルクスの書いたパラグラフの内容と直接の関連はない。 3.流通高と利子率との関連ということは,利子率が,monied Capitalに対する需給ということになると,「monied CapitalとCirculation」問題,だということになる。] ・「恐慌中の[利子生み証券]の減価」 (6)[A. 1.銀行法1857からを見ながらではない。「1848年に上院によって公刊された一文書によれば」といっている。 2.Ms.360後半〜361,は,銀行法1857からの抜粋ノートというには異なる性格を持っている。 ?註b)が付いている。抜粋ノートに対し,註,となるか。 ?抜粋の仕方が,いわゆる抜粋ノートとは異なる。

証言番号が並んでいない。

このパラグラフでは,銀行法1857ではなく,大谷の考証によれば(141頁),「商業的窮境上院特別委員会」からの抜粋??というより,見ながらのマルクスコメント。 3.全体として,32章の一部,という色彩を持つ。頁の使い方は異なるが。 B.内容は,事実の指摘であって,直接に,「monied CapitalとCirculation」問題には関連しない。] C.大谷註,141 この数値は,「ロンドン・ノート」にもあり,Ms.337(29章部分)でも引用されている。] [2]●マルクス・コメント(長い) 大谷,145頁〜148,Ms.361-2 { }で,囲われている コメント,というより,触発されての叙述,という性格 ・内容1 (大谷,145-8) Circulation(銀行券市中残高,特に,イングランド銀行のそれ)の量は,現実に一般的に流通している部分と,[市中]銀行の準備とからなる。 それ故に,Circulationの量が同じ場合において,現実に流通している部分が小であるとき,市中銀行の準備は大で,それ故に,利子率が低い,ということがありうる。 (8)[1.明確に,Circulationの量と利子率との関連,「monied CapitalとCirculation」問題を問題としている。 2.「流通Circulationの絶対量が規定的なものとして利子率に一致するのは,ただ逼迫期だけのことである。」(大谷,148頁)……「このような場合のほかは,流通Circulationの絶対量は利子率には影響しない。](同) ◆逼迫期には,Circulation大,発行限度額−Circulation,としての,イングランド銀行準備小,故に,利子率大,ということなのであろう。 Circulation大→利子率大,というのは,貨幣数量説的には逆となるが。 3.このマルクスの叙述は,直前の,チャップマンからの抜粋に対する,コメント,という性格のものではない,チャップマンの抜粋されていない,証言内容に関わるのかも知れないが。] (9)大谷,148 [当該部分,形式的には本文ではないが,内容的には,本文的な要素も持っている,といいうる。] (10)大谷,148頁 「潤沢な流通Circulationに対する需要は,ただ,信用喪失のために(……)生じた蓄蔵に対する需要[でありうる]」 蓄蔵が問題になっているので,別様に捉え得るが,好況末期において,商業信用の困難→現金取引の必要性→貨幣の流出,という論理を,意味しているかも知れない。] ・内容? 大谷,148-9頁 ☆「通貨Circulationの発行と資本の貸付」 再生産表式的取引関係と,通貨量 (11)[資本の貸付という場合の,資本が,実物資本のことなのか,monied Capitalのことなのか,ということが不分明,ということと,「前貸」ということが,資本投下なのか,資金貸付なのか,が,不分明,ということとで,解釈は確定せず。] [3]●マルクスの叙述 大谷,155-6,MEGA.S.604-5,Ms.363 ・「信用システム[信用主義]から貨幣システム[重金主義]へのこの転回」 ・「恐慌の時の国内のパニックを別とすれば,貨幣の量[◆マルクス強調]を問題にすることができるのは,ただ地金[◆マルクス強調]つまり「世界貨幣」に関する限りでのことである。」 [◆地金,世界貨幣を,問題としている。] ◆当該部分は,直前のチャップマンの証言と関連したコメントと思える] ・チャップマン 証言番号5218 異常な輸入,為替相場,貨幣の量 ・マルクス 「第一に,世界市場貨幣の[◆後から追加]この蓄蔵は最小限度に縮減されていた。第2に,それは同時に,信用貨幣の兌換性の保証として[役立っている]。このように二つのまったく違った機能[を兼ねていた]。といっても,どちらの機能も貨幣の本性から出てくるものである。というのは,現実の貨幣はつねに世界市場貨幣であって,信用貨幣はつねに世界市場貨幣にもとづいているからである。」  [◆重要,35章での叙述を,彷彿とさせる。] [4]●マルクスの叙述 大谷,160頁 Ms.364末 ・「貸付可能な資本の量は,それ自身の量だけでなく,信用の状態[◆信頼の問題を含んで]にかかわっている。」 ・「架空資本(利子生み証券)と,銀行券,銀行業者手形バンカーズ・ドラフト,等々によって形成されている信用資本[◆以前は,バンキング・キャピタルと言っていたもの]{つまりこの場合,誰かさんが[自分で受けた??大谷]信用を,自分自身でまた,自分が売りつける商品に仕立て上げるわけである。}とを区別しなければならない。」 (13)[◆面白い。 1.エンゲルスは利用していない。 2.直接,直前の抜粋等とは関連しない。だが,こういう場合,抜粋していない部分の叙述から,考えた等ということはありうる。 3.二つのパラグラフの内容も関係していないように読める。だが……。 4.利子生み証券と,信用資本(他人資本)との区別,いかなる意味で言っているかは,定かでないが,面白い。重要。 また,架空資本を,利子生み証券,擬制資本という意味で使っている。 5.銀行券(による与信か)を,信用による貸し付け,債務による貸し付け,と言っている。          ] [5]●§[「[混乱。続き]」? 地金の輸出入に関する統計] 大谷,461-173,|Ms.365-9|, (14)[1.エンゲルス未利用 2.統計と,その間違いつつの計算である。 だが,凝り性のマルクスとは言え,これだけの計算等をしているということは,重要と思ったということを意味する,と思える。 3.注意すべきこと。 a.対外的な,地金の流出入と,イングランド銀行の地金準備,との相違 b.国内流出入 c.地金の流出入を,金のそれと,銀のそれとに区別 ◆これは,あまり,重要ではないと,思えるが。] [6]●マルクスの叙述, 大谷,181頁,2行, 「蓄蔵貨幣の神聖性と不可侵性(1844年の法律のもとでの)は,貨幣蓄蔵者のそれとはまったく違った仕方で本物になる。」

2005年2月02日(水曜日)

青才ゼミ: 次回(2.4.)の予定,&,前回(1.28.)の問題点等

◆青才ゼミ次回(2005.2.4.)予定   大谷,35章, コメンテイター 35章部分(森)

◆前回(2005.1.28.)問題点 等 (23)

目次 問(103)[2005.1.28.]  問[30〜35章の課題等] 問(104)[2005.1.28.]  問[銀行券による割引と,当座預金設定] 問(105)[2005.1.28.]  問[Circulationの量,貨幣数量説]

問(103)[2005.1.28.]  問[30〜35章の課題等] 問(102)[2005.1.21.]  問[?)30〜35章の構成] [◆東大院配付資料] と関連 A.「二つの課題」という「課題」把握について a.30章冒頭の「比類なく困難な問題」(◆以下,(1)等は,青才の挿入)の提示 「?)これから取り組もうとしている,この信用の件全体[◆ここでは,大谷の言説と異なり,マルクスは,「信用」を問題にしているといいうる。]のなかでも比類なく困難な問題は,次のようなものである。??(1)第1に,本来の貨幣資本Geldcapitalの蓄積。これはどの程度まで,現実の資本蓄積の,すなわち拡大された規模での再生産の指標なのか,またどの程度までそうでないのか? (2)いわゆる資本のプレトラ(この表現は,常にmonied Capitalについて用いられるものである),??これは過剰生産と並ぶ一つの特殊的な現象をなすものなのか,それとも過剰生産を表現するための特殊的な仕方にすぎないのか? (3)monied Capitalの過剰供給は,どの程度まで,停滞しているもろもろの貨幣量(鋳貨/地金または銀行券)と同時に生じ,したがって貨幣の量の増大で表現されるのか? /[◆改行](4)他方では[◆文法的には,(1)の「第1に」に対応して,「他方では」故に,「第2に」の意味となる。]貨幣逼迫のさい,この逼迫はどの程度まで実物資本の欠乏を表現しているのか? それはどの程度まで貨幣そのものの欠乏,支払手段の欠乏と同時に生じるのか。」 b.上記の四つの「比類なく困難な問題」は,(2)を除き,マルクスの30〜35章の叙述,それを勘案したその後の研究によって,ほぼ解明されたと思われる。 c.マルクスの,実物資本(生産的資本,産業資本)と,monied Capital,と,貨幣(通貨,Circulation)との,「概念的」区別,という視点(25・26・28章的視点)からすると,課題は,前2者と,後2者,すなわち,第1の課題「実物資本とmonied Capital」問題と,第2の課題「monied CapitalとCirculation」問題と,「整序」しうるとしても,現実的連関においては,関連した問題,分離できない問題である。そしてまた,それらは,実際には,景気循環におけるそれとしてしか「解答」しえない問題である。[◆マルクスの場合,上記課題との関連において,景気循環に触れざるを得ないという側面と,まだ,景気循環における,実物資本・monied Capital・通貨の問題として「整序」仕切っていない面とがある。] d.総括しよう。1.上記の四つの「比類なく困難な問題」を,マルクスが,32章部分において,二つの課題(「実物資本とmonied Capital」問題,と,「monied CapitalとCirculation」問題,)に「整序」しているということと,2.それが,?)執筆開始時点(30章冒頭)からあったとは限らないということと,3.我々としては,どう「課題」の連関・構造を捉えるべきか,という点を総括し,「比類なく困難な問題」に対し,答えるべきであろう。 e.上記のことは,吉村さんが言うように,[問題点(102)[2005.1.21.]  問[?)30〜35章の構成]のように,「?)30〜35章の構成]を「二つの課題提起」というコンテキストでのみ捉えるべきかどうか,問題だ,ということになる。といっても,「混乱」,「[混乱。続き]」の内において,「Circulation」問題,Circulation量の問題が??monied Capitalの量との関連において,利子率との関連において??マルクスの抜粋の際の問題関心として存在したことを,否定するものではないが。

問(104)[2005.1.28.]  問[銀行券による割引と,当座預金設定] a.手形割引に際し,銀行券を渡すか,当該金額だけ当座預金を増大させる[当座預金設定]か,という問題は,本当に区別のない問題である。企業が,現金を殆どもたず,遊休資金は預金しているという事態を想定すれば,ますますそうである。 b.だが,この「同値的な事態」が,同値的ではなく位置づけられていたということを考えると,信用論展開において,大きな問題となりうる。 1.宇野においては,資金仲介としての銀行信用という位置づけ,まずは,手形割引を銀行券ではなく「貨幣」でやるという発想もあり,「預金」は,初めから利子付き預金的なものと解され,当座預金・決済機能,の,重要性に対する配慮は薄い。これは,以前に,問題点として触れたこともあったと思うが,自由主義段階……手形割引,帝国主義段階……当座貸越(固定資本信用)と,いう,タイプ論的段階論,量的比重の相違を質的「差異」としてモデル化,という宇野段階論の問題性にも関連することと思える。 2.山口信用論。山口さんは,基本的に,宇野的な資金仲介型の銀行信用を超えている。 だが,しかし,なお,当座預金を,導入開始時には,手形転換(商業手形→銀行手形→銀行券)とは切れたレベルにおける,貨幣取扱費用節約の問題として,取り分け貨幣保管費用の節約の問題として,語り,その後に,決済を,そして,当座預金設定としての「貸付」を問題にしている。 「貨幣取扱費用」「貨幣取扱業務」の問題というと,事態は矮小化されることになるが,当座預金の問題は,「決済」に関わる問題として??エンゲルス編集の現行版以上に,マルクス草稿では重視されていると思えるが??銀行信用論の内にちゃんと位置づけるべきであろう。 3.吉田暁説。山口説から学び,現実,現在を踏まえ,『決済システムと銀行・中央銀行』(日本経済評論社,2002)論を構想している。手形転換としての,商業信用→銀行信用,論へのアンチとして提出されるとすると(例えば,斉藤美彦説。但し,斉藤さんによる山口説批判も限界だが,山口さんの反批判も「限界」),批判せざるをえないが,決済システム重視という論点は,銀行信用論にとって構成的である,と考えるべきだろう。スティアートの時代においてすでに,アムステルダム銀行的な銀行信用はそのようなものであり,単に,「現在」的に特殊なものではないからである。 c.問題は,本当に,銀行券による手形割引と当座預金設定による手形割引とを,原理論展開においても,「同値」として展開する,銀行信用論の構築にある。◆原理論信用論の展開において,商業信用→銀行信用,の問題は結構問題にされたが,銀行間の問題は,中央銀行論として問題にされることが多く,銀行間の関係,文字通りの横の関係,インターバンク市場の問題??決済システムもこれと関連するが??の解明は,未だ不十分と思える??田中英明氏が若干やっているが??。

問(105)[2005.1.28.]  問[Circulationの量,貨幣数量説] a.大谷,33・34章,140頁,145頁 マルクスが,当該部分等において,流通高(Circulation量)という場合,それは,イングランド銀行の「外」において流通している,イングランド銀行券(公衆に持たれているそれ)+鋳貨,を意味する。 b.そして,そのCirculationは,イングランド銀行以外の市中銀行の準備と,銀行の「外」にあるCirculation(通貨)に分かれることになる。そして,?ある場合には,Circulationの量は大で,市中銀行の準備は大なので,利子率は低いということになり,?ある場合には,Circulationは大で,それ故に,イングランド銀行券発行限度額(地金+α)−Circulation,すなわち,イングランド銀行の準備(銀行部の準備)は小となるが故に,利子率は高い,ということになる。また,イングランド銀行の地金準備は,Circulationとの関連においては,すなわち,準備率としては小となる。 ?上記の??とは別個の問題だが,ついでに触れておくと,兌換は,Circulationの縮小,であるが,その金額だけ,地金が流出することになり,イングランド銀行の準備率(地金とCirculation量との関連)は,小となり,利子率は上昇することになる。

 c.通貨(カレンシー)の意味内容 通貨とCirculationとは,同義と見做されている。それは,間違いではない。だが,上記のことを踏まえると,通貨量という場合に,それが何を意味するか,ということに関し,Circulation量が何を意味するかということと「同義」であるという意味において,再考・再検討の必要がある。 1.通貨(カレンシー)という用語は,マルクス・宇野的文脈では,流通手段としての貨幣,という意味で捉えられてきた。そして,それに対し,蓄蔵貨幣が対置されてきた。 [◆私は,道に転がっている貨幣を除き,貨幣は必ず誰かのポケット・金庫の内にあるのであって,貨幣はその存在形態としては,いわゆる鋳貨準備金も含め,全て,価値保蔵手段として持たれている,と,考えるが] 2.それ自体の規定としては,Circulation=通貨=流通手段としての貨幣,という関 係が成立する。そして,それは,間違いではない。だが,その量ということを問題にするやいなや,Circulationの量と,流通手段量という規定の間に亀裂が走る。そもそも,Circulationの量という概念は成立するが,流通手段量というような概念は成立しないからである。 ◆以下,この点を,貨幣数量説の問題,正確に言うと貨幣数量説批判の問題として語ろう。 d.貨幣数量説,マネーサプライの量,その量は「外」に出ている量 1.マルクスは,そして,いいとこまで行きながら宇野も,流通手段量という概念を立て, 流通の「内」と「外」という発想で問題を立てている。 2.購買に,流通に出て行く貨幣(流通手段としての貨幣)と,流通から引き上げられた 蓄蔵貨幣という区別だては,ありえない区別だてである。このことを前提として以下の問題を考えよう。 3.ヒューム,スミス的な時代状況での,貨幣数量説は,その場合の貨幣量は,国の内外を区別しての貨幣量の問題であった。国際的な地金の移動とイングランドの貨幣量との問題,後に,金本位制の自動調整機能として問題にされるような,貨幣量の問題。その場合には,貨幣量(通貨量=Circulation量)として,イングランドにおける貨幣量(地金,鋳貨)が問題になった。その場合の「内」と「外」とは,イングランド「内」と「外」,という問題であった。 4.通貨論争において,ピール条例をめぐって,そしてそれ故に,マルクスの第3部草稿において主要に問題にされている,Circulation量とは,イングランド銀行の「外」にある,地金+鋳貨+イングランド銀行券,である[特に,イングランド銀行券の量が問題となるが]。そして,イングランド銀行券は,返済,預金等の形を通じて,イングランド銀行に「還流」する[『資本論』貨幣論的な叙述では,過剰な流通手段は,流通の「外」に引き上げられ,蓄蔵貨幣としてプールされる,ということとなる。] 5.宇野原理論的に,中央銀行としてのイングランド銀行と他の市中銀行を区別せず,問題を,銀行の「内」なる準備(他行銀行券を除くと,金準備)と,「外」なる銀行券市中残高,と捉えると,貨幣論においては,蓄蔵貨幣量と流通手段量との関連として問題にされたことは,銀行の準備と銀行券市中残高(イングランド銀行の発券部と銀行部,との区別という問題を考えなければ,=銀行券発券量=発券残高)という問題となる。 6.後,従来の,流通の「内」「外」というおかしな区別に立つと,Circulation量=通貨量=流通手段量=鋳貨準備金,は,流通の「内」,マルクスの蓄蔵貨幣,宇野新原論の貯蓄は,流通の「外」,ということになる。 7.総じて,論点は二つとなる。 α.貨幣数量説批判は,狭く貨幣論の範囲で言うべき,または,いい得ることではない。 焦眉の問題は,銀行券の量の問題であり,貨幣・信用論の全体において,答える・批判するしかない。また,マルクスの場合,貨幣数量説批判は,流通手段論でなされ,支払手段としての貨幣の機能と関連する,商業手形,銀行券,等は,流通手段を節約するもの,流通速度に関連するものとして問題になるだけだが,貨幣数量説批判としては,少なくとも,銀行券を含めて問題とされてばならないだろう。 勿論,商品が「価値」をもたず市場に登場し,価格は,単に,貨幣量の供給との比率で決まる等の言辞は,貨幣論的な枠内でも批判しうるとしても。 ◆ケインズ的な財政インフレの問題を除くと,貨幣数量説的問題,マネーサプライの過剰供給の問題と誤認された問題は,信用インフレの問題,「貨幣」の過剰供給の問題ではなく,「資金」の過剰供給,の問題となる。 β.これまで述べた点,すなわち,Circulation量の問題を,流通手段量の問題として(あまつさえ,あり得ない範疇である,流通手段必要量,というターム,で,語った)マルクスの貨幣規定の「誤り」(◆宇野も踏襲している誤り)を踏まえると,我々は, 貨幣論の再構築という課題を,果たさねばならない,という「責務」を負うことになるだろう。流通手段としての貨幣と,価値保蔵手段としての貨幣,との,貨幣の機能形態的な区別の問題は,マネーサプライと言っても,M1もあるし,M2もあるし,M3もある等々の,「理論的」・「概念的」区別とは無縁のところで言われるであろう言辞を排し,究明されるべきと思われる。

◆前回(2005.2.4.)等の問題点等(24)

目次 問(106)[2005.2.4.]  問[銀行の地金準備の使命] 問(107)[2005.2.4.]  問[対外金流出は,恐慌の前触れ] 問(108)[2005.2.4.]  問[景気循環の段階における,預金振替と手形割引] 問(109)[2005.2.4.]  問[幻想的,空想的。物神的ということか] 問(110)[2005.2.4.]  問[利子論と信用論] 問(111)[2005.2.4.]  問[草稿を読んで,引き出すべきこと]

問(106)[2005.2.4.]  問[銀行の地金準備の使命] 大谷,35章,104-106頁,MEGA.S.621-2 a.引用。準備ファンドは三重(以下,同一パラグラフ内。故に,マルクスは改行していない。) 「第5に。銀行の地金準備という準備ファンドの使命……は三重のものである。 1)国際的支払のための準備ファンド,つまり世界貨幣の準備ファンド。 2)膨張したり収縮したりする国内鋳貨流通の準備ファンド。 3)銀行業と関連するものであって,貨幣のたんなる貨幣としての諸機能とはなんの関係もないもの,すなわち銀行券の兌換性のためと預金のための準備ファンド。」 b.以下,問題は,銀行のではなく,イングランド銀行のであると解して,問題にしよう。 c.上記3)の,預金払出準備の問題は,銀行券での払い出しであれば,地金準備の問題とはならない。そして,預金を銀行券で引出し,それを,金と兌換するならば,結局は,兌換の問題となる。だが,銀行の行動様式として,発券残高に対し,地金準備率を,問題にし,預金に対し,預金引出準備率を,問題にする,という発想に立てば,兌換準備+預金引出準備,という,表現が誤り,という訳ではない。 d.上記2)について。マルクスは,「国内流通で金鋳貨……の代わりをする銀行券が発行されるなら,準備ファンドの第2の性質はなくなる。」(大谷,35章,105頁)と言っている。 この点に関しては,以下の点に注意する必要がある。 1.フラートンの『通貨調節論』(1845年)では,地金論争以来問題となったことを意識してか,銀行券不在の,純粋金属流通の場合にはどうなるか,ということを問題にしている。マルクスが,2)の準備を問題にしているのは,それとの関連においてとも考えられる。[◆清水敦『貨幣と経済』第5章「銀行学派の貨幣理論」参照。この本は,要約とコメント,というように表面的には見えるが,マルクス・宇野をちゃんと理解してのそれなので,良い本である。] 2.「国内流通で金鋳貨……の代わりをする銀行券が発行されるなら,準備ファンドの第2の性質はなくなる。」(大谷,35章,105頁)と,「この場合には,地金の国内流出がなくなる」(同)ということになる。だが,この点については,次の点に注意する必要がある。 α.少額銀行券の制限,ということがあり,鋳貨の必要性がなお残っていた,ということ。 β.なかば,上記1)的な,こと。イギリス内においても,スコットランド等,対外的と同質な面,イングランド銀行券が流通しえない地方等が存在した。 [◆この辺のことは,19cを通じても,20・30年代,50年代,等々において,異なる事情にあった,と思われる。] e.イングランド銀行券に対する不信の表明としての金兌換要求がないとすると,上記3)の兌換準備の問題も,上記1)の対外支払準備の問題に集約されることになるのか。  1.1850・60年代には,イングランド銀行券が不信の対象となることはなく,貨幣逼迫期には,かつての地金準備と同様の意味において,イングランド銀行券が「退蔵」された。 2.だが,1797〜1821年の,イングランド銀行券の金兌換停止期には,一時,イングランド銀行券の減価が生じており,1820・30年代においては,一時,イングランド銀行券に対する不信の表明としての取付等があった。また,地方銀行券に対する不信の表明としての金兌換要求は,19c後半まで,頻発していた。このことは,原理論,一般理論のレベルでは,銀行券に対する不信の表明としての金兌換要求を,排除しえない,ということを意味すると思える。 f.上記1)の対外的支払としての地金準備,世界貨幣の問題 この問題は,原論においては,中央銀行の独占,発券の集中・独占の非想定の問題として,理論の内に入れる,内面化すべきだろう。

問(107)[2005.2.4.]  問[対外金流出は,恐慌の前触れ] a.引用。大谷,35章,106-7頁 「第6に。たとえば1837年の恐慌は別として,現実の恐慌はいつでも,為替相場の逆転の後に[◆為替相場が順となった後に],すなわち地金の輸入がふたたび輸出よりも優勢になったときに,はじめて勃発した。」 b.おおまかに言うと,為替相場悪化→対外金流出→イングランド銀行の割引率引き上げ→恐慌,でよい。だが,細かく(1週間単位で等)見ると,為替相場悪化→対外金流出→イングランド銀行の割引率引き上げ[→資本の運動の混乱・金の国内流出(地方銀行へ)。この頃,為替相場の改善,金の流入。海外からの金の流入はあっても,恐らく,金準備の国内流出>金の海外からの流入1),の故に,イングランド銀行の金準備は減少,と思われる。→イングランド銀行の利子率のさらなる上昇]→恐慌(銀行の倒産を含む,金融恐慌),となる。 対外金流出→恐慌,という論の正しさと,「現実の恐慌はいつでも,為替相場の逆転の後に[◆為替相場が順となった後に],すなわち地金の輸入がふたたび輸出よりも優勢になったときに,はじめて勃発した。」というマルクスの正しさとを,整合的に理解すべきだろう。 c.注1) 19cも後半になると,イングランド銀行の利子率上昇→海外からの資金の引き寄せ,金流入,の側面が強くなり,銀行券のイングランド銀行への集中・独占の度合いも高まったこともあって,この,イングランド銀行の利子率引き上げ(いわゆる利子率急騰?)で,金準備の国内流出<金の海外からの流入,となり,いわゆる利子率急騰?=金融恐慌,は起きなくなる,1873年恐慌。 d.引用。大谷,35章,108頁 「第8に。地金の流出はたいていは外国貿易の状態の変化の兆候Symptomであって,この変化(為替相場)のほうもまた,事情がふたたび恐慌に向かって成熟しつつあることの前兆Anzeige[指し示すもの]である。」(MEGA.S.622,Ms.373) 1.「兆候Symptom」と「前兆Anzeige[指し示すもの]」とが異なる意味だ,とする解釈。 この解釈に依ると,事態は,分かりやすいもの,となる。 「地金の[対外]流出はたいていは外国貿易の状態の変化の兆候Symptom[◆貿易収支の悪化の「現れ」,表現するもの,結果として生ずる明示的なもの]であって,この変化(為替相場)のほうもまた,事情がふたたび恐慌に向かって成熟しつつあることの前兆Anzeige[指し示すもの]である[◆貿易収支の悪化=為替相場の悪化→恐慌]。」(MEGA.S.622,Ms.373) 2.だが,「この変化(為替相場)のほうもまた」という表現を重視し,同じことを言っている,同時に生ずることを言っている,と解すると,意味は分からなくなる。為替相場の悪化→貿易収支の悪化,という前後関係はありえない,と思えるからである。

問(108)[2005.2.4.]  問[景気循環の段階における,預金振替と手形割引] 大谷,35章,113頁 a.引用。「平静な通常の時期には元帳が実質的な交換用具[◆当座預金振替,小切手]です。……。イングランド銀行の割引率が上昇する……とかいうときには,取引は自然に為替手形の振り出しとなっていきます。」(ニューマーチ) b.当座預金振替が大きな意味を持っていた,という指摘はよい。だが,「イングランド 銀行の割引率が上昇する……とかいうときには[◆好況末期には],取引は自然に為替手形の振り出しとなっていきます。」ということの意味は分からない。好況期……商業信用が自立,好況末期……割引増大,銀行信用への依存増大,という,イメージからして,上記のニューマーチの叙述の意味は分からない。為替手形の「振り出し」という部分に違和感があるが,好況期……商業信用の自立,資金の余裕の為に商業手形が割引に持ち込まれることは少ない,好況末期……割引需要の増大,ということを言っているのか。

問(109)[2005.2.4.]  問[幻想的,空想的。物神的ということか] 問(100)[2005.1.21.]  問[大谷,33・34章,295-6頁の,パラグラフの解釈等] と関連 (1) 問(100)[2005.1.21.]のa,コピー 「大谷,33・34章,295-6頁。以下の点が問題だ。 a.「貨幣」=「商品の純粋に空想的な形態」の「空想的」の意味。(このパラ グラフでも,もう一回出てくる)   」 (2)『資本論』第1巻,第1章,第4節の叙述から言っても,当該部分では,金が価値であ る等,商品・貨幣の物神性のことを言っていると思える。 (3)大谷,35章,119頁 「2)信用システムが発展するにつれてブルジョア的システムは,富とそれの運動とのこの金属的な制限を,物的かつ幻想的な制限を,たえず止揚しようと努めながら,またたえず繰り返してこの制限に頭をぶつけるのだからである。」

問(110)[2005.2.4.]  問[利子論と信用論] ◆「前回の問題点」というより,全体の総括,という性格の問題点である。 ◆近く(1年以内に),この点に関し論文を書くつもりなので,詳論はしない。 A.プラン問題的観点から。利子論(21〜24章)と信用論(25〜35章) ◆参照,青才高志「『資本論』とプラン問題」(『経済学批判』4,1978年5月) a.21〜24章的な内容(いわゆる利子論)は,「資本一般」の枠内とされ,『要綱』時代からあり,また,「1861-63 年草稿」でも展開されている。だが,25〜35章的な内容(いわゆる信用論)は,Gr. 当時においては,「資本一般」の外,「1861-63 年草稿」当時においても,<資本の一般的本性>論(=『資本論』)の外,信用章・篇の課題とされており,『資本論』第3巻草稿において,始めて,展開されたものである。 b.『資本論』第2部第1草稿を読むと,信用を,「資本の一般的分析」に編入する構想はあるが,その編入の範囲は,まだ狭く,その当時,25章後半,28〜35章的内容を,『資本論』で説く,という構想はなかったと思われる。 B.利子論的発想と信用論的発想の違い。先行する諸学説との関連において。 a.マルクスは,Gr. 以前の,「ロンドン・ノート」執筆の時期(1850〜53年)から,通貨論争,恐慌,為替相場に関し,注目し,多くの,ノートを残している。(◆参照,2004.4.16.配付,資料?)。また,「トリビューン誌」等において,多くの,現状分析的な記事を書いている(◆参照,三宅義夫『イギリス恐慌史論』上・下,大月書店,1974年)。 b.上記aに関連して。「ロンドン・ノート」には,スティアート,銀行学派のトゥック,フラートンからの抜粋等あり c.だか,上記Aで述べた,プラン問題的な発想から,Gr. Kr.では,問題を貨幣論とい う枠内で問題にするのみであり,信用論として問題にしている訳ではない。 d.<資本一般>的な利子論,という視角からは,事態は,貨幣資本家(monied Capital)による貸付の問題として捉えられ,マッシー,スミス的な,貨幣貸付,利子を伴っての返済という事態を問題にするのみとなっている。 e.だが,25章後半から,諸学説を,信用論という視角から問題にする,「ロンドン・ノート」,銀行法1857,等を,その視角から,再読・再検討している。 C.21〜35章の構成 a.Gr. 的な,<資本一般>的な枠内の発想から,21〜24章を書いている。 そこでは,Gr. ,「1861-63 年草稿」時代よりは,信用に対する言及はあるが,なお,景気循環における利子率の変動は,プランの外等,信用の編入は限定的である。 b.だが,以前と異なり,『資本論』第3巻草稿執筆段階では,信用に対する一般的規定は述べる,という発想はある。だが,その一般的規定の範囲は,当初は,第5章(現行版第5篇)起筆開始時には,25章前半+27章,というイメージのものであったと考えられる。 c.そして,25章後半(注+「補遺」)を書く頃から,〜〜も問題にしなくてはならない, 等,考察の範囲は拡大したと思われる。 27章末の,「経済学的論評」をしなければならない,という指摘は,一部25章後半+26章の通貨学派批判を踏まえ,28章銀行学派批判をしなければ,という問題意識を表明したものだが,その経済学的論評は,25章後半・26章,28章で問題にされたことの「解決」のためには,30〜35章の叙述が必要であるが故に,同時に,「信用。架空資本。」(28〜35章)の展開の原因になった,と思われる。 d.第5章,第5節「信用。架空資本。」の構成 25章前半……銀行業務論 25章後半……上記との関連において,信用論的視角から文献等を読み,注記,補遺 26章……上記との関連において,通貨学派に対する「経済学的論評」 27章……「信用の役割」 1)株式資本論の部分を除き,内容は古い。Gr. で言っていたことの整理等。 2)25章,26章の内容を踏まえたものとはなっていない。 28章……「信用。架空資本。」の? 1)ただし,この?は,後で,?)を書いた時につけたもの 2)内容は,銀行学派批判 29章……上記28章の内容との関連で,擬制資本(架空資本)を問題にする。   「信用。架空資本。」の? 30〜35章 「信用。架空資本。」?) 1)当該部分を書かなければ,というプランは,27章末,からあったと思われる。 だが,その予定は,思いの外に,大部のものに,長いものになった。(凝り性のマルクスだと仕方ない,とも言えるが) ◆30〜35章の構成の詳細については,[問(102)[2005.1.21.]  問[?)30〜35章 の構成](東大院配付,2005.1.28.)を参照

問(111)[2005.2.4.]  問[草稿を読んで,引き出すべきこと] ◆1)前回の問題点というより,2004年度一年間の青才ゼミ(「信用と恐慌」)全体の総括,という性格の問題点である。 ◆2)この1年間に,B5に折って,15センチになるくらいの,主体的資料(この問題点等も含む)を作成したが,以下は,それを読み返していう性格のものではない。 ◆3)本年度のゼミの目標は,元々は,マルクスの信用論をしっかり読む,という点にあった,そして,現在段階では,マルクス草稿を読むべきだということだった。それ故に,以下の,「引き出すべき点」は,『資本論』現行版を読んでいても,しっかり読む力があれば分かったことだと思える。 a.当座預金,決済機構 25章部分を読んでも,マルクスが,当座預金,決済機構としての銀行信用を,重視して いたことがわかる。草稿を読むと,マルクスはエンゲルス以上に,また,現行版で読むイメージ以上に,重視していたことがわかる。当座預金設定,預金振替,等をより重視した銀行信用論を目指すべきだろう。 b.利子生み資本,利子付き資本 (利子をもたらす資本 利子をトラーゲンする資本)範疇 1.利子生み資本という用語は,21〜24章では頻発する。だが,29章を除き,25章以後では,その使用頻度は少なく,登場するとしても,「利子生み資本,すなわち,monied Capital」というような表現においてである。   2.29章においては,多く登場する。だが,その場合,公債,株式等の利子生み証券を問 題にしながら,例えば,株の購入は利子生み資本の投下,である,と言っている。 ここから,貸付……資金の商品化,と,利子生み証券における「それ自身に利子を生むものとしての資本」の成立,という,宇野的な意味を読み込むこともできるだろう。 3.勿論,『資本論』第3部第7篇では,三位一体的範式では,また,利子生み資本概念が登場する。だが,その三位一体的範式論は,「1861-63 年草稿」時代と同形の議論であって,必ずしも,25〜35章の内容を踏まえた物ではない,という点に注意する必要がある。 c.商業信用→銀行信用,について 1.この点は,引き出すべき論点というよりも,マルクス草稿自体の解釈として,という面 を持つ。  2.現行版30章の展開だと,商業信用→銀行信用,というイメージとなる。だが,それは,エンゲルスの順序変更の故に,という性格を持ち,マルクス草稿だと,商業信用論は,商業信用による貨幣(現金)の節約,という文脈において,問題にされている,ということがわかる。 3.マルクスにおいて,その叙述そのものにおいては,25〜35章の信用論は,27章,29章を 除き,銀行業論である。 4.勿論,上記2・3は,もしマルクスが,清書稿を執筆したとしたら,マルクス草稿を再構築し,商業信用→銀行信用,という展開をしたかもしれないという可能性を排除するものではない。 d.架空資本概念について 1.これも,「引き出すべき論点」というより,マルクス草稿の厳密な解釈,というレベル の問題である。 2.論争史的には,架空資本フィクティーブ・キャピタルは,以下のように規定されてきた。 1)利子生み証券の価格等の,擬制資本(収益の利子率での還元),として。 2)その後,29章をちゃんと読むと,架空の意味は,擬制資本という意味だけではなく,銀行の準備も「架空」だ等,より広い意味も持つ等,という主張が唱えられた。小島論文,大谷,吉村論文等。 3)だが,上記2)的な意味での「架空性」の指摘は,29章を除くとない,30〜35章では,擬制資本という意味で,架空資本という用語を用いているのみ。 4)とする時,29章における規定は,擬制資本に関し,擬制資本と現実資本との差異を言う際に,擬制資本価格は架空である,と言った後,その意味では,信用にまつわる事象は,すべて「架空」である,という文脈において,架空資本概念の拡大適用がなされたとも考えられる。 5)そもそも,商品経済は,不確定性の世界であり,そこで,「架空」ということを殊更に言っても益ないこと,と言える。少なくとも,「架空性」は言えても,それは,架空「資本」と言えるがどうかは,別問題である。 6)この問題は,25〜35章全体の表題である,「信用。架空資本。」の,架空資本の意味 内容に関わる問題である。大谷は,そして,それに従い,吉村さんは,この架空資本の意味を,29章でマルクスが言っている架空資本の意味で,擬制資本より広い範疇としての架空資本の意味で解すべきとしているが,その解釈が正しいか,どうか,という問題と関わる,ということになる。 e.その他,文章の解釈等では,多くの発見はあったが,それは,また,別の機会に述べるこ ととしたい。◆現在は,午前2時半であり,そろそろ,寝るべきだと思う。


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Last-modified: 2021-02-20 (土) 17:32:13